マーシェとミスル

おとぎ話を始める時のフレーズは決まっています。

「昔々あるところに」

このフレーズで始まる物語が、ここにも一つ。それは、こんな風に始まります。

昔々あるところに、一人のお姫様が住んでいました――。

お姫様の名前はマーシェ。

マーシェは、大きな国の大きなお城に住んでいました。お城のテラスからは、町とお城を隔てる川が見えます。

お父さんは領主さまで、お母さんは若くて美しい人でした。マーシェは一人娘だったので、両親の愛を一身に受け、大切に育てられました。お父さんはマーシェに最高の教育を与え、お母さんは淑女として完璧な教養を身につけさせました。そのおかげで、いまやマーシェはとびきりのお姫様です。どこへ出しても恥ずかしくない、立派なお姫様に育ったので、両親はいつでも鼻高々でした。

午前中はお行儀やお作法を習い、午後は沢山の本を読む、というのがマーシェの日課でしたから、お姫様といえどもそれなりに忙しい日々を送っているのでした。何しろ、夜は三日おきぐらいにパーティがあるのです。王子様やお姫様、それに大勢の貴族の人が来て、楽しく時間を過ごすうちに、マーシェの一日は、あっという間に終わってしまうのでした。

何の不満もない生活でしたが、毎日が同じような繰り返しです。マーシェは、ほんの少し退屈していました。

ところ変わって一方その頃。

マーシェの住むお城から遥か遠く、山を越えて谷を超え、広い平野を横切った先にも、大きな国がありました。

その大きな国の大きなお城……ではなく、小さな町の小さな市場の端に、これまた小さなお家がありました。そこに住んでいるのが、耳飾り職人の若者です。

若者の名前はミスル。

ミスルは、十歳の頃から耳飾りを作り始めました。お父さんの仕事を見ているうちに、自然と真似事を始めたのです。お父さんは小さいうちから学ばせたかったので、それを喜びました。

少年ミスルが青年になり、腕のいい職人になるかならないかの内に、お父さんは病気で亡くなってしまいました。お母さんはミスルが小さな頃に亡くなっていたので、ミスルは一人ぼっちです。

それでミスルは、一大決心をしました。小さな頃から住み慣れた町を出て、旅をする事にしたのです。実は、ミスルの住んでいた町には耳飾り職人が大勢いて、競争が激しかったのでした。そこでミスルは、遠くの国へ耳飾りを広めに行く事にしたのです。

ミスルは今まで貯めたお金を全部取り出し、旅支度を整えます。そして遥か遠くの国を目指して旅立ちました。どこまでも続く平野を渡り、谷を超え、山に登り……旅は長く続きます。山の頂上からは、遠くに霞む町が見えました。

小さな町を出発してから何年かが過ぎた頃、ミスルは大きな国の大きな町に到着しました。町外れに小さな家を建て、さっそく仕事を始めます。旅の間ずっと考えてきた図案が山ほどあるので、耳飾りはどんどん作れました。

この国の人々は、耳に飾りをつける習慣がありませんでした。最初はあまり売れませんでしたので、しばらくの間は貧乏なままでした。けれどミスルは気にせず、腕を磨いていました。

その内、近くに住む娘たちが買い始め、男たちがそれを見てほめそやしました。娘たちは喜んで、もっと違う形の耳飾りを買おうとお店に来るようになりました。そうしてミスルの作る耳飾りは少しずつ売れ始めたのです。人気は人々の口伝えで広まっていき、いつしか国中に広まります。

耳飾りの噂は、お城まで聞こえてきました。

お姫様のマーシェも、それを欲しいと思いましたので、町へ買いに行きたいと言いました。しかしお父さんは許してくれません。町は危険でいっぱいだから行ってはいけないと言うのです。マーシェは散々悩んだ末に、小間使いの一人を呼んで言いました。

「ほんの半日、お姫様になりたくはない? 私にお前の服を貸してくれたら、私の服を着てもいいわ」

小間使いの娘はとても驚きましたが、ずっとお姫様の服を着てみたいと思っていたので、ついにこっくりと頷きました。こうしてマーシェはたった半日だけ、町娘の格好で外へ出る事になったのです。

お城の外へ抜け出したマーシェは、川を越えて町まで行きました。そして、何とか耳飾りのお店を見つけました。お店に入ると、奥から一人の若者が出てきてこう言います。

「べっぴんさんよ、何が欲しいんだい」

けれど、マーシェの耳にはこう聞こえたのです。

「お美しいお嬢様、何をお求めでいらっしゃいましょうか」

実は、ミスルの国では、非常に綺麗な言葉が使われていたのでした。誰も彼もが貴族のような言葉を使っていて、町の職人であるミスルですら、相当に丁寧な言葉で話していたのです。ところがマーシェの国では、あまり言葉が洗練されていませんでしたので、お姫様のマーシェでも、庶民的な言葉を話すのが普通なのでした。

マーシェは、ミスルの言葉を聞いて驚きました。町の若者がこんな美しい言葉を話すなんて、と。

そして、こう言いました。

「わたくしは耳飾りを求めて参ったのです。どうかお一つ分けていただけませんか」

けれど、ミスルの耳にはこう聞こえました。

「あたし耳飾りが欲しくて来たの。一つもらえない?」

ミスルは、こんなに綺麗な人なのに、ずいぶん気さくな話し方をするんだなあ、と思いました。

「わたくしはマーシェと言います。あなたのお名前は?」

とマーシェが聞けば、

「あたしはマーシェっての。あんたは?」

とミスルに聞こえます。

「俺はミスルってんだ。マーシェってな、いい名だな」

とミスルが言えば、

「私はミスルと申します。マーシェとは、素敵なお名前ですね」

とマーシェに聞こえます。

二人はそれからしばらくおしゃべりをして、お互いがすごく気に入りました。マーシェはその後も何度かお城を抜け出してミスルに会いに来ました。そしてマーシェは、今度は自分の家で会おうと言いました。ミスルはマーシェの事を町娘だと思っていましたので、素直に頷きました。

マーシェに言われたとおり、ミスルは街を抜け、川を渡っていきます。すると目の前に見えてきたのは大きなお城ではありませんか。ミスルはお城の門番に、「マーシェに会いたい」と言ったのですが、すげなく追い返されてしまいました。

マーシェは、門番からその話を聞いて驚いていました。ミスルと名乗って会いに来るのは、綺麗に着飾った若者だと思っていたのです。普段はぼろを着ていても、まさかお城にそんな服で来るとは思っていませんでした。門番には「ミスルという名の若者が来る」としか言っていませんでしたし、門番も、ぼろをまとった青年がマーシェの友人だとは思わなかったのです。

こうして二人は、お互いの身分の差を思い知ったのでした。

ミスルはマーシェに、マーシェはミスルに、「もう一度会いたい」と思いましたが、そんな機会がめぐってくる事はありませんでした。マーシェは外へ抜け出した事がお父さんに分かってしまってひどく怒られましたし、ミスルはお姫様と自分がつりあうわけがないとしょげていたのです。

それから数年の時が流れました。

ある時、隣の国との戦争があり、ミスルも戦いに行く事になりました。元気な男の人は誰でも戦争へ行かなければならないのです。ミスルは一生懸命戦ったので、いくつも勲章をもらいました。何度か危ない目にも遭ったのですが、上手い事切り抜けました。

領主だったマーシェのお父さんも戦争へ行きました。そして危ない目に遭った時、切り抜けられずに命を落としてしまったのです。別の男が新しい領主になりましたが、その男はいじわるで、マーシェとお母さんを領地から追い出してしまいました。お母さんはショックで病気になり、それからしばらくして死んでしまいました。

戦争は、ミスルたちが勝って終わりました。国へ帰ってきたミスルは王様に誉められ、貴族の称号をもらう事が出来ました。前よりずっと偉くなったミスルは、王都の中心部に大きな家を買って引っ越しました。貴族になったミスルですが、やはり耳飾りを作るのが好きで、毎日のように耳飾りを作って暮らしました。働き者のミスルは、どんどんお金持ちになっていきます。

ある時、ミスルの家に一人の娘が訪ねてきました。彼女の顔を見て、ミスルはすぐに分かりましたので、こう言いました。

「マーシェ、仕事なんざしなくてもいいんだ。俺んちに来いよ」

彼女にはこう聞こえました。

「マーシェ、仕事などしなくてもいいのです。私の家にいらっしゃい」

働いた事などないマーシェは、領地を追い出されてからどんなに苦しい生活をしたのでしょうか、今はぼろぼろの服を着ていました。貴族になったミスルの友人や、家の執事たちは、ぼろをまとったマーシェが以前貴族の娘だったとは気づきませんでした。それでもミスルにはマーシェが分かったのです。

マーシェは、ミスルの言葉を聞いて驚きました。ミスルがこんな立派な家に住んでいるとは思わなかったのです。そして顔を赤らめました。以前は自分がお姫様で、ミスルが貧乏な耳飾り職人だったのに、今はまったく逆で、ミスルが貴族で、自分が仕事を探すような身分だったからです。

ミスルの周囲の人たちは、マーシェとミスルが仲良くするのに反対しました。けれど、ミスルとマーシェはもう離れたくありませんでした。そしてミスルは反対を押し切ってマーシェと結婚したのです。

これでこのお話は終わりです。いえ、もう一つ忘れていました。おとぎ話が終わる時のフレーズです。大抵のおとぎ話は、これを言う事になっています。

「そうして、二人はいつまでも幸せに暮らしたのでした」

――これで本当におしまい。


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