Legend of The Last Dragon −第八章(3)−

「バラミア」

シキが息を呑む。エイルも驚いたような顔だ。だが双子にはその意味が分からない。二人は同時に首をかしげた。

「あの、バラミアって……」

「お前たちは知らないか? バラミアというのはレノアの南東部にある高い山のことだ。誰も近づいてはいけないと言われ、立入禁止になっている。少なくとも、私たちの時代はそうだった。だが恐らく、今でもそうだろう。その山中に竜を滅する剣があるとは……」

エイルが驚いた理由は、シキとはまた別のところにあったようだ。

「実は、私の母はそのあたりの出身なのだ。父王から、鉱山町に視察に行った時に一目惚れしたと聞いた」

「そうだったの」

「うむ。だが、母の出身地のことなどバラミア山の名を聞くまで、すっかり忘れていた」

優しい母。エイルはその顔を懐かしく思い浮かべた。後妻として王宮に入った母。貴族の娘であったとはいえ、田舎の小国出身で、首都に来てからはきっと苦労もしただろう。だが父王に愛され、母も父王を慕っていた。前妃の息子であるシエルとも仲が良く、シエルもエイルを実の弟のように可愛がってくれていた。偉大な父王、優しい母、敬愛する兄王子……エイルには大事な、何よりも大事な家族である。だが彼らは、あの反乱の朝、その命を落としたと聞いた。その事が、いまだに信じられない。

――私の時代に戻ったら、母君にまたお会い出来るだろうか。それとも、もう本当に、二度とお会い出来ないのだろうか。

自分と同じように父王と兄王子を目の前で失ったサーナは、言葉を失うほどの衝撃を受けたという。だがエイルは、実際に見ていない家族の死を現実として受け入れることが出来ないでいる。複雑な表情のエイルに目をやり、アメリ=コルディアは再び口を開いた。

「話を続けて大丈夫かい? そのバラミア山に伝説の剣があると分かった。竜を滅することの出来る剣は、その剣以外に恐らく存在しない。だが、剣は封印されているようだ。双生児だけがその封印を解く力になる」

「私たちが……?」

「予見通りならね」

アメリ=コルディアは頷いて見せた。

「竜が暴れれば、マイオセールの時のようにまた多くの命が失われる。レノアと竜のつながりはまだはっきりしないが、レノアの狙いは恐らく大陸全土の掌握。一番大きな勢力であるルセールの王都を破壊したのはそのためだろう。各地の小国や都市国家は、レノアやルセールに帰属はしていても、基本的に独立政府。マイオセールさえ潰しておけば後がやりやすいからね。だが、これからも竜は活動するだろう。……いいかい。バラミアへ行き、剣の封印を解くんだ。そうすれば、何があってもすぐ対応出来る」

シキが重々しく頷き、クリフは新たな冒険に興奮し、クレオは緊張した。

「バラミアまで、また遠い旅をするんですね」

「その必要はない。ついておいで」

アメリ=コルディアは小さな笑みをちらりと見せて立ち上がった。

円形の部屋を出ると、そこが確かに塔の一室だという事が理解できた。先ほどまで港町コーウェンの両替商の二階だったのに、と、クリフたちはいまだ不可思議な感覚に捉われている。一行は長い階段を下り、塔の地下へと導かれた。アメリ=コルディアは足音も立てず、息も切らさず、流れるように歩いて行く。

アメリ=コルディアとヴィト、リューク、サーナ、それにエイルたち四人は地下の広い一室へと入った。床一面に大きな魔方陣が描かれている。

「これを描くのにずいぶん時間がかかったよ」

ヴィトが苦笑したが、アメリ=コルディアはそれに構わず、部屋の片隅を示した。見れば、大きな台が据え付けられている。上面には金属製の四角い器がはめ込まれ、水が張られている。アメリ=コルディアが何かをつぶやくと、その四隅にある燭台に小さな灯がともった。

「そんなに早く……」

驚嘆するエイルに視線を投げ、アメリ=コルディアはにこりと笑った。

「修行することだね。……さて、準備が出来次第、バラミア山の麓(ふもと)にある鉱山町にあなた方を送る。登山の準備をし、情報を集め、バラミアに登っておくれ。剣の位置は東側の山腹、ちょうど山の中央あたり。洞窟か何か、入り口があるはずだ。注意深く探すんだね」

