「先生! どうかお願いします、どうか……」
「わしはそんな呼び名で呼ばれるような者ではない」
「いえしかし……では、その、レシラード様、どうかお願いします!」
「……」
「どうしてもレシラード様に、との、たっての願いなのです」
「領主だろうが何だろうが、わしはわしの作りたいものを作る」
「こんなに大きな、やりがいのある仕事は他にないと思います。城の門ですよ? 領主様は、どこよりも立派な門にしたいとの仰せなのです。その意匠から、作成に至るまで、すべての工程をあなた様にお任せしたいのです。つまり、総指揮を取っていただきたい。これは一代事業ですよ。その腕を存分に振って頂きたいのです。どうか、どうかお願いします」
「帰れ」
「そんな……!」
微動だにせず座っていた男は、つと立ち上がった。地に頭をつけんばかりの若者に視線を飛ばすが、黙ったまま、ぞんざいに背を向ける。
「先生!」
「帰れ」
短い言葉を投げ放ち、巨匠と呼ばれる男は扉の向こうに姿を消した。若者はその場にくず折れ、頭を抱えている。時がその流れを止めたかのように、しばらくはそのまま、何も、動かなかった。
レシラードが石を彫り始めたのは、父が彫刻家だったからだ。その父もまた、親の仕事を引き継ぐ形で石を彫っていた。つまり先祖代々の職人家業である。レシラードも、幼い頃からのみを握らされた。彼はそのまま、何の疑問を持つ事なく、石を彫り続けた。彼らの一族が作っていたのは、主に建物の装飾で、壁や扉などだった。しかしレシラードは二十歳を越えた頃から、造形美術に入れ込んだ。彼は動物や植物など、自然界の様々なものの彫刻を作った。そして何よりも、人物の彫像を彫った。
父を始め、周りの人間は芸術で飯が食えるもんか、と彼を叱った。だが、彼らの予想は大きく外れる事になる。
彼の作品にジーン、つまり美の女神が宿っている事は、誰の目にも明らかだった。彼が作る彫刻は在り来たりの像ではなく、神々しいまでの美しさと、圧倒的な存在感が見る者の心を打った。たちまち彼の元へ注文が殺到し、近隣諸国の王侯貴族が、屋敷に飾る像を求めた。レシラードは一心不乱に彫り続け、その後の人生をすべてと言っていいほど、彫刻に捧げた。彼の作る作品は年を追うごとに素晴らしさを増し、写実性を増し、まるで生きているかのごとくに見えた。
ところが、レシラードが五十を過ぎた頃の事。いつからとははっきりしないが、彼はのみを持たなくなった。受けた依頼をすべてこなし終わると、レシラードはすっかりのみを置いてしまったのである。
冒頭のようなやり取りは、それ以来数え切れぬほど起こったものだ。レシラードはいい加減うんざりしていた。もはや食うものに困る事はない。仕事をしなくてもいいのだという事に気づいた今、彼は「人の欲する何か」を作り出す事に嫌悪感を抱いていたのである。
――自分は何のために石を彫るのか。一体、何を作ろうとしているのか。
彼は悩み続け、答えが出ないままに時を過ごしていた。のみを握っては置き、素材となる石を撫でてはため息をつき、いたずらに時を費やす日々。自分が本当に造りたいものを求め続けたが、彼はもう、どうすればいいか分からなかった。
そんなある日の事である。
レシラードは大きな石を見つけた。それはアトリエの奥深くに置いてあった石で、彼のものである事は確かだったが、いつ、どこで手に入れたものかも思い出せない。買ったものか、はたまたどこかで拾ってきたのだろうか。弟子たちに聞いても、そんなものは今まで見た記憶がないと言う。家より広いアトリエに、まるで小山のように石が置いてあるのだから、その中のいくつかは出所不明という事もある。だが、家人の誰一人として、その石を見た覚えがないというのはおかしいではないか。レシラードは不審に思い、その石を弟子に運ばせた。
