眩しい午後の太陽は、秋には似つかわしくないほどの光を地上に注いでいた。
石造りの古い建物が連なり、その間を縫うような石畳が続く港町。暑いと感じるほどの陽射しと、抜けていく涼やかな海風とが対照的だ。
町の入り口には大きな石柱が立てられていた。かつてここが王宮の北門であったのだ、と、威厳を持って示されている。門を入ってすぐの店頭には、訪れる人々の目を惹くように置かれた織物の数々。王家の紋が入った刺繍が施された壁掛けなども売っている。それを何というはなしに見上げていた少女が、店の主人に話しかけた。
「タジェラームさん、これって偽物なんでしょ?」
少女と顔見知りなのか、店の主人は嫌な顔もせず平然と頷いた。
「本物はもっと精巧に出来てるよ。でもまあこれでも、なかなかのもんだろ」
「まあね」
「買うかい?」
冗談めかした言葉に、少女は手を振って否定する。
「母さんの買い物でもうお金ないもの。時間あるから、お店を覗いて回ってるの」
「雑貨とか、好きだものな」
にこりと笑うと、少女は再びそこらの布地やちょっとした置物などを手に取り始めた。店の主人はその様子をほほえましく見守っている。
「あの」
少女に話しかけたのは、一人の少年だった。ごく普通の、町の少年のように見えるが、その顔に見た覚えはない。目深にかぶった帽子を少しあげて挨拶する。帽子の隙間から細く輝くような金髪がこぼれた。
「この町の人だね? 僕たちはこの町に初めて来たのだけど、ちょっと案内してもらえないか」
僕たち、と言いながら、少年は店の外にもう一人佇んでいた少年を示した。そちらもやはり帽子をかぶっていて、つばの下からは黒髪が見えている。外の少年も店内へ入ってくると、少女に向かって小さくうなずいた。
「少し歩いてみたんだけど、道が入り組んでいて迷いそうだって、ここへ戻ってきたところだったんだ」
この店は町の入り口の正面にある。なるほど、と少女はうなずいた。確かに、この町は入り組んだ路地が多い。初めての人は迷ってしまうかもしれない。
「夕方までで良ければ……」
少女がためらいがちに言うと、金髪の少年が嬉しそうにその手を取った。
「ありがとう!」
黒髪の少年は静かな微笑を浮かべている。
「助かるよ」
「私はプティ。本当はもっと長い名前なんだけど、みんなプティって呼んでるし、それでいいわ」
「僕はザオン。よろしく」
理知的な光をその目に宿らせた黒髪の少年が即答する。金髪の少年はそんなザオンに目を走らせ、軽く肩をすくめるような仕草を見せた。
「俺はアルっていうんだ。よろしく頼むよ」
ザオンとアルはどうやら友人同士のようだった。幼馴染かもしれない。喧嘩もするが、気の合う友人。二人の間にはそういう友達同士の独特な空気がある。そんな気がした。少女プティは二人に先立って歩きながら、時折ちらちらと観察している。
「ここが広場ね。町の中心にもなっているから、ここを基点にすると動きやすいと思うわ。あれ、見て」
プティが示す方向をアルとザオンが目で追う。広場の周囲には太く立派な石柱が立っていた。一部、崩れかかっているようなところもある。
「あれは……」
ザオンが興味深そうに目を細めている。アルが大きな目をくるくると輝かせ、興奮したように言った。
「王宮の中庭だ! そうだろ?」
「アル」
ザオンが短くアルを呼ぶ。違うと言いたかったのか、プティの説明を先取りするなと言いたかったのか、それとも何か別の? ザオンの短い声からは分からなかったが、制止の意味合いが含まれているような声だった。多少の違和感を持ったが、プティは深く考えず、ザオンに「いいのよ」と言った。
「アルが合ってるわ。そう、ここは王宮の中庭だったの。昔、ここには王宮があったのね。大きな王宮と城下町。でも、何百年も前に都が移って。人々もそっちへ移り住んでしまったんですって。で、残った人たちが王宮の土地にも家を建てて暮らすようになって、今のこの町が出来たって言うわ。当時の城下町は……見た?」
プティの問いかけに二人の少年は頷いた。
「ああ、ここへ来るときに見たよ。崩れた建物みたいなのとか……」
「畑の中に廃墟として少し残っていたね」
アルの言葉をザオンが継ぐ。
「当時はさぞ賑やかで、大きな町だったんでしょうね」
遠い目で昔を想像するかのような少女に、ザオンとアルは何も言わなかった。
三人は町を練り歩き、市場などを見たり、買い物をしたりした。無口なザオンとは対照的にアルは明るく、無邪気で、プティによく話しかけてくる。魚市場を案内しているときも、アルは魚の種類を聞いたり、何かと賑やかだった。
「なあ、魚ってのはもっと生臭いもんじゃないのか? それよりここにはなんか別の匂いがする」
