日常風景

昨日までの雨が、まるで夢のようだ。太陽神ハーディスは、昨日と打って変わってご機嫌だった。

ここ数日、雨の神レーヴェはその涙で大地を濡らしていたが、昨夜遅くに止んだのだろう。森の木々や花々はまだしっとりと湿っていたが、今日は朝から穏やかな陽光が村を包み込んでいる。丘陵地帯一面を覆う森は秋に彩られ、色鮮やかな絨毯を広げたかのようだ。晴れ渡った空はどこまでも青く、広々とした空間には柔らかそうな雲がいくつか浮かんでいた。

「ほら、早く早く」

「待ってよー!」

兄妹が走るのに合わせて、両手に持った桶が軽やかな音を立てる。二人が片手に一つずつ持っている桶は濡れていて、跳ねる度、ハーディスのかけらがきらめいた。

二人は、まばらに建っている家々の間を駆け抜ける。一軒の家では軒先に猫が丸くなっているのが見えた。それに手を振ろうとして兄が頭に桶をぶつけ、妹が思わず笑い出す。兄もつられて笑う。二人は、はしゃいだ声を響かせて走っていった。

柔らかな風が、村の広場に咲く草花を揺らしている。その入り口まで来ると、二人はようやく息を切らして立ち止まった。小さい広場は村の中心にあり、人々の憩いの場となっている。今は男の子たちが数人、石を蹴って遊んでいた。広場の中央に大きな井戸が見える。どうやら兄妹は水を汲みに来たようだ。

上気した頬が紅潮している。二人はすっぽりとかぶって着るような簡単な作りの、お揃いの服を着ていた。髪も瞳も同じ色。向かい合うと、まるで鏡を合わせたかのように見える。二人は、とても珍しい双生児と言われる存在だ。

「クレオ、遅いよー」

「お兄ちゃんが早すぎなのよ」

言い合いながらも、二人は仲が良い。助け合って縄を引き、井戸から水を汲みあげていく。と、兄のクリフが首を傾げた。何度も指を折っているのを見て、妹のクレオも首を傾げる。そんな仕草までが、よく似ている。

「どうしたの?」

「あと何回汲むんだっけ」

「四回往復して瓶(かめ)の半分だったでしょ。それから一回やったから、あと三回じゃないの?」

「そっか」

「お兄ちゃんってば、さっきも同じ事聞いたじゃない」

「だってすぐ分かんなくなっちゃうんだもん。……ちぇっ」

クリフは大袈裟に肩をすくめて見せた。

穏やかな森の中に拓かれた村は小さく、人々は寄り集まるように暮らしている。先ごろ収穫の月に入り、めっきり寒くなってきた。レノアでも北の方に位置するマグレア地方は、秋ともなれば半袖ではとても過ごせない。そして村には、祭りが近づいていた。一年を通して一番大きな行事である狩猟祭が終われば、本格的に冬がやってくる。

男たちは狩りに精を出していた。動物達の子育ても終わり、脂が乗り始める季節。彼らはまた近くの村へ行き、肉やなめした皮などの代わりに粉や綿布を持って帰ってくる。女たちもまた、冬支度に忙しかった。肉は燻製にし、塩につけておかなければならない。

大人たちが忙しいのは当然だが、子供とて遊んでいるわけにはいかなかった。小さい子供も、大人の手伝いをして働く。男の子は父親たちと狩りへ行き、勢子という獣を追い出す役をする。女の子は母を手伝って皮をなめす。またクリフやクレオがやっていたように、水汲みも若い者や子供の仕事である。

水を汲み終えたクリフとクレオは、ようやく家に帰ってきた。家の向こうから、高らかな薪割りの音が聞こえている。父のチェスターだ。冬になって雪が降れば、薪を割る事など出来はしない。暖を取るために、薪はいくらあってもありすぎるという事はない。大量の薪を割るのも、冬支度の一つだった。

薪を割る時は危ないのでこっちへ来るな、と言われている。クリフとクレオは斧が薪にあたる、気持ちのいい音を聞きながら家の扉を押し開けた。途端に、暖かな空気と甘い香りが二人を包む。水を汲んでいたせいで冷え切った手をこすりながら、二人は母親の元へと駆け寄った。

「うわぁ!」

「いい匂いね!」

「あら二人とも、ただいまも言わずに悪い子ね」

「ただいまぁ」

「ただいま母さん。水は瓶(かめ)いっぱいになったよ」

「ありがとう、お疲れ様。手が冷えたでしょう? 火にかざして、よく暖めてね」

母のルクレリアは亜麻色の豊かな髪を一つに束ね、真っ白な前掛けをしていた。優しい笑顔をその顔に浮かべ、二人に頷いてみせる。

煉瓦を積んで造られた大きな窯は、台所の壁の半分以上を形作っている。窯の中では、薪が威勢良く燃えていた。時折、勢いよく燃えた木がはぜる。窯の上には、小さな鍋がかけられていた。森いちごが、コーナの木の蜜と一緒にくつくつと煮込まれている。部屋を満たしている香りは、それのせいだった。ルクレリアが優しくかき回す度に、円やかな香りが漂い出して、兄妹の喉を鳴らす。

