単独行動

俺は今、ミチロ皇国への街道をたった一人で歩いている。群れるのは趣味じゃない。俺はいつも単独行動だ。

この間までいたカルミラで、内戦が起こった。その内始まるだろうと思っていたが、ついに、というところだ。とてもじゃないが、平和に暮らせやしない。そうなると、武器の輸出を一手に引き受けるミチロ皇国が一番平和で、一番裕福という事になる。裕福だということは、金持ちが多いということで、つまり、盗賊の俺が働く場所が用意されてるということになる。

俺には仲間もいないし、家族もいない。リュークと名乗ってはいるが、本当の名前すらもわからない。最初の記憶は広い野原に座り込んでいた時の事。強い風が吹いていて、ひどく寒かったのを覚えている。その時の俺が持っていたものといえば首から下げていた小さな指輪一つ。内側にリュークと刻まれていたらしい。俺はまだ字も読めなかった。

とにかく腹が減ってた。寒くて、腹が減って、死にそうだった。通りがかった旅人に運良く拾われ、命は助かった。が、奴隷商人に売り飛ばされてひどい目に遭った。買われた先の大富豪の家から逃げ出して、後はお決まりの浮浪者暮らし。人のものを掠め取るような盗賊を生涯の生業と定め、ギルドで世話になったりもしたが、今は放浪の身だ。多くの国を流れ歩き、金持ちの奴らから盗んだ宝石などを売り飛ばしたりする事で生計を立てているってわけ。……もう、こんな生活にも慣れちまった。そして、一人で生きていくことにも。

ミチロ皇国まではそんなに遠かない。このままいけばあと半日足らずで着くはずだ。きちんと整備された街道の両脇は、しばらく前までは荒野だったのがつい先ほどから緑が目立ち始め、今は藪というか茂みというか、そういうものに変わっている。空は青く、雲ひとつなく澄み渡っている。日が暮れる頃にはミチロに着ける。俺はいい気分で歩いていた。緑の間を歩いていると、突然、木の間から何かが飛び出した。俺は思わず、こういう茂みをねぐらとする強盗かと思い身構えた。右手はしっかりと剣の柄にかかっている。

「待って! 斬らないで!!」

甲高い声に虚をつかれ、改めて相手を見る。……なんと、こんなところにはいるはずもない若い娘だ。見た目、十四か十五くらいに見える。背は俺の肩くらいか、小さめだ。息を弾ませている。顔は青ざめ、茶色の髪も振り乱し、青い外套も肩から落ちそうになったのを必死に左手で押さえているという有様。いかにも一生懸命走ってきたという風だ。とはいっても、茂みの中を……?

「あのね、あたしっ、お、おっ……!」

少女はあせってしどろもどろになっている。その様子から推測するに……。

「追われてんのか?」

「そう!! そう言いたかったの! よく分かったね!」

大きな目を見開き、驚いたような、どこか嬉しそうな表情を見せる。無邪気そうな笑顔が割と可愛い。俺はついいつもの癖が出そうになった。

「って、そんな場合じゃ……」

俺が言い終わる前に、茂みから大きな動物のようなものが彼女に向かって飛び出した。反射的に剣を抜き、頭を抱えてうずくまった彼女の頭越し、力任せに切りつけた。剣は見事に肉を裂き、嫌な感触が剣を伝ってくる。鋭く低い咆哮を上げ、肩に俺の剣を食い込ませたまま、そいつは体をのけぞらせた。

「きゃあっ!」

力いっぱい剣を引き抜くと、そいつの体から血が噴き出し、彼女の上から降り注いだ。なおも起き上がろうともがく姿は、どうやら大きなユガールのようだ。肉食獣で、飢えていれば人も襲う。十分すぎるほどの猛獣だ。俺はもう一度剣を振り下ろし、苦しそうにあえぐそいつにとどめをくれてやった。ユガールは断末魔の叫びをあげ、その場に倒れて息絶えた。

手で顔をふさいでしゃがんだままだった彼女は、静かになったのを感じたのか、ゆっくり顔を上げる。

「お、終わった?」

俺は剣についたユガールの血を振り落とし、息を整えた。

「ああ。もう大丈夫だ」

「良かったあ……。ありがとう、あの……お礼を……」

「んなコトよりなぁ、どっから出てくんだよ。茂みの中なんかに入るなっての」

「え、ああ、これ茂みよね、そういえば。駄目なの?」

どうやら何にも知らない子供のようだ。茂みに多く潜む強盗や、危険な動物に襲われないように、わざわざ魔よけをした街道を敷いているってのに。こんな危ない奴の相手はいつまでもしてられん……と、歩き始めた俺の後を、少女はごく無邪気な顔でついてくる。しばらく無言で歩いた後、俺は我慢出来なくなって振り向いた。