「ああそうそう、ここはね、地下に温泉があるのよ。その湯気だかなんだかで魚の臭み消しになるんですって。魚市場って言うと、普通は虫とか飛んでるでしょ? でもここには全然いないの。不思議よね」
「なるほど」
ザオンは何事かを理解したのか、一人で頷いている。
「なんだよ、ザオン、解かったような顔しちゃってさ」
「いや、つまり……硫黄の効果だろうな、と」
「いおう?」
プティとアルの頭上に疑問符が浮かんでいる。
「恐らくね。温泉と言っていたし、そうでなくてもこの匂いは硫黄だから」
「ザオン、それじゃなんにも説明になってないぜ」
「ま、詳しい話はいいから」
「ずるいぞ!」
ふざけたアルがザオンに突進し、ぶつかられたザオンは不意を食らったのかよろけて転んでしまった。アルは慌てて手を貸し、ザオンを立ち上がらせる。その拍子にザオンの腰につけていた紐がたれ落ち、その先に服の留め金のようなものがちらりと見えた。ザオンはすぐに気づいて腰紐の中にしまいこんだが、プティにはそれが先ほどの織物の店で見た王家の紋に見えた気がした。
――なんでザオンがあんなのを持ってるんだろう。アルも知ってるのかな? それともあれはタジェラームさんとこのと同じで偽物? ……そうかも。単なる飾りかもね。
だがプティは、二人の慌てた様子に疑問を持った。そう思って見ると、町の少年たちとはどこか違うような気がする。
――ま、いいや。私には関係ないし。わざわざ問い詰めるほどの事でもないよね。
再び広場に戻ってきた三人は、広場に机を並べている喫茶店でしばしの休憩を取ることにした。日よけの傘の下に置かれた机に席を取り、お茶などを注文して待つ。
「あれ見て、ザオン」
アルが指差す先を見ると、建物の壁に花の彫刻が貼り付けられたようになっている。その隣の家には何かの動物の彫刻もある。
「あれはなんだろう」
アルの質問に、プティは答えられなかった。生まれた時からこの町に住んでいて、ああいった壁の飾りはごく当たり前のものとして目に映っていた。改めて何と聞かれても、プティ自身、考えたこともないのだった。逆に質問する。
「ああいうの、どの町にもあるんじゃないの?」
「え? いやあ、ない、よなあ?」
「多分ね。興味深いな」
「お待たせしましたあ」
盆に注文した品を乗せた店員が来て、杯をそれぞれの前に置くと再び去っていく。
「この町はとても面白い。古い時代のものが多く残っているし、みんながそれを大切にしているのも良いね」
珍しく、ザオンの言葉数が多い。それだけ町に興味を持っているということだろう。だがアルはそれよりプティ自身に興味があるようだ。
「ねえ、プティは一人っ子?」
「え? ええ、そうだけど」
「そうかあ」
アルは羨ましそうな顔だ。
「アルは兄弟が多いの?」
「あ、いや……まあ」
「さては妹がいたら紹介してもらおうとか思ってたんだろ」
ザオンが横から口を出す。プティは思わず笑ってしまった。
「やあね、アルったら」
「いや、別にそういう……はは、あははは……」
「残念だけど、うちは母と私だけよ」
「そうなんだ」
プティは頷き、次の言葉をなるべく不幸に聞こえないように気をつけながら言った。
「父は私が小さい頃、家を出たんですって」
「……」
「気にしないでね。私、母とすごく仲良しなの。父の事はよく知らないし……ねえ、それよりアルとザオンは?」
二人は顔を見合わせ、にこりと笑った。ザオンが言う。
「僕らは両親と、親戚と、友人と……大勢で暮らしてるんだ」
「へえ……」
「俺のお父様はすごく立派な人で、優しくて、俺が世界で一番尊敬する人さ。お母様はすごく綺麗で……」
「アル、その辺でやめとけよ。ごめんねプティ、アルは家族大好きで、自慢を始めたら日が暮れる」
「そこまで言うことないだろ!」
軽い笑い声を立てて笑い、プティは「そうだ」と思いついたことを二人に話した。
「そろそろ本当に日が暮れるわ。ねえ、海岸通りへ行ってみない? 西側が湾に面していて、夕日が海に沈むの。この町で一番美しい瞬間が見られるわ。本当に綺麗よ」
「いいね! 行こう!」
真っ先にアルが立ち上がり、お茶を飲み干したザオンがそれに続いた。プティは二人を先導して町の西にある海岸通りへと走った。
高い塀をくぐって町を出た三人は、その塀に沿って海岸通りを歩いた。前方には海へ突き出るような形の岬があり、その突端に高い灯台が建てられている。その岬以外に海を邪魔するものは何一つなかった。水平線はほんのわずかに湾曲し、茜色に染まった空と真っ赤な太陽、それに照らされた海水が入り混じっている。水面はさらに多くの色があり、それらが波に揺られて光を反射してきらめいていた。
「美しいね……」
「本当だ」
アルとザオンは目を細めた。
「日が落ちる瞬間はもっと綺麗よ」
