小さな村では、大通りといっても人の数は多くない。

いくつかの店が軒を連ねてはいるけれど、客もまばらな午後はそれも閑散として、静けさが覆いかぶさっている。

この村の冬は寒い。

春になり、温かな南風が吹けば、一年が終わり、新たな一年が始まる。だがそれはまだ遠く、はるか先に思われた。

夕食の準備にかまどの火を起こすにはまだ早い午後のひととき、その寒々とした通りを一人、走り抜ける者がいた。

小さなつばのついた皮の帽子をかぶり、肩から大きな鞄を斜めにかけている。立派な青年というには少し幼さが残る顔立ちで、決して美形ではないが、つんと上向いた鼻が愛嬌だ。

真剣な、というより険しい顔つきで、彼は今、一軒の家を目指して走っていた。

家の中では、一人の女性がゆりかごを揺らしていた。夫手製の、大きなゆりかご。無骨ながら温かみのあるそれは、いつ見ても心が和む。

静かな午後の一時を、彼女は疲れを感じつつもゆっくりと過ごしていた。

「珍しいわ……いつもどちらかが泣いているのにね」

ゆりかごの中では、二人の赤ん坊が頭をくっつけるようにして眠っている。寝顔を見て、ルクレリアはふっと柔らかな笑みをもらした。

扉が叩かれる音がしたのは、その時であった。途端に目を覚ました赤ん坊は二人そろって大きな泣き声を上げ始める。ルクレリアは大きく嘆息すると、よろりと立ち上がった。扉に向かい、開けると、外の寒気がすばやく足元に吹き込む。

「入ってくれる?」

「寒いですからね……じゃ、失礼して」

郵便配達のマーカムは、上向いた鼻を服の袖で拭き、部屋の中にするりと入り込んだ。

「今日も元気ですね、赤ちゃんたち」

「……さっきまで寝てたんだけどね」

「えっ、俺、起こしちゃいましたか?」

「まあね。いいのよ、気にしないで。お茶でもどう?」

「そんな、いいんです。俺、仕事しなきゃ……えっと」

肩にかけた大きな鞄を探る。目当ての物はすぐには見つからないようだった。

ルクレリアは泣いている赤ん坊を一人ずつ抱き上げ、あやしつつ、お茶の準備を始めた。

「今日は、ロアンは一緒じゃないの?」

年を取ったロアンが、甥っ子だというマーカムを連れて配達の仕事に回るようになったのは半年ほど前のことだった。

「ええ、腰の具合が悪いって、数日前から休んでます。口だけは達者だからうるさくって……」

苦笑しながら、マーカムはまだ鞄の中をひっかきまわしている。

「まあでも、おじさんが俺一人じゃまだまだだって言うのは本当ですけどね。お前は修行が足りん、もっと走れ、ってね」

口のひねり方がロアンにそっくりだ。叔父の口癖をまねるマーカムに、ルクレリアは思わず笑みをこぼした。

「ああ、あった。これこれ」

ようやく見つけ出した封筒は、どこといって特徴のない、ごく普通のものだった。だが、差出人は、今まで初めて見た相手だった。

「……母様!」

「ええ」

夫のチェスターへの家族や友人からの手紙は、今までもあった。けれど、彼女宛の手紙は一通もない。手紙をくれるような友人はいなかったし、唯一の家族である母からは音沙汰がなかった。

新しい家に暮らし始めてから、何度手紙を出しても返事はなかった。母の反対を押し切って、駆け落ち同然に家を出たのである。それは仕方のないことかもしれない。そうは思っても、やはり悲しく思っていた。それが、先日出した、子どもが生まれたことを報告した手紙に、返信をくれたのだろうか。そうとしか考えられない。ルクレリアは胸を高鳴らせて封を切った。

だが、そこにあった言葉は、彼女の期待を裏切った。

「……っ」

マーカムの存在が、泣き崩れるのをなんとか防いでいる。けれど、涙を完全に防ぐことはできなかった。

「母は……やっぱり、私を……」

情緒豊かな彼女には上手く言い表せない感情が、溢れ、零れ落ちる。マーカムはそのまま立ち去ることもできず、かといって口を開くこともできず、居心地悪そうに佇んでいた。何かを言おうとして、けれどやはりそれを思い止まり、眉をしかめて、長いことマーカムは部屋の隅に立っていた。

「ごめん、なさい。取り乱しちゃって……」

やがて、ルクレリアが大きく息をつくと、マーカムも深く息を吐き出して首を横に振った。

「仕方ないわよね。私は家を捨ててきたのだし、双子は……不吉だって言われているし。勘当って言われても、当たり前だわ」

マーカムは唇を尖らせ、視線を床に向けて落ち着きなく動かしている。

「あの人のことはもう、吹っ切らなくてはね」

自分に言い聞かせているのか、ルクレリアはゆりかごに寝かせた赤ん坊の頭をなでて、小さな声で、けれどはっきりと宣言した。

「あ、あの、俺、これで……」

ぼそぼそとした声で言うマーカムを振り返り、ルクレリアは笑顔を作った。

「お手紙、届けてくれてありがとう、マーカム。ロアンによろしくね」

淋しさの残る、無理に作ったその笑顔を見た時、マーカムは胸が痛んだ。そして、もう我慢できない、と悟った。

「あの……配達人は、手紙や小包を届けるのが仕事だから、それ以外の言葉は、聞いても、相手に伝えたりとかしちゃいけないんです。仕事以上のことはするなって、いつも叔父が言います。だから、これは、俺の独り言です」

「え?」

早口で告げられ、ルクレリアは眉をひそめている。マーカムはルクレリアから目を逸らし、天井を見上げて呟いた。

「『本当はあの子が羨ましい。生まれた子を、何の縛りもなくただ愛せるあの子が。置いてきた過去のことは忘れ、家族との未来を愛していってくれれば、それでいい。私にはできなかった』……と、呟いていたのを、俺は……」

「マーカム!」

彼女は口元を両手で覆い、目の前の青年を凝視して動けなかった。

「俺は……配達人として、まだまだです。仕事以上のことをしては、いけないんです」

「ありがとう……マーカム」

ルクレリアの視界が、涙で歪んだ。マーカムはもう何も言わず、家から出ていった。大きな扉から、冬の冷たい風が室内に吹き込む。春はまだ、遠い。けれど、ルクレリアの胸の中には温かな何かが満ちていった。

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