「おい、なんなんだ、お前?!」

「あたし? あたしはね、ルーア」

「そんなこと聞いてねえよ。なんでついてくんだ」

「だって……どっちに行ったらいいか分かんないんだもん」

大きく嘆息し、肩を落とす。こんなところで世間知らずそうな子供一人見捨てていったら、また茂みの中に入ったりして襲われるかも知れない。実際のところ、年齢は俺と大して違わないのだろうが、どう考えても経験不足だ。一人で旅をする事に慣れているとは、到底思えなかった。さすがの俺でも、この少女を一人にしていくのは後ろめたかった。仕方がない、ミチロ皇国までは連れて行くか。こうしてルーアという名の少女が一人、俺の短い旅に同行することになった。

ルーアと名乗った少女は、見た目ほど子供ではないらしい。自分では十7だと言った。んな馬鹿な。まさか俺と同い年だとは。魔法を使ったら失敗した、見知らぬ土地に着いてしまった、と言う。場所を転移する魔法なんてもの、俺は聞いた事もなかった。余程の魔術士でなきゃ使えない高等な魔法なんじゃないだろうか。すごいじゃないか、と言ったらルーアの家系は代々、生まれつき転移の魔法が使えるらしい。だがルーアはそれ以外がからきし駄目なんだとか。

「それでさ、いきなり森の中に出ちゃうしさ、獣は襲ってくるしさ、もお、大変だったんだから!」

「それで?」

「だからぁ……一緒に連れてってよ」

「ふざけんなよ。なんで俺がそん……」

「あっ、ねえねえ、名前聞いてなかったよね! なんていう名前なの?」

人の話を聞かない奴だ……。

「グレイ。あだ名みたいなもんだけどな」

俺は大抵の場合、本名を言わないことにしてる。どこまで悪名が広がってるか分かんないしな。

「ふうん。本当の名前は?」

「秘密……って、連れて行くって言ってねえぞ、俺は!」

「ルーア、ずっとついてくもーん」

「家に帰れよ!」

「どこだか分かんないもん」

「俺は連れてかねえぞ」

「ついてくからいいもん!」

「茂みん中に放り込むぞ」

「グレイにそんなこと出来ないね」

「勝手に決めるな!」

……と、こんな感じのやり取りをしばらく繰り返して、俺はいい加減嫌になってきた。家の場所が本当に分からないのか、戻りたくないのか、ルーアは「分かんない」の一点張りだ。聞き出そうとしても、必死で話をそらそうとする。一人ではさぞ心細いことだろう、と思って俺は後悔した。一回思ったら、可哀想になってきちまったじゃないか。俺はもう一度、深いため息をついて空を見上げた。

「分かったよ! じゃあ、まあついて来い。けど、俺はミチロに行った後、どこに行くかわかんないし、世界中を回るぜ」

「うん! そのうちに私の家に着くよね♪ それまであたし、グレイについてく、一緒にいる!!」

「……やれやれ」

ミチロ皇国に入った頃には、夕日が空を赤く染めていた。東の空はすでに夜を運んできている。赤から群青への美しい夕焼けは、まるでミチロ皇国の平和を象徴しているかのようだった。

ルーアはすっかり俺になつき、うろちょろとまとわりついていた。やれやれ、何の因果で俺がこんなガキを連れて歩かなきゃいけないんだ。ルーアは、年は同じでも、俺にとって子供にしか見えなかった。仕事をするにも、正直に言って、かなり邪魔だ。

宿を見つけ、夕食と酒で腹を満たした頃には、空には満天の星が輝いていた。酒場の2階が客室になっているという、典型的な宿屋の部屋に入ると、ルーアは疲れたのかすぐに寝入ってしまった。俺はもう一度酒場にいき、情報収集に努める。

時間を見計らうのが、良い盗賊の勘ってもんだ。良い盗賊ってのもなんだか訳が分からねえが。夜が更け、港の明かりが静かな水面に揺れ、町全体が寝入った頃。俺は一人、宿屋を抜け出した。

町へ着いてすぐ、目標の家は決めてあった。町でも有数の金持ち、ラーチェスの屋敷だ。酒場で聞いた噂では、ラーチェスというやつはかなり嫌われているらしく、こいつの家から盗んでも町民たちに恨まれるようなことはなさそうだった。しかも、屋敷には有名なドレスブルーと呼ばれる宝石があるという。これは絶好の獲物。俺は思わずにやついた。