道には木製の長椅子が行儀よく並び、その間に樹木が植えられている。何をするでもなく、その椅子に腰かけて景色を眺めている老人たち。腕を組んでそぞろ歩く恋人たち。犬を連れ歩くご婦人。あたりにはそんな町の人々の姿が多く見られた。
「みんな、夕焼けを見に来ているのよ。本当に、綺麗だから」
「この町は愛されているんだね」
「そうよ。私も愛しているわ。世界一の町よ」
プティの言葉にアルはにっこりと微笑んだ。ザオンがその肩にそっと手を置く。アルとザオンは黙ってうなずき合った。太陽の沈む方向に向きなおった二人の顔は夕映えに照らされて真っ赤に染まっている。金髪のアル、黒髪のザオン。不思議な二人。その顔を見比べると、なんだか似ていて、兄弟のようにも思える。でも髪の色は違う。目の色も。彼らはどこから来たのだろう。この町に、何をしに来たのだろうか。だがプティは、二人に問おうと思っていたことを喉の奥に飲み込んだ。
太陽神ハーディスが、海に沈む。今日一日の終わりを惜しむように、ゆっくり、ゆっくりと。目で見ていては分からぬほどの遅さで、だが確実にハーディスは海の向こうにその顔を隠していった。そして、小さくなった最後の光が消えた瞬間、音もなく、夜が訪れたのだった。
「プティ、すごいよ。なんて美しいんだ。俺、毎日夕日は見ていると思っていたけど、本当に日が落ちる瞬間っていうのは初めて見た気がする。綺麗だった。君の言うとおり、最高だったよ」
「そうでしょう? 良かった、喜んでもらえて」
「ありがとう、プティ。君のおかげでこの町を堪能できた」
「本当にありがとう、すっごく楽しかったよ!」
ザオンとアルは交互にプティの手を握った。それからアルが素早く、ザオンに耳打ちする。ザオンは驚いた表情を見せた。
「でも……」
「いいじゃんか。プティはいい子だもの。それはザオンだって認めるだろ」
「それはそうだけど」
「何?」
首をかしげるプティに、アルが歩み寄り、耳を貸してくれという仕草を見せる。プティが耳に手を当てると、アルはさらに一歩寄り、その耳に何事かを囁いた。
「嘘……!」
「君に嘘はつかないよ。でも、誰にも言わないで。それじゃあ僕らはこれで。さよなら、プティ」
「ほら、もう行こう」
ザオンが釘を刺し、いたずらっ子のような笑顔のアルの腕をつかんで歩み去った。アルは何度も振り返って手を振る。プティは呆けた顔で口を開けたまま、彼らの姿が夕闇に消えていくのを見送った。
「すごいのよ、お母さん!」
母親の待つ家に戻り、プティは高揚した声で言った。
「どうしたの、プティ。ただいまくらい言いなさい」
「それどこじゃないんだってば! 今日ね、私……あ、お母さん、誰にも言っちゃいけないって言われてるの。でも、お母さんにだけ……駄目かなあ。でもやっぱりどうしても言いたいんだもの。言っちゃう! あ、友達には言わないよ。絶対、ぜーったい! 約束したから」
「ちょっとちょっと落ち着いて。何なの?」
「私ね、今日ね、王子様に会っちゃった!」
「王子……様?」
母親は食事を作る手を休め、娘を振り返った。
「お忍びでご視察だったんですって。町を案内してほしいって頼まれた時は普通の旅行者かなんかだと思ったんだけどね。王子様とお付きの方と二人だけで来ていらしたんですって。最後に、別れる時に、聞いたの。びっくりしちゃって何も言えなかったわ! 二人とも気さくで素敵な方だったの。あのね、本当にお城で、大勢で、暮らしてるんですって。お父様の事、すごく尊敬していらっしゃるみたい。お父様って、王様の事よね。すごいすごい! 私、すごい人とお話しちゃった! 王様はね、すごく立派で、優しくて……」
「プティ。少し落ち着きなさい」
母親は笑いながら再び娘に背を向け、夕食の支度を再開した。
「そんな王子様がお忍びなんて、作り話じゃないの?」
「そんな事ないってば、本当よ」
「どうかしらねえ」
「もう、お母さんったら、全然信じていないんでしょ。つまらないの!」
「すぐに夕食にするわ。まさか日が沈むまで帰ってこないとは思わなかったわよ」
「あ、うん……ごめんなさい」
「食卓にお皿を並べておいてね」
「はぁい」
プティは母親の言いつけどおり木皿を手に取り、食器とともに机に並べ始めた。ふと、母親に向き直る。
「ねえ、私のお父さんって……?」
「……」
「どんな人だったの?」
母親はしばらく黙り、それから娘に向かって微笑んだ。
「あなたのお父様も優しくて、立派な方だったわ」
「そっか!」
母親はそれ以上何も言わなかった。だが、その心の中でこう呟いた。
――プティ。あなたがもう少し大きくなったら、あなたのお父様が生きていらっしゃる事も、どんなに素敵な方かって事も、みんなみんな話してあげましょうね……。
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