作業場の中央に置かれたそれは、威風堂々としていて、思った以上の迫力を持ってレシラードを圧倒した。まるで、何かを語りかけようともがいているように見える。はたから見ると何の変哲もない御影石だが、そのきめ細かい肌と、霧がかかったような風合いは、レシラードをぞくぞくさせた。背中や額に、じんわりと汗が浮かぶ。こんな感覚は初めてだった。何も言わず、色々な角度から石を見つめ、触り、また遠くから眺める。レシラードは、その晩ずっと、石と対峙し続けた。そして翌朝、作業場から聞こえた叫び声に、弟子たちは寝ぼけ眼を見合わせたのである。
「これだ!!」
弟子たちは慌てて作業場に駆けつけ、扉を開け放った。部屋の中央では、レシラードが両手を天に掲げ、太陽神ハーディスに祈りを捧げているのが見える。天井を大きく開けた作業場には、今まさに昇らんとする太陽の光が満ち、レシラードの横では、まだただの塊でしかない、あの御影石がきらめいていた。
貧民街で育つ、という事は、少年にとって不幸な事であったが、同時に気概を起こさせるよい事でもあった。いつかこんなところを抜け出してやる、俺は大物になって歴史に名を残すのだ、と少年は思っていた。ただ、今はまだ具体的な案が思い浮かばないだけである。そんな少年は、周りから見れば夢見がちな子供であり、馬鹿にされてばかりの毎日だった。
「今は何とでも言うがいいさ、俺はいつか……」
「大物になるって言うんでしょ、はいはい」
溜息交じりで肩をすくめるのは、やはり同じ貧民街育ちの少女だ。
「いつだってまともに聞いてくれないんだからな」
「もう、耳にたこが出来るほど聞いたからね」
「でもな、本当に俺はいつか大物になるんだ」
「ああそうね、いつかね」
少女は何も冷たく当たっているわけではない。そんな甘えた事を言っていては、日々の糧を得ることは出来ないのだ。彼女は忙しく手を動かして野菜かごの中身を選別しながら彼の話を流し聞きしていた。彼らの育った環境の成せる業である。少年もそれを痛いほど分かっていた。塀の脇で靴を磨くのが、少年に課された仕事の一つだった。この他にも、配達、清掃、洗濯の請負などなど、仕事はいくらでもあった。賃金が安く、いくらやってもさほど儲からないのが不満ではあったが、日々の糧を得るためには、死に物狂いで働かなければ間に合わない。毎日息子に暴力を加え、働かせ、自分は酒ばかり飲んでいる父がいる。本当は夢を語っている暇などない。だが、少年にとっては何もかもが自分を鍛える試練だと思えた。今は耐えるんだ。だが、いつか時が来たら……。彼は諦めという言葉を知らなかった。
少女は野菜のかごを背負いなおすと、別れを告げる。
「じゃあね。あんたもちゃんと仕事しないと、また親父さんにぶっとばされるわよ」
「分かってらぁ」
少年は威勢良く言い返し、腰掛けていた塀から飛び降りる。少女に手を振ると、斜めになった小さな椅子に座り、客を待った。半日座っていれば、幾人かの客が靴を磨けと言う。丁寧に磨いてやれば、それなりにもらえるのだ。稼ぎは安定しなかったが、考え事をするのにはもってこいの商売である。少年はいつものように遠い国々や、見たことのない風景を思い描き、想像を馳せた。
靴が台の上に置かれる。ふと見れば、磨く必要もないほど綺麗な靴だ。
「これを磨くのかい?」
少年が顔を上げると、不自然なほど真剣な眼差しがむけられていた。
「な、なんだい、あんた」
「お前だ、ようやく見つけた!」
豊かな、とは言えない頭髪に、短いあごひげ。綺麗に整った身なりはその男が裕福である事を示している。だが何よりも、その鋭い目つきが少年を圧倒していた。
「わしはレシラード。お前は今からわしと一緒に来るのだ。さあ来い!」