ところが、事はそう簡単には運ばなかった。ラーチェスの屋敷では見回りの衛兵だけじゃなく、優秀な傭兵も雇われていたのだ。やすやすとドレスブルーを盗ませてはくれなかった。屋敷の中の壁際、傭兵の死角になっているところに隠れたままで、俺は頭をひねった。これからどうするか……。と、目の前の空間が妙にゆがんだ。なんだこれ。おいおい、まさか。だが、嫌な予感。この妙な感覚は確か、転移の……。

「いたあ! グレイ、どこ行っちゃったのかと思ったよぉ!!」

「しいいいいいいっ!!」

思ったとおり、その空間から寝ぼけまなこのルーアが現れ、俺を指差しながら大声を出した。俺は慌ててルーアの口を押さえる。ひそひそと、しかし焦って詰問する。

「どうしてここが分かった、何で来た」

「んー、近ければイメージを辿って転移出来るんだよねー。って、こんなとこで何してるのぉ?」

「……」

もとより、この少女に盗みに入ったところで動けなくなっている、などと言えるはずもない。黙ってしまった俺にはお構いなしで、彼女はきょろきょろと周りをみまわし、ぽん、と手を打った。そして手を口に当て、俺に囁くように言った。

「分かった。隠れんぼでしょ!」

阿呆か! こんな夜中に一人でやる奴がいるかってんだ。呆れた俺はルーアにさっさと帰るよう、説得を開始した。しかし彼女は違うなら説明してくれとせがむ。ほとんど意味のないような問答を続けた後、俺はどうにもならなくなって、ドレスブルーのことを説明せざるをえなくなった。すると、意外と彼女は驚かず、俺に向かってこう言ったんだ。

「へえ、盗賊だったんだぁ、グレイってば、やるじゃない! かっこいい〜! ねえ、じゃあ、あたしが手伝ってあげようか?」

「はあ?」

「へへ、ドレスブルーってどんな感じ? どっちの方向にあるの?」

「えっと、こんくらいのブルーの宝石で、あっち、あの傭兵たちが固まってる倉庫の中にある。……ってそんなこと説明してどうすんだよ」

「あの中ね? ちょっと待ってて、取ってくる」

俺の言う事なんか聞いちゃいないって風で、ルーアは言うが早いか転移の魔法を唱えていなくなってしまった。……。

……こんな事で盗んでこれるなんて、盗賊の商売あがったりだ。でも本当にそんな簡単に取ってこれちまうのか? そうだったら仕方ない、俺も魔法覚えるかなあ……あ、でも転移の魔法は難しいんだっけ? ……なんてことをつらつらと考えているうちに、ルーアは戻ってきた。目の前がゆらゆらとして、ルーアの茶色の髪が見える。

「はい、これ。これがドレスブルー?」

両手の手のひらに綺麗な宝石が乗っていた。紛れもない、ドレスブルーだ……。

「あ、ああ。そうだ、これがドレスブルーだよ」

「じゃ、帰ろっか」

ルーアは軽く言って、にっこり笑った。

しかし宿に帰るまでは、それほど簡単には行かなかった。なぜかといえばルーアは転移の魔法ですぐに帰ってしまえるが、俺を連れては帰れなかったからだ。俺は自力でラーチェスの屋敷を脱出しなければならなかった。しかしまあ、忍び込むよりは、出るほうが楽なのは道理。しかも俺はドレスブルーどころか、なにも持ち出していないのだから、捕まっても侵入罪がせいぜいで、窃盗罪にはならない。俺は安心して屋敷を抜け出した。

宿に帰るとルーアはすでに寝息を立てていた。

「グレイ……」

寝言か。可愛いじゃねえか。俺は柄にもなくちょっと嬉しくなったりして、頭をかいた。誰かと一緒にいるってのも、案外いいもんだな……。その夜、俺は幸せな気持ちで床についた。

翌日から俺とルーアは稼ぎまくった。まずは俺が獲物の近くまで侵入し、ルーアが俺のイメージを辿って転移してくる。そしてそこから俺が宝物倉を示し、ルーアが取ってくるという寸法だ。一週間もすると、俺たちの宿の部屋には、袋にいっぱいの宝石が隠されるようになり、町の掲示板には疾風のように現れた盗賊のことが連日、書きたてられるようになった。どんな厳重な警備も突破するというので、かなり有名になっているようだ。俺たちはその看板を見て、笑いを隠すのに一生懸命だった。