「ねえ、あとどのくらいで出来るの?」

「あともう少し、かな。夕食まで煮込めば完璧ね。これで冬の楽しみが出来るわ」

「美味しそう……」

「クリフ! 指を突っ込んだら火傷するわよ」

「もう、お兄ちゃんったら」

「ちぇ。ねえ母さん、他に仕事はあるの?」

「今は特にないわ。夕食まで時間もあるし、遊んでていいわよ」

「やった! ねえクレオ、占いやろうよ」

「うん!」

そう言うが早いか、二人は二階へ駆け上がっていく。仲睦まじい様子を横目に見て、ルクレリアは思わず顔をほころばせた。

部屋に入ると、クレオが早速机に飛びつく。チェスターお手製のどっしりとした机には、クレオが大切にしているカードがしまってある。

占いに使うカードは、元々はルクレリアのものだった。彼女がチェスターと結婚してこの村に来た時に、持って来たものである。双子が生まれてから、ルクレリアはあまり占いをしなくなった。それでしまってあったカードを、子供たちに遊び道具として与えたのだ。

カードは、全部で二十四枚あった。半分の十二枚は青いふち。残りの半分は赤いふちだ。枠の中には、青と赤が対になるような絵が描かれていた。それら二十四枚の絵は、それぞれに擬人化した神々の姿だった。クレオは赤と青を別にしてよく混ぜ、裏返してゆっくりと並べていく。

「赤……の反対が青、で……」

呟きながら並べる様子を、クリフがじっと見守っている。なめし皮の敷かれた床に、カードが順序良く並べられた。これでようやく準備が整ったようである。しかし二人は、じっとカードを見つめているばかり。しばらくして、クリフが尋ねた。

「これから、どうするんだっけ」

「えっと……。……そうだ、銅貨がいるんだった!」

思い出したかのように立ち上がるクレオ。棚から小さなレノア銅貨を持ってくると、再び床に座り込んだ。

「何を占うの?」

「あ、そうか、何も考えてなかった。……うーんと、じゃあ……あ、明日はいい天気かな?」

「えー、そんなの占うの?」

「つまんないかなぁ」

「そうだ、もうすぐ狩猟祭じゃない! クリフは駆け競べに出るんでしょ? 結果を占ってみようよ」

クレオは後ろを向いて座り、じっと銅貨を見つめてから肩越しに軽く投げた。銅貨は二、三回跳ねて、カードとカードの間で動きを止める。クリフとクレオは、顔を見合わせた。

「こういう場合はどうするの?」

「えっと……やり直し、かな」

クレオは恥ずかしそうに笑うと銅貨を取り上げ、再度挑戦した。今度は、上手く一枚のカードの上に止まる。クリフがそのカードを裏返した。クレオが、得意げに言う。

「多分ね、バンダムかソルよ。ハーディスとかなら最高だけど……ね、誰だった?」

「ディルナだ」

「嘘!」

「ディルナって、確か山の女神だよね?」

ディルナが寝てばかりいて動けなくなった女神だという事を、クリフが思い出さなければいいと願いながら、クレオはさっさとカードを集め始めた。

「きっとね、やり方を間違えたのよ。もう一回やろ。ね、もう一回!」

「あ、うん」

「次はきっと大丈夫!」

二人は顔を見合わせ、力強く頷いた。

そしてそれから二人は、四十七回、銅貨を投げた。

「二人はもう寝たかしら?」

ルクレリアは手をふと休めて夫に聞いた。チェスターは熱心に新しいスープ皿を磨いていて、彼女は繕い物をしていた。そうそう新しい服を作る、というわけにいかない。しかし子供は成長し、また元気なのはいい事だが、よく破くのだ。ここのところ、繕い物はルクレリアの日課と化している。だから今夜も彼女はかぎ裂きを縫っていたのだ。

チェスターは家で使う皿を全て、カゴラの木から掘り出していた。不器用そうに見える、ごつごつとした手からは考えられぬほどの細かい細工が生まれる。机や椅子なども、チェスターの父が作ったもの以外は全て、彼が作った。森にはいくらでも木が生えている。こういった家具や食器、冬の薪など、材料に事欠く事はなかった。