「私たちに出来るかしら」

「我々にしか出来ないことだ。行くしかあるまい」

珍しくも、エイルがクレオを励ましている。クリフも、心配そうなクレオの肩を優しく叩いた。

「ヴィト、準備を頼むよ。……さて。少し時間がかかるね。その間にもう一度レノアを見てみるとしようか」

ヴィトが師匠に応えて忙しく働き始める。アメリ=コルディアは水盤に向かって何やら唱えた。エイルたちは固唾をのんで見守る。しばらくすると水面に影が揺らぎ、それが徐々にくっきりとしてきた。

「レノア城だよ」

固い声でアメリ=コルディアは言う。その声からは、彼女が力をこめて術式を行っていることが伝わってきた。

「ここまでは他愛ないんだ。ほら、人々が見える。いつもより兵士の数が多いね。もう少し、近づいてみる……」

アメリ=コルディアの顔に緊張が漲り、額には汗が滲んだ。かざしている両手は微動だにせず、何もしていないように見えるのだが、彼女の体全体には力が入っている。

「中に入るよ」

ほとんど聞き取れないほど小さな声はかすれ、喉から絞り出されるようだ。水面に映る映像は揺らめきながら、ゆっくりと王宮へと入って行く様子を映し出す。みな、無言のまま目を見開き、顔を近づけけた。少しでも良く見ようと――。

「ひっ!」

水面がいきなり白く光ったのと、アメリ=コルディアが悲鳴を上げたのとは、ほぼ同時だった。両目を覆い、アメリ=コルディアはよろめいて台から離れた。ヴェールの奥で顔を歪める。やがて、その表情が悔しさに変わった。目が開かない。ひどい頭痛が彼女を襲っていた。彼女以外も、みな目がくらんでいる。

「遮蔽するだけなら、まだしも……こちら側を攻撃するなんて……そんな……」

切れ切れに言い、アメリ=コルディアは差しのべられたシキの手を軽く払った。片腕で、ヴェールごと目を隠している。

「大丈夫……だが参ったね、両目をやられた」

「師匠」

ヴィトが駆け寄ると、アメリ=コルディアは表情を強張らせた。

「完全に失明した」

全員が息を呑む。

「これで、レノアに攻撃の意思があると決まった。レノア王宮……誰かがあそこで何かを企んでいる。そして、誰にも邪魔させまいとしている。……こうなったら一刻も早く、剣を手に入れなくては」

「急ぐ必要が?」

「あれだけの術者だ。もしかしたらこちらの算段まで知られたかも知れない」

「まさか」

「分からない。だが悠長に構えてはいられない」

ヴィトが珍しくも焦った口調で言う。

「師匠、転移の術法は複雑で、集中力が要ります。元より私の力も精一杯かけるつもりでしたが、師匠がその状況は……」

「ああ、無理だ。術法に視力は必要ないが、痛みがひどい。術法を完璧に執り行う力が足りないのは明らかだ」

感情を抑え、淡々と事実を述べたアメリ=コルディアだったが、ヴェールの奥の蒼顔には動揺の色が浮かんでいる。

と、誰かが咳き込んだ。小さな、高い、かすれた声。アメリ=コルディアを始め、その場の全員が目を皿のようにし、ゆっくりと咳き込んだその者に視線を集めた。

「けほっ……ごほごほっ! ……っ! ……しが! ……わ……たし、が、やり……ます!」

両手で喉と胸を押さえ、眉根を寄せて必死にしゃべろうとしているのは皇女サーナだった。

「大丈夫?」

「サーナ、無理すんな」

クリフとリュークが同時に手を差し伸べる。サーナは二人に頷いて見せ、唾を飲み、唇を濡らしてから再度口を開いた。その喉からは、先ほどよりずっとはっきりとした声が漏れる。

「私が、やります」

声を出したいと思っていた。けれど、出なかった。何度か試した事はあったが、掠れた風のような息が吐き出されるだけで、喉は声を出すことを拒否しているようだった。だが今、これまでに感じたことのない強い衝動がサーナを突き動かしていた。