目を白黒させている内に少年は腕を引っつかまれ、無理やり立たされた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、急にそんな事言われたって困るぜ。商売道具もあるし、親父にどやされるよ」
「では家を教えろ。わしが親父殿を説得しに行っている間にこの道具を片付けておけ」
「そんな……」
「早くせい」
威圧的な物言いに、少年は逆らう事も出来ずに、街路の向こうを指し示した。彼の家はすぐ近くである。
「あそこだけど……今は親父、寝てるよ。酔っ払って明け方に帰ってきたんだから。それに説得ったってさ」
「あそこだな、よし」
老人と言ってもいいような年齢であったが、レシラードはきびきびとした動きで街路を横切り、少年の示した家に入っていった。
「何なんだ、あのじいさんは……」
少年はレシラードの家に着くや否や、名乗る暇もなく椅子に座らされた。レシラードは机の向こうに座り、少年の顔をじっと見つめている。
「あのさ……」
「黙っておれ」
立たされたり、座らされたり、両手を挙げてみろだの、後ろを向けだの、色々と注文をつけられ、少年は訳が分からない。が、移動しようとすると、レシラードの叱咤が飛ぶ。何がなんだか分からぬまま、小一時間も経っただろうか。レシラードはようやく深い息をついて、少年に手で座るよう示した。
「突然の事ですまなんだな。お前と会話をして、イメージが崩れる前に観察しておきたかったのだ」
この老人はまた妙な事を言う、と少年が訝しんでいると、老人は初めて相好を崩した。
「そうか、わしを知らんな?」
「知るわけねえじゃん」
「わしはレシラードと言う。先ほども言ったかな……まあいい。職業は彫刻家だ。お前の像を彫りたくてな」
「なんでいきなり俺なのさ。俺はあんたなんか知らないし、あんただって俺を知らなかっただろう?」
「ああそうだな、お前が誰で、どこで何をしているかなど、まったく知らん。今もって興味もない。だがお前に間違いないんじゃ。どう説明すればいいかな……ともかく、ひらめいたんじゃ」
「ひらめいたって言われても、何がなんだか分かんねえよ」
「そうか、そうだな。うむ、わしは話すのがあまり得意ではない。どう言えば良いかな、うーむ……」
腕組みをして真剣に考え込む姿は、少年の笑いを誘った。
「変なじいさんだな」
「む、そうかも知れん。とにかくだな、わしは自分の彫りたいものが分からなんだ。ずっと悩んでおった。それが、あの石に出会ってな、ひらめいたんじゃよ」
「石……?」
そういえばこのだだっ広い部屋に連れてこられた時、部屋の中央に、大きな石が置いてあるなと思った。高さは少年の身長の二倍ほどもありそうだ。全体としては長方形に近い形だったが、何とはなしに人の形をしているようにも見える。
「あれを、彫るの?」
「そうだ」
「じいさんが?」
「じいさんじいさん言うな。体力は少々衰えたが、技術では若い者には到底負けん。いやそれはいいとしてだな、あの石を見ていると……その、何か見えてこないか?」
「……さあ」
「もっと近寄って見ろ」
レシラードに腕をつかまれ、石の近くへ引きずられる。それは確かに老人と思えぬほどの腕力であった。言われるがままに、じっと眺めてみる。しばらく眺めてみたが、何も見えない。というより、単なる石の塊である。後ろに回ってみたり、首を傾けてみたり、色々と試してみたが、さっぱり分からない。横目でレシラードを見ると、彼は目を輝かせて石を見つめている。嬉しそうに、楽しそうに。それは、少年がまだ見ぬ地を想像する時の表情と同じだった。しわの刻まれたその顔を見ていた少年は、ふと石の表面に目を戻す。すると、その奥に何かが見えたような気がした。慌てて、目を凝らす。だが、見えた気がしたその姿は、かき消えたように見えなくなってしまった。