とはいえ、そうそういつまでも稼いでいられるわけではない。いつ、宿屋の部屋が見つかるかもわからないのだから。十日が経つ前に、俺たちはその街を発つことにした。その頃になると俺たちはすっかり盗賊仲間の意識が高まっていて、俺ももう既にルーアを邪魔だとは思わなくなっていた。むしろ、いなくてはならない存在になっていた。俺が今まで生きてきた中で、そんな存在は邪魔なだけだった。自分の内側に入ってくる奴なんていなかった。他人を疑わなくちゃ生きていけなかった。俺は、そうして生きてきたから……。でも、ルーアは否応なく俺の生活に入ってきた。そして今は……俺にとって大切な存在になっちまったんだ。

ルーアは俺が帰ってくるといつも、優しい言葉をかけた。ルーアは俺の瞳が気に入ったようで、綺麗だ綺麗だと言った。俺にはそんな小さなことが嬉しかった。俺にとっては初めての妹のような、友人のような、そしてまた恋人のような存在になっていたのだ。その存在はたった十日足らずで、とてもいとおしくなっていた。ルーアはそんな俺の変化を知ってか知らずか、会った頃と変わらずに俺にまとわりついていた。

そしてとうとうミチロ皇国を出発しようという日。その日の朝は晴れていて、ルーアと初めて出会った日を思わせるようないい天気だった。俺は歌でも歌いたいような気分で仕度をして、ルーアに声をかけた。

「おはよう、ルーア」

「おはよ! グレイ♪ 今日も元気だね」

「ああ、元気さ。今日はいよいよミチロを出るぜ」

「うんっ! あたし、グレイについてくからね♪」

「ああ」

その時の俺は、妙に素直になっていた。そして、彼女にグレイと呼ばれる事に、なんとなく嫌気が差していたんだ。

「なあ、最初に会ったとき、俺の本名聞いたの覚えてるか?」

「え? う〜ん、そうだっけ。グレイって本名じゃないの?」

「違うんだ、俺は……」

俺が言いかけたとき、部屋の中にゆらゆらとした空間が突如出現した。ルーアはここにいるのに、転移の魔法……? まさか、この町の金持ちの誰かが雇った高等魔術師か?! 一瞬怯えたのだが、その空間から現れたのは、変哲もない女性。単なるおばさんだった。

「ルーアっ!!」

現れると共にルーアに駆け寄ったその人に抱きすくめられ、ルーアは目を丸くして叫ぶ。

「お母さんっ?!」

確かに、その人はルーアとよく似ていた。茶色の髪を高く結い上げ、優しげな顔をしている。

「ルーア、やっと見つけたわ! お母さん、すごく探したのよ。びっくりしたわ、こんなところにいたなんて……。修行から逃げ出したのはもう許すから、うちへ帰りましょう!」

「ちょ、ちょっと待ってよ、お母さん! あたし、あたしまだ帰れないよ! グレイと一緒に行く約束したんだもん!!」

「グレイ……?」

ルーアの母親は初めて俺に気づいたかのように振り返り、そして蔑むような目で俺を見た。……そう、俺が一番嫌いな目つきだ。自分の顔が表情をなくし、自分の目が冷たくなっていくのを感じながら、俺はただ黙って立ち尽くしていた。

「うちの娘になんて言い寄ったのか知らないけど、恥を知りなさい!」

「お母さん!! ひどいわ、グレイはいい人よ、盗賊だけど優しいのよ、あたし、グレイと一緒にいたいの! 修行なんて嫌よ」

「なに言ってるの、盗賊にいい人なんていないのよ! さあ、お母さんの転移についてきなさい。帰るわよ! お父さんも心配してるから……」

そういって彼女はすぐに転移の呪文を唱え始めた。彼女の周りがゆらっとしたかと思うと、ルーアもそれに引きずられるようにして徐々に消え始める。俺は刹那、手を伸ばしてルーアをひきとめようとしたが、もう既に魔法陣の中に入り込んでいた。ルーアの泣きそうな顔がどんどん掠れていく。彼女の叫ぶ声も空間に吸い込まれるようにか細く消えて行った。

「グレイ! あたし、一緒にいるって約束したんだから! グレイと一緒に……!」

「ルーア! 俺は……」

俺は自分の名前を言えることなく、手は空をつかんで……。俺は呆然としたまま、その場に一人で取り残された。つい今の今までルーアがいた空間には、何も残ってはいない。ただそこには虚無だけがあった。

そして俺は今、ミチロ皇国からの街道をたった一人で歩いている。

緑の木々を両側にみて、青い空を見上げ、ルーアと出会った場所も通り過ぎ、ずっとずっとたった一人で。きっともう、出会う事もないだろう。そう、これでいいんだ。いつだって俺は単独行動だったじゃないか。俺は一人きりの盗賊。だから、別に何も気にしちゃいない。……ただ、俺の名を彼女に言えなかった事だけが、ささくれのように残っている。

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