伊達と酔狂

暮れかかる夕暮れ時。華やかな町並み。家路に着く人々と、酒場へ繰り出す人々がごった返す。

「今日はどの店で飲もうかな……っと」

ホセは遊び人らしくいつでも楽しげな顔つきで、目元のほくろが特徴的だった。色黒で、黒い巻き毛は跳ねかえっている。どことなく可愛らしい、色気のある顔で、両耳には大きな耳飾りをつけていた。

しばらくの間、足取りも軽く歩いていたが、ふとその足を止める。後ろから誰かが隙を窺っているようだ。殺気立ってはいないが、悪意であることは間違いない。

――恨みを買うような覚えは……いっぱいあるね。

にやりとして、ホセは身を翻した。軽く走り出すと、悪意の主は彼を追ってきた。

――やっぱり僕か。

敵意の対象が自分なのを確認すると速度を緩め、人ごみを縫うようにして歩き出す。混んでいる道を選び、店々が並ぶ繁華街へと進む。酒場が集まるあたりへくると、肩と肩とがぶつかるくらいの人ごみになった。旅人、傭兵、ならず者たち、それに店の呼び込みなどがひしめいている。これならすぐに襲ってきたりはしないだろう。そう思ったホセは、後ろをそれとなく確認する。相手はどうやら同じ年頃の若い男だと分かった。その顔に見覚えはない。

――ああいうのの用件はいつも同じことだけど……うーん、どうしようかな。

「おい、お前!」

男が突然声をかけてくる。ここで始めるつもりか、思ったよりやる気あるな、とホセは思う。

「お前だよ! そこの巻き毛!」

無視したが、重ねて大声を出す。行きかう人々が何事かと振り返っていく。面倒だが仕方ない。男に向き直る。

「何?」

「リリーナを返せ!」

「は?」

「リリーナだよ! 彼女は俺と結婚の約束をしてたんだ。彼女を返せ!」

「リリーナねえ。どの子かな。うーん、あ、あの子か? 真っ直ぐな髪で、こう……肩くらいまであって、瞳が青くって」

男はこくこくと頷く。

「婚約者だったのかぁ」

「そうだ」

「ま、婚約してるからあんたのもの、ってわけじゃないから」

「何ぃ!」

「誰も、誰かのものになんかならない。例え結婚したってそうさ。そういや彼女、嘆いてたな。やたらと付きまとってくるのがいて困ってるって。あんたのことじゃない?」

「そ、そんなこと……嘘だ!」

「あんたも往生際が悪いね。格好悪いよ」

「……ちきしょう!」

隠し持っていたのか、短剣を突き出し、男はホセに向かって真っ直ぐ走ってきた。

「やだな、僕が悪いんじゃないのに」

ホセは、調子に乗って挑発しすぎたと後悔したが、今は短剣をよけるので精一杯だった。

――参ったな。本気にさせちゃった。

怒りに我を忘れたのか、屈辱で頭がいっぱいになった男は滅多やたらと短剣を振り回している。通行人が二人を遠巻きに見物しているのが視界の端に映った。

――お前ら、見てないで助けろよな。

頭の中で毒づいた時、足が躓いた。均衡を崩したホセの目の前に、男の短剣が迫る。

「……ッ!」

突然、黒い影が飛び込んできて、男の短剣が飛んだ。あまりにも早かったので、剣が地面に落ちるまで、ホセは何が何だか分からなかった。

「男を助けるのは趣味じゃないんだが、人殺しを見るのも気分が悪い」

助けに入ったのは、これまたホセと同じくらいの年の男だった。長髪を揺らめかし、気障な格好をしている。その風体から言って、ホセと同じような遊び人のようだ。慌てて剣を拾う男に向き直り、助けてくれた遊び人は軽い口調で言った。

「勢い余って馬鹿なことをすると、あとで後悔するぜ」

「たっ、他人が口を出すな!」

「衛兵、呼ぶかい?」

相手の言っていることなど、聞いてもいないような口ぶりである。襲ってきた男は急に冷静を取り戻したのか、表情を変えた。

「リリーナはお前なんかに渡さないからな!」

ホセを一睨みすると、飛び込んできた男とは目を合わせずに去っていった。

「ああ、助かった。あいつ、勘違いしてるぜ。リリーナから声をかけてきたんだからな。俺はただ応えただけさ」

「ああいう奴って絶対もてないよな」

「だな……って、グレイじゃないか」

「よお、ホセ。相変わらず弱っちいな」

「ほっといてくれ。あんたも相変わらずちゃらちゃらしてるなあ」

「お互いさまだろ」

「でも本当に助かったよ。お礼にそこらの店で一杯どう? おごるよ」

「そりゃどうも。でも男と飲むよりは女の子と一緒の方が楽しい」

「僕も同感だよ。じゃあ可愛い子を探しながら飲むって事でどう?」

「そう来なくっちゃ」

「この近くにいい店があるんだ、行こう」

派手に飾り付けられた店内は、多くの客で賑わっている。ホセの言う「いい店」とは、どうやら可愛い女の子がいっぱいいる、という意味だったようだ。酒場によって色々だが、大概、店員は男が多い。皿の積みあがった重い盆を運ぶのは男が適している、と考える店主が多いからだろう。だがこの店では、店員は主に女のようだった。