「何か見えたか?」
レシラードが優しく問いかける。
「多分……よく分からないけど、人みたいな……」
「そうか、お前にも見えたか」
「あれは何なのかな」
「わしはずっと、作るもんだと思うとった」
レシラードは少年の問いかけに答えず、ゆっくりと語りだした。
「石を割り、削り、彫り……自分が像を作っているのだと思っていた。だが、違う。石の中に、それは『いる』のだ。それはもう、出来ているのだ。後はただ、出してやるだけだ」
「出してやる、って……」
「先日この石を眺めておった時、わしはこの中に青年を見た。凛々しい顔をして……そう、英雄の顔だ。青年はまるでこの石から出してくれと言っておるようだった。わしは居ても立ってもいられず、翌日からすぐに石を削りだした。だがな、違うのだ。わしがこの手で作るのではない。わし一人では出来ん。そう思った」
そう言いながら、レシラードは石を、いとおしそうに撫でた。
「この中の青年は、わしの知らない男じゃ。わしはこいつの顔を見た事がない。どうすればいいか悩んでいたら、今日、お前に会ったのだ」
「俺が……?」
「そうだ。わしがこの石の中に見た青年は、紛れもなくお前だったのだ。何故分かったのか、などと聞くなよ? わしにも分からんのだ。普段は歩かんような街に足を向けたのも、何故だか分からん。とにかくふと、目に付いたので、靴を磨いてもらおうと思ったら、そこにお前が座っていたのだ。その顔を見た時の、わしの驚きが分かるか?」
「そりゃ、驚くだろうけど、俺も驚いたぜ」
「はっはっは、そりゃそうだな、そうか、そうだな!」
豪快な笑い声を上げ、それからレシラードは独り言のように呟いた。
「この像は間違いなく傑作になるぞ」
「彫る前から分かるのかよ」
「ああ、分かる。これはわしの生涯の代表作になる。期待しとれよ」
「……ああ」
レシラードと共に石を眺めていると、少年の胸に、言い知れない期待感がわいてくる。少年は不信感をすっかり拭われ、今はその胸を高鳴らせていた。
レシラードは渾身の力を注ぎこんで像を彫った。数ヶ月をかけ、たった一人で。作業場には誰も入れなかった。ただ一人、例の少年を呼んでは、時折二人して石を眺めた。昼夜を厭わず、体力の続く限り、レシラードは作業をやめなかった。迷う事なくのみを振るい、目を輝かせて石を削った。それはただ単に、情熱ゆえであった。他に、どんな理由があろうか。
そうして出来上がった彫像は、まさに傑作であった。弟子たちは言葉もないままに涙を流し、芸術家たちもただ賞賛の拍手を送るしかなかったのである。レシラードはその後巨匠と呼ばれ、芸術家として初めて、最上級貴族の称号を手にした。少年はレシラードから多額の報酬を受け取り、父親の元を離れた。
像をどこへ飾るかという論議が戦わされ、一時はレフォア王宮の中庭に、とまで話が進んだのだが、レシラードはすべての申し出を断り、自宅のアトリエに置いた。周囲は戸惑い、彼をなだめ、説得しようと試みたが、すべて無駄であった。彼は、これを置くべき場所はいずれ分かる、としか言わなかったのである。
少年に語ったとおり、像は「英雄」と名づけられた。少年を含め、その根拠は誰にも分からなかったが、レシラードはそれ以外の名を思いつかぬ、と言って、満足げに笑っていた。
少年がその町を旅立つのは、それから数年後の事であった。
――少年の名はマイオス。
前人未到の砂漠を踏破し、南の大国ルセールを建国した男である。
少年は幼い頃の夢を叶え、初代ルセール王の称号を手に入れた。
ルセール王宮、大広間の中央には、今も「英雄」の像が堂々と飾られている。
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