「大丈夫……やれます」

サーナの視線を受けたアメリ=コルディアは、黙って、強く頷いた。

「では取り掛かりましょう。師匠、こちらの準備は出来ています」

ヴィトがきっぱりと言う。場の雰囲気ががらりと変わった。

「よし。サーナ、あなたに細かい方法を伝授し、練習させる時間はない。私に魔力を渡せる?」

瞬間、サーナは戸惑った表情を見せた。が、素早く二度、頷く。

「よし。ではあなた方は? 準備は出来た? それともしばらく考えるかい?」

クリフとクレオは唾を呑んだ。エイルが、凛とした声で告げる。

「すぐに行こう」

サーナがアメリ=コルディアに両手をかざし、アメリ=コルディアとヴィトが詠唱する。しばらくすると、魔方陣の中央に立った四人は体が徐々に熱くなるのを感じた。

――以前ジルクに転移させられた時と似ている。

エイルは思う。

「もう少し……サーナ! 踏ん張りな! ヴィト、力を抜くんじゃないよ!」

黄色い光がエイルたちを包んだ。やがて光は大きく、まばゆくなり、その中に四人の姿は消えていった。

「なかなかやるな、あの女。……さて。今からでは兵を派遣するにも間に合わないか」

男は小さく嘆息した。細かな彫刻が施された机に向い、一式のカードを取り出す。そしてまた独り言に興じた。

「いや所詮、何も出来はしない。アルヴェイスでは洞窟内に入れない。やれやれ、自分で行く必要がありそうだな。……そうか、あれももう必要ないな」

呟きながら、カードを弄ぶ。分厚く固い紙には、二十四の神々が美しい景色とともに描かれている。男が積んだカードの表面を軽く叩くと、一枚が飛び出した。運命の神クタールが杖を振りかざしている。

「運命を裁くクタール、か」

重々しく言った後、軽く鼻で笑う。

「意味はないな。この世界の運命は、私が握っているのだから……」

男は立ち上がると扉を開けて出て行った。

レノア南東部ホベック地方。バラミア山の尖った峰々は天を突き刺すようにそびえ、黒々とした山肌は大地に不吉な影を落としていた。大陸中央に横たわるシンジゴ山脈はなだらかで緩やかな線を描いているが、バラミア山はそれと対照的な鋭い線で空を切り裂く。その山腹にある洞窟に、エイルたちはいた。

「あれがほんの数日前のことだとは思えんな」

感服したように何度も繰り返しているのはエイルである。一行は、じっとりと濡れた洞窟の岩肌を伝いながら、薄暗い道をゆっくりゆっくりと歩いていた。

「アメリ=コルディアが転移の術法を使えるとは心底驚いた。ジルクでさえ、禁断の秘術と言っていたのに」

「でも、ジルクさんは一人でやったんでしょ? 今回はヴィトとサーナが手伝ったわ」

クレオが言うと、エイルは首を横に振った。

「いや、アメリ=コルディアの力は底知れぬ。失明していなければ一人でやれただろう。あれなら……」

――私たちも、元の時代へ戻れるかも知れない。

エイルは続きの言葉を飲み込んだ。今はこの世界のことを考えるのが先決だと思ったからだ。だがシキは、エイルの気持ちが痛いほど分かっていた。自分も同じ気持ちである。

この旅は、シキにも貴重な経験をもたらした。エイルと共に、自分自身も成長したものだと思う。シキは長旅の一部始終を思い返してみた。反乱が起き、ジルクの手によって脱出した朝。サナミィという片田舎で双子と出会った事。それからの長い旅。騎士として王宮に勤めているだけでは見ることの出来ない、多くの景色を見た。双子たちと過ごす時間も楽しく、また穏やかな時を過ごすことも出来た。この旅は長く辛かったが、今思えば楽しいとさえ思える。だがそれでも、シキは自分の世界に帰りたかった。エイルと同じだ。レノアが、自分たちがいたあのレノアがどうなっているのかと思う。早く帰りたい。だがその思いを、エイル同様、シキも口にはしなかった。

黙っているからと言って、双子も、シキとエイルの気持ちが分からないわけではない。はっきりと言われずとも、彼らが自分たちの世界に戻り、そのレノアに平和を取り戻したいのは、もう十分に理解している。……この旅の終わりはどこにあるのだろう。封印は解けるのだろうか。剣を手に入れたとして、自分たちはいつか本当に竜と戦うのだろうか。今の、迷走するレノアと大陸の行く先は……? そんな思いを抱え、クリフとクレオもまた無言で歩き続けた。

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