「確かに、いい店だ」

ホセに案内されて席についたグレイは、楽しげにあたりを見渡した。

「で、最近はどうしてんだ? 相変わらず、女に貢がせて遊び歩いてんのか」

そんな風に言われると、ホセとしても軽口で返したくなる。

「人聞きが悪いなあ。持てる魅力を最大限に利用してるだけさ。第一、グレイだって似たようなもんじゃない」

「俺は貢がせたりしてないぜ」

「そういや仕事してるって聞いた気もするな。何をしてるの?」

「ま、色々な」

グレイがはぐらかしていると、少し離れたところで笑い声が巻き起こった。そちらに目をやると、数人で飲んでいる町の衛兵と、一人の女が目に入る。それほど美しい女ではないが、すらっとした足は綺麗だった。その足をわざと見せるような薄い服。長く、波打った髪。身を飾る派手な装飾品。ほぼ間違いなく、身を売る女である。こういった酒場ではよく見かけるものだ。だが、彼女はよく見る売春婦のように、男たちに媚を売っているようには見えなかった。会話が聞こえるほどの距離ではないので何を話しているかは分からないが、男たちが楽しそうに話している様子を見ると、上手い相槌を入れているようだ。時折女が口を開いては、男たちがどっと笑ったりしている。

「たまに見る顔だな。ルイーサとか言ったはずだよ」

「さすがだな」

「何度か話したことがある。いい子だよ」

「へえ」

グレイはもう一度よく見ようと、ホセから視線を移した。ルイーサが何かしゃべっている。と、突然、重い木の椅子が倒され、その勢いから想像する以上に大きな音を立てた。

「何すんのよ」

椅子とともに床に投げ出された女は、気丈にも相手の男に向かってつばを吐いた。

「きっさまあ……!」

居丈高に怒鳴った男は元々赤ら顔だったが、酒を飲んでより赤くなった顔を、さらに怒りで赤く染めて怒り狂っている。

「手前みてぇな女が、この俺様に向かってつばを吐くとはいい度胸だ!」

そう怒鳴ったのは、屈強な男だった。少々匂う小汚い服。ぼさぼさの髪。腰にはこれみよがしに大きな剣を下げている。同調して怒っている仲間も、似たりよったりだ。遠目に見てもならず者と分かる。

「馬鹿にしやがって。売春婦のくせに」

その言葉に、女は目をむいた。

「馬鹿にしてんのはそっちだろ! 売春婦だからって見下さないで!」

ルイーサは毅然として顔を上げた。長い髪が頬にまとわりつき、薄く、黄色味のある目が相手を睨んでいる。

「何が悪いのさ。あんたらだって買うくせに。この、酔っ払い!」

「なんだと、この野郎!」

男が手を上げ、周りの客があっと思った瞬間、女の頬は張り飛ばされた。ルイーサは再び床に転がる。

「助けに行くのか? 弱っちいんだから、やめとけよ。敵いっこないぜ」

黙って立ち上がったホセに、グレイが呆れたような声をかける。

「じゃあ放っておけって言うのかい」

「あいつらに勝てるわけないだろ」

「冷たいね。僕は行くよ」

「お前じゃ無理だって」

「グレイは助けに行かないって言うんだね。女の子を見捨てるなんて、男の風上にも置けない」

「おい、ホセ」

「これ以上、議論している暇はないよ」

そう言い捨てると、ホセはルイーサたちに近づいていった。

「酔狂な奴だ」

グレイは杯のそこに残った酒を飲み干して呟いた。

「おい、まずいぞ」

男はルイーサの胸倉を掴みあげ、その頬を何度も叩いている。のぼせ上がった男の行為に、仲間たちが慌てて止めに入った。

「シルダ、よせ」

「もうやめろ」

「うるせぇ!」

シルダと呼ばれた男は、酒と怒りで興奮のきわみといった様子である。仲間たちは、自分たちより頭一つ分抜き出たシルダを羽交い絞めにしてなだめた。

「落ち着け! これ以上騒いでは面倒な事になるぞ。衛兵を呼ばれてはかなわん」

シルダはしばらく暴れていたが、ようやく少し落ち着いたらしい。それでも怒りの収まらぬ顔で、ルイーサの手を引いた。

「来い!」

「ちょっ、何よ……放して!」

「うるせぇな。ここじゃあ面倒だ、外でゆっくり可愛がってやらぁ」

下卑た笑いを浮かべる。ルイーサは引きつった顔で首を横に振り、必死に振り払おうとしている。

「放せよ」

ホセが男の腕を掴んだ。だが、ホセの片手では持ちきれぬほどの腕だ。シルダが一振りするとホセは振りほどかれてよろけた。シルダが、不快さを叩きつけるようにホセのわき腹にこぶしを叩きつける。

「……!」

ホセは立ち上がろうとしたが、痛みで動けない。シルダはホセを押しのけ、片腕でルイーサを抱えるようにして歩き出した。仲間たちもそそくさと後をついて、店を出て行く。

「……ちきしょう……」

「だから言ったろ」

悔しさに歯噛みするホセを、グレイが手を貸して立ち上がらせた。

「じゃ、行くぜ」

「どこへ、行くのさ」

「あいつらの後をつけるに決まってるだろ。今度は俺のやり方を見せてやるよ」

グレイは爽やかに笑って見せた。

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