チェスターは皿を磨く手を休めず、ルクレリアの問いに答えた。無愛想に聞こえる低い声は、しかし温かみに溢れている。

「そうだな……二人とももう寝てるだろう。何か気になるのか?」

「夕食の時、何だか疲れたような顔をしてたでしょう? 何か辛い事でもあったのかなと思って」

そう言いながら、ルクレリアは最後の部分を縫い終わり、糸を切った。

「……また隣んちのギューと喧嘩でもしたかな。様子を見にいってみるか」

チェスターの無骨な手が、美しく磨かれたスープ皿を床に置く。二人は音を立てぬように階段を上がると、子供たちがすやすやと寝ている筈の寝室を覗き込んだ。ルクレリアが、そっと声をかけてみる。

「クリフ、クレオ、もう寝たの?」

「……お母さん?」

「あら、まだ起きてたのね」

むくりと影が二つ、起き上がる。窓を閉めてあるので、部屋の中は真っ暗だ。彼らがもっと小さかった頃は、暗闇が怖いといって嫌がったものだが、今ではそんな事もない。

「眠れないんだ」

クリフが、目をこすりながら言う。チェスターは腕組みをして、息をついた。

「そりゃ困ったな。いっぱい寝ておかないと、狩猟祭も楽しめないぞ」

ルクレリアが窓を細く開けると、メルィーズの淡い光が部屋に差し込んだ。あからさまにうなだれている二人が、両親の目に映る。

「……占いをしたの。だけど、何度やっても上手くいかなかったの」

「狩猟祭の駆け競べ、きっと負けるんだ」

呟く二人に、両親は顔を見合わせた。チェスターが二人の肩を力強く叩き、ルクレリアが優しく言って聞かせる。

「大丈夫よ、二人とも。占いっていうのはね、その結果が必ず起きるとは限らないの。占いの結果は『絶対』じゃないのよ。それに、クレオはまだそれほど上手くないでしょう? 失敗した占いの結果より、お母さんの言葉を信じていいわ」

「う、うん」

まだ不安げな表情を見せる二人に、ルクレリアはふんわりと微笑んだ。それは、誰もが思わず微笑み返してしまうような、そんな安らぎを持っていた。ルクレリアの笑顔は、いつでも子供たちにも限りない安心を与えてくれる。

「二人が今夜よく眠れるように、いい夢が見られて、明日も元気で過ごせるように、おまじないをしましょうね」

そう言うと、ルクレリアは二人の髪に優しく触れた。かすかな声で、不思議な言葉を唱えて始める。ゆっくりとした、流れる歌のように聞こえるまじないが、二人のまぶたを閉じさせていく。子守唄のようなルクレリアの声がそっと途切れた時には、双生児の静かな寝息だけが部屋に残っていた。チェスターが音を立てぬようにして窓を閉めた事も、両親が部屋を出て、ルクレリアがそっと扉を閉めた事も、二人の子供は知らないままだった。

優しい夜風が森の木々を吹き抜け、木立をさわさわと揺らしている。空には三日月のメルィーズが浮かび、白い雲が穏やかに流れていく。村は、静かに眠っていた。

「……結局、狩猟祭の駆け競べはクリフが一等賞だったのよ」

話し終わったクレオは、遠い日々を懐かしむように目を閉じた。

「へぇ」

柔らかな巻き毛の少年エイルが、感心したように頷く。それから、にやっと笑った。

「じゃあ、やはりお前の占いは外れたんだな」

「そんな言い方しなくたっていいでしょ。それに、今はもっと上手く出来るもの」

「当たるかどうか、じゃあやってみろ」

「嫌よ」

「偉そうに、私に逆らう気か?」

「何で私があんたの言う事聞いてあげなきゃいけないわけ?」

「何だと!」

いきり立つエイルと、受けて立つわとばかりに立ち上がるクレオ。こうした二人のやり取りは昨日今日に始まった事ではない。クリフたちも、もうすっかり慣れっこになっていた。しかしこのまま放っておくというわけにもいかない。クリフは「しょうがないなぁ」とでも言いたげに頭をかいた。

「まあまあクレオ、占ってあげればいいじゃない」

「クリフまでエイルの味方なの?」

「そういうんじゃなくて、えーっと、あ、明日は晴れるかなって思ったからさ」

小さい頃と同じように、クリフが提案する。

「当たるかどうか分からんがな」……そう言おうとして、エイルは身を乗り出した。が、その肩に暖かな手の重みを感じて振り返る。深い緑の瞳が自分を優しく見ていた。

「それ以上言わない方がよろしいと思いますよ」

エイルは唇を尖らしたが、それ以上は何も言わず、並べられたカードに見入った。

木々に囲まれた小さな森の広場で、四人が囲む焚き火は消える事なく燃え盛っている。低い山鳥の声が、どこか遠くから聞こえる。夜は、優しく更けていった。

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