Legend of The Last Dragon −第八章−

年も明けた春の香月は、レノアなら花の咲き乱れる季節だが、ルセールでは長い乾季がまだ続いている。夏に比べれば気温は低いものの、乾燥だけはいかんともしがたい。人々は雨季を待ち遠しく思っていた。

王都マイオセールから港町コーウェンへ、街道は大きく曲がりくねりながら続いている。砂漠のように暑くはないものの、一年を通して気温が高い地方なので、決して涼しいわけではない。それでも、馬を走らせていれば風が心地良かった。エイルも、乗馬にようやく慣れてきたようだ。ここのところ急に身長も伸び、太腿や腕にも筋肉がついた。旅に出た頃は色白の痩せた少年だったエイルは、今、その水色の髪を惜しげもなく風になぶらせ、日に焼けた肌をハーディスにさらして、まっすぐに前を見て馬を走らせていた。

そうして、王都マイオセールを発ってから一ヶ月ほどが過ぎただろうか。エイルはある日、埃っぽい空気に、何か別の匂いが混じっているのに気づいた。ほんの僅かな違いであるが、それは確かに今までと違うものだった。

「これは何の匂いだ?」

「気づいたか」

リュークがにやりと笑う。

「これが潮の匂いってやつさ。コーウェンが近い証拠だ」

「そろそろなの? ようやく来たのね」

クレオがはしゃぐ。エイルとは対照的に、旅の疲れが彼女をほっそりとさせていた。その顔には旅の到達点が見えた喜びが溢れている。

「シキ以外は、海を見た事がないと言ってたな。港からの景色は格別だぜ」

リュークが楽しげに言う。みな、期待に満ちた顔だ。

「よし、早く行こう。先に着いた者が勝ちだ!」

リュークはそう言うと、自分の馬に鞭を入れた。双子もそれを見て、同時に馬の横腹を蹴る。

「行こう!」

「あっ、あっ、ずるいぞ!」

エイルはようやく一人で乗れるようになった馬を、急に走らせることが出来ずに慌てている。手綱を操るものの、焦っているので馬の方もどうしていいか分からずに首を振るばかり。シキが「落ち着いて」と声をかける。

「体を真っ直ぐに。手綱は緩めて、馬の自由に走らせれば良いのです。後はなるべく小さくなって、振り落とされぬようお気をつけを」

「分かった」

何とか態勢を整え、エイルは馬の背にしがみついた。

「よし、行け!」

馬は、引っ張られていた手綱が緩んだことを理解し、横腹に「走れ」という意思を感じて、勢いよく走り出した。シキはその様子を確認し、感心したように頷いている。それから馬の首を優しく叩いて言い聞かせた。

「では我々も行こうか。好きなだけ走っていいぞ。ただし、エイル様を追い越さぬ程度にな」

コーウェンは大きな港町である。帆船で遠海航行が出来るほどの技術はないが、港を利用する船は大きく、近海の島々を巡る。特に、湾の東にあるミクリナ島とは頻繁に交易があり、そこでしか産出されない絹製品などを多く届けてくる。深い湾と、この地方の優れた造船技術がそれを可能にしていた。船は毎日のように港を出入りし、また、ごく稀ではあるが、外の大陸との行き来もあった。

照りつける太陽と、べたつく潮風。空気に混じる香りは独特なものだ。町中に走る小さな運河の水面に、陽光がきらきらと輝いている。ハーディスの光は積み上げられた木箱や大きな樽の山にもたっぷりと降り注いでいた。

港の近くには、荷揚げされた商品がしまわれる倉庫街がある。倉庫街と港をつなぐ大通り、それに町の外と港をつなぐ大通りが三本。合わせて四本の大通りがこの町の一番賑やかな場所だ。石畳の広い通りには人が溢れ、喧騒が満ち溢れている。道端には日除けの天幕が張られ、店先では退役した軍人や水夫上がりの老人などが昔話に興じ、女たちは井戸端で魚売りを待っている。荷揚げを請け負う人夫、人足たちが酒を飲みながら仕事を探し、彼らの合間を縫って子供たちが走り回る。男の子たちはみな上半身が裸で、短い白い下穿きをはいているだけだ。港湾労働者たちもその日焼けした肌を惜しげもなくさらし、屈強な体をむしろ自慢するようにして忙しく働いている。

「賑やかだねえ」

クリフがきょろきょろとあたりを見回している。

「だろ? ここはルセールの一部ではあるけど、完全に独立した町だ。マイオセールがあんな状態でも、ここは元気を失いはしないのさ。昔、住んでたことがあるけど、暮らしやすい町だぜ。年中新鮮な魚介類は上がるし、女は綺麗だし」

「リュークはいつもそればかりだな」

エイルが呆れたように言うと、リュークが笑って返した。

「何言ってんだ、飯と女がこの世で一番大事なことだろ」

「あら、そんなこと言ったら……」

「ああ、女の場合は決まってる、飯と男が一番大事なのさ」

「もう、リュークったら!」

クレオも、リュークの軽口には思わず笑ってしまう。いまだに、ともすればふさぎこんでしまいがちなクレオも、リュークたちと笑い合っている時はあまり考え込まずに済むのだった。

「あそこが港だ」

町の東側は半円状に大きく開けた広場になっていた。北の大通りを抜けていくと、海が徐々にその姿を現す。エイルと双子は想像をはるかに超えて広いその水の広がりに絶句していた。湾曲に列をなす小舟や帆船、打ち寄せる波の音、どっと押し寄せる潮の香り。そしてどこまでもどこまでも、見える限り遠くまでつながっている水面には小さな波頭が白く、絶え間なく動く模様を形作る。その上にはどこまでも青い空が広がり、海との境界線は眩しくかすれて、海と空との二つの青が交じり合っていた。

「すごい……!」

クリフとクレオは同時に言って目を見張った。

「これが海か。砂漠の砂と、ここの水と、どちらが多いのかな」

エイルも驚きを隠せないようだ。シキは双子とエイルの様子を微笑ましく見守っている。クリフたちは大きな帆船や荷物が積み下ろしされる様子を見てはしゃぎ回った。

「港へ出るのは遠回りだったんだけどな、あいつらが海を見たいだろうと思ってさ」

前髪をかきあげながらリュークが言い、シキが頷いてそれに答える。

「北の山岳地帯出身のクリフたちにも、もちろんエイル様にも、またとない経験だろう。彼らの人生がこれでより豊かになるな」

「ははっ、そりゃ言い過ぎだ」

「そんなことはないぞ。彼らはお前ほど世界を知らない。知らない事を知るというのは、人間を成長させる。この旅が彼らにもたらしたものは計り知れない価値がある。少なくとも、俺はそう思う」

「そうだな。うん、俺もそう思うよ」

リュークは感慨深げに頷いた。

それから一行は広場を抜け、今度は町の北西部へと向かう大通りへ入っていった。北の大通りと同じくらい賑やかな場所である。人や馬、馬車が多く行き交い、商家が多く立ち並ぶ立派な町並みだ。

「このちょっと裏手のあたりに両替商があって……」

「両替商?」

「綺麗な言葉を使っちゃいるが、要は金貸しさ。商品の仕入れや造船、あるいは出来た船を買うのに大金が要るだろ? それを用立ててくれるんだ。ここの親父は裏の両替仕事もしてて、顔も広い。俺みたいなのも安心して利用できる店さ」

リュークが説明している間に、彼らはその店の前に着いていた。

「ヴィトはここの二階に住んでるんだ。いや、間借りって言ってたかな。まあどっちでもいいが。あ、こっちだ。裏の階段を上がるから」

そう言うリュークについて、細い路地から店の裏へ回り、階段を上がる。扉を開けると、中は半月形の居心地の良さそうな居間だった。以前、リュークがサーナを預けた部屋だ。本棚に囲まれ、床にも諸々の本がうず高く積みあがっている。エイルはジルクの部屋を思い出した。 リュークはいつもの癖で前髪をかきあげている。

「留守みたいだな。さーて、これからどうしたもんか……」

突然、クレオがおかしな声を上げた。その声にみなが振り返ると、本棚や積まれた本の隙間から、何枚もの紙切れが出てきているのが目に入った。紙は、まるで水が染み出るように、音もなく次々と出てきては部屋中に舞い始める。

「なん……っ!」

どこから出てくるのか、紙切れはあっという間に増え、彼らにまとわりついた。

「やだ! これ、なんだか、くっついてくる!」

「取れないよ!」

「シキ! シキ、何とかしろ!」

振り払っても振り払っても、紙片はまたくっついてきて、どうにも取れない。自由意思があるかのようにくっついたり離れたりする。人や動物が相手なら敵なしのシキも、剣を振り回しても仕方ないので困惑するばかりである。

「ヴィトだ。間違いない」

リュークが呟いた、その名前に反応したのか、部屋中の紙片がすっとその動きを止め、少しずつリュークに近寄り始めた。

「やっぱり。……ヴィト、ヴィトだな? 俺の名前はリューク。お前らのご主人の知り合いだよ、分かるか?」

ゆっくりと、確かめるようにリュークが言う。紙切れに向かって一生懸命言って聞かせている様子は、どことなく面白いものだったが、そのリュークの声に合わせて紙片が動き出すと、双子たちは感嘆の声を上げた。

「これ、魔法なんだ!」

「すごいわ」

「どうなっているんだ、どういう術法なんだ」

エイルも興味深げに見守っている。

「ヴィトは精霊使いだからな。これも多分、何かの精霊に頼んでやってるんだと思うぜ」

紙片はひらひらと踊るように動きながら一箇所にまとまり、やがて一枚の紙になって動きを止めた。リュークが触れようとすると、それは急に力を失い、床にひらりと舞い落ちる。リュークが拾い上げた紙の表面には、いつの間にか文字が浮き出ていた。

『塔へご案内しましょう  扉を開けて外へどうぞ』

紙を裏返しても、こすっても、透かしても、それ以上の事は何も起こらないようだった。

「どうする?」

「言いなりになるのは多少しゃくだな。だが、他にしようがない」

シキが言い、全員一致で入ってきた扉を振り返った。 半月形の部屋には湾曲した壁と平らな壁があり、その平らな壁の中央に扉がある。取っ手に手をかけると、この部屋へ入って来た時と同じように軽く開いた。その向こうには先ほど上がってきた階段……ではなく、同じような半月形の部屋があった。驚いた彼らは思わずその部屋を覗き込む。恐る恐る踏み込んだその部屋には、家の主人が使うのだろうと思われる椅子があった。奥には小さな台所と食卓があり、部屋には誰の姿もない。一行は呑まれるように新しく現れた部屋に入り、扉を閉めた。と、その瞬間、扉とそれに続く壁が消え去ってしまったのである。先程の部屋と彼らが入りこんだ部屋とは、いつの間にか一つの丸い部屋になっていた。

「どう? 面白い趣向だったと思うんだけど」

背後から柔らかな声がし、彼らはまた大急ぎで振り返った。

「きょろきょろと忙しそうだね」

誰も座っていなかったはずの椅子に、青年が腰かけている。丸い眼鏡をかけ、清潔な服に身を包んだ青年は、彼にしては珍しく声を立てて笑った。

「ヴィト、お前って本当に性格悪いな」

「そう? 楽しんでくれると思ったんだけど」

リュークは「まったく」などと呟きながら髪に手を突っ込んでいる。ヴィトはゆったりとした椅子から立ち上がり、初顔の四人に向かって一礼した。いまだに何が起こったのか分からないクリフたちは、目を白黒させて立ちすくんでいる。

「初めまして、ヴィト=キルヒアと言います。ご来訪いただけて嬉しく思います。あなたがシキさんですね。そちらがクリフくんとクレオさん、ああ本当にそっくりだ。そしてあなたが」

そこで言葉を切り、ヴィトはおもむろに膝をついた。

「エイル殿下、お初にお目にかかります。以後どうぞお見知りおきを」

こういった対応をされたのは本当に久し振りのことで、エイルはむしろ戸惑ったほどだった。だがすぐに姿勢を正し、鷹揚に頷いてみせる。

「丁重な挨拶、痛み入る。どうか皆と同じように接して欲しい」

「光栄です、殿下」

ヴィトはにこりと笑い、立ち上がった。

「皆さんを驚かせてしまって申し訳ない。どうか怒らないでください。両替商の二階のあの部屋は防犯のためにあのようにしてあったんです。部屋の半分は、実は郊外にあるこの塔に空間をつないであります。余計な輩がこの塔へやってこないように配慮したのですが、演出に懲りすぎてしまったようですね。さ、こちらへ」

ヴィトに促され、クリフたちは食卓についた。その顔はどれもまだ現実を完全に受け入れたとは言い難い。

「魔法って……すごいんですね。私、もっと簡単なものしか見たことなくて」

「私も、実際に存在する二つの空間をつなぐなどという事が出来るとは思わなかった」

クレオとエイルが感心しきりといった様子で口々に言う。クリフはまだ呆然としているようだ。口を半開きにしたまま、部屋の内部を見回している。だがシキだけは既に落ち着いているようだった。

「早速で申し訳ないのだが、あなたが予見によって我々を導いてくれたのだろうか」

「いいえ。私は予見能力がそれほど高くありません。精霊使いなもので。予見をしたのは私の師匠です。私もその内容を詳しくは聞いていないのですが、あなた方四人の存在がこの世界の運命を変えると言われました」

「その師匠という方は……」

「『コーウェンの魔女』ですよ。あなた方が探している、大陸一の魔術師でもある。……そう。ここがあなた方の旅の到達点です」

その言葉に、四人は息を呑んだ。ついに辿り着いたのだ。だが、ヴィトはさらに言葉を継いだ。

「予見をした頃から師匠は忙しくしていて、私がこの塔の管理を任されました。ここ最近、師匠は帰ってきません。術法の準備などに追われているようですね。ですから師匠の前に、まずはサーナ皇女を紹介しましょう」

「そうだそうだ、サーナはどうしてる」

リュークが身を乗り出す。

「大丈夫。元気に暮らしているよ。最近では笑顔が出る時もある」

「精神的な痛手が大きすぎて、言葉を失ってしまったと聞きましたが」

「ええ、それはいまだにそうです。師匠の力でも皇女の悲しみは癒せないようですね。彼女はどうも魔術師の要素を持っているようで、師匠は強力な力を感じると言います。サーナもそれに頷きはするのですが、言葉を発することが出来ない状態では何とも言えません」

ヴィトは言いながら指を鳴らした。一羽の小さな鳥が窓から飛び込んで来る。椅子の背もたれに止まり、鳥はその白い羽にくちばしを入れて毛づくろいを始めた。

「すまないが、サーナ皇女を呼んできてくれ」

ヴィトが話しかけると鳥は不思議そうな顔で首を傾げ、しかしすぐにまた窓から出て行った。しばらくすると、部屋の扉が叩かれる。ヴィトが扉を開けると、幼い少女が立っていた。豊かに波打つ赤い髪が、表情のない顔を縁取っている。紅色にも紫色にも見える不思議な光をたたえている大きな瞳。長いまつげは伏せられたままだ。だが、おおむね健康そうな様子に見える。サーナ皇女はヴィトの服にしがみついて部屋に入ろうとしなかったが、ヴィトが優しく誘導すると部屋の中のリュークに気付いて目を見開いた。

「久し振りだな」

リュークの挨拶に応え、サーナは嬉しそうな顔を見せる。リュークは、以前別れた時より元気そうだと安堵した。

「サーナ皇女はマイオセール滅亡の際にリュークに助け出され、その後はここで保護していました。現状では一人で暮らしていく事も出来ませんし、マイオセールにいても何も出来ないでしょうから、しばらくはこのまま……。ルセールの国民にも、まだ知らせない方が良いと思っています。先のことが分からない状況ですしね」

淡々と話すヴィトとリュークに挟まれ、サーナはうつむいている。クリフは自分の前に座っている幼い少女の運命を想い、胸を痛めた。少女は、言葉が出ないという。それも、目の前で最愛の父と兄を殺されたからだ。コーウェンへ来る途中で見た壊滅状態の都市、マイオセール。あの街の城で、この少女は平和に暮らしていたのだ。それがある日突然、何もかもを失った。状況だけなら、エイルとも似ている。だがエイルとは明らかに違う痛みを抱えた少女を、クリフはどうにか助けてやりたいと、強く願った。

「……さてと。これで役者は揃ったわけですが、師匠がいないことには話が進みませんね」

と、ヴィトが言った時。

「お揃いのようだね」

女の声がして、扉が開いた。みなの注目が集まる中、入ってきたのは背の高い女性だった。上品な、裾の長いドレスをまとい、顔には黒いヴェールをかけている。年齢は若くもなく、年寄りでもないということが分かるくらいで、定かではなかった。紫がかった髪を高く結い上げ、美しくまとめている。柔らかそうな白い革手袋をはめていた。ヴィトが席を空ける。

「お帰りでしたか」

「ヴィト、留守番ご苦労だった」

その声は存外に低く、威圧感を感じさせるものだった。

「予見通り……王子と騎士、それに双生児が揃っている。サーナもいるね。よろしい。で、お前がリュークかい? 長旅をしてもらったね。ご苦労だった」

「いや、まあ……」

彼女の迫力に押されたのか、リュークは曖昧な返事をしただけで、髪をいじっている。相手が女性とはいえ、さすがのリュークもいつもの調子が出ないようだ。

「では、私も自己紹介をしようか。名はアメリ=コルディア。魔術師であり、精霊使いであり、司祭でもある。サーナの事があって予見をし、あなた方の存在を知った。……詳しい話の前に、お茶を用意しようか」

ヴィトの師匠だというくらいだからどんなすごい術法を使ってお茶を淹れるのだろう。期待したエイルたちだったが、アメリ=コルディアはいたって普通に、道具を用意し始めた。ヴィトが手伝っている。だが、やはりどこかが違う。水は僅かな時間で熱湯になり、杯や砂糖、さじなどの道具は音もなく動いて並べられる。彼女が立ってから茶が用意されるまでにかかった時間は、とても短く感じられた。そんなはずはないと思うのだが、実際に感じられたその感覚は不思議としか言いようのないものだった。茶を淹れている動作はごく普通に見えたのに……と、双子は目をしばたいたりこすったりしている。

「さて、本題だが」

食卓についたアメリ=コルディアは、杯から立ち上る湯気をそっと吹いた。湯気はゆらめき、花の形になり、次に鳥を描き、最後は船になって消える。エイルと双子は目を丸くしてそれを見ていた。

「半年と少し前、リュークの経験をヴィトから伝え聞き、竜が現れたことを知った。この時代には存在しないはずの竜だ。三百年前ですら、過去の話として聞いた事があるという程度だろうね」

エイルとシキは黙って頷く。

「世界を揺るがすような、歴史を動かすような事件が起こっている。そう思って、大掛かりな予見をした。そして、過去の世界から来た王子と騎士、それにこの世でたった一組の双子の出現を見た。今、この世界には異変が起きている。放っておくわけにはいかない。そのために四人が必要だということだった。……そこでヴィトにはサーナの面倒を頼み、このリュークに案内を頼んだというわけ」

ゆったりとした口調で説明し、アメリ=コルディアは茶を口に含んだ。

「エイルとシキ、あなた方の望みは分かっている。過去の世界に戻りたいと思って、私に会いに来たのだろう?」

「そうです」

シキが神妙な顔で同意する。

「だがその前に、あなた方が時の流れに逆らってまでこの世界へやって来た意味を考えておくれ」

エイルは、ジルクの言葉を思い出していた。

――世界は、竜によって破滅する。

遥か昔の時代のはずだが、エイルにはついこの間のように思える。

「ジルク……我々の時代のレノア王宮司祭だが、彼もこの事を予見していた。私はレノアを、世界を救うために双生児を探しに行くはずだったのだ」

エイルの言葉に、アメリ=コルディアは興味深げな表情で軽く身を乗り出した。

「三百年以上も前の司祭が? ……いや、有り得るわね。当時の魔法技術は今よりも優れていたという説があるから」

「ジルクは私たちを、双生児がいる場所に送り込んだ。それはずっと未来の世界だったわけだが、ジルクはそのことを知らずに転移の術法を使ったらしい」

「ふむ……その司祭はよほどの力を持っていたわけだ。二人もの人間を時間移動させるなんて、私一人では無理だわ。ヴィトと二人でもどうかというところ。ジルクとやらいうその人に、一度お会いしたいものだ。ともあれ、その司祭も竜と双子の出現を予見していたというわけね」

アメリ=コルディアの言葉に双子が反応した。

「母が……あ、母も司祭なんですが、私たちが双子として生まれたのには何か必ず深い意味があるのだと、いつも言っていました。それと、詳しくは分からなかったようですが、母にも、竜の予見はあったようです」

「ジルクさん、母、そしてあなたの予見が一致するのなら、僕らには何か重要な使命があるという事になるんですね」

「そうだね。ジルクの予見では竜と双子だけだったようだが、私の予見では、それに……」

アメリ=コルディアがシキとエイルを指差す。二人はどきりと身を固くした。

「あなた方二人の姿も見えた。現在の世界においては、双子だけではなく、あなたたち四人すべてが必要とされている」

「我々もか」

アメリ=コルディアはシキに頷いて見せた。

「レノアが竜を、私利私欲の道具として利用しているとするなら……」

エイルの、そしてサーナの表情が変わった。まだ若く、幼いとすら言える彼らだが、一国の王族としての誇りがそうさせたのだろう。二人はそれぞれの国を想い、憂いて、唇を噛んだ。

「私はこの半年という時間を、情報収集と術法の準備に費やしていた。得られた情報をこれから話すから、よく聞いておくれ。まず、レノアの首都が封鎖されていたのは流行病のせいだよ。そしてグリッド王は死んだ」

双子が息を呑む。エイルはデュレーの酒場で聞いた話を思い出し、小さく頷いた。

「王の後継ぎの事や、レノア王宮の内情までは見通せなかった。何者かの手によって、王宮の中の情報が遮断されているね。強力な術者がいるようだ。それから竜だけど、あれはマイオセールの事件以後、レノア城の地下にいるようだね。何が起きているか、はっきりとは分からない。レノアが大陸の覇権を狙って動いているのは確かなようだが、真の目的は他にあるのかも知れない。いずれにせよ、このまま放っておくというわけにはいかないね。これ以上被害を出したくはない。……それともう一つ、分かったことがあるんだよ。竜を滅する剣は今の世界に一本だけ。そしてそれはバラミアにあるようだ」

「バラミア」

シキが息を呑む。エイルも驚いたような顔だ。だが双子にはその意味が分からない。二人は同時に首をかしげた。

「あの、バラミアって……」

「お前たちは知らないか? バラミアというのはレノアの南東部にある高い山のことだ。誰も近づいてはいけないと言われ、立入禁止になっている。少なくとも、私たちの時代はそうだった。だが恐らく、今でもそうだろう。その山中に竜を滅する剣があるとは……」

エイルが驚いた理由は、シキとはまた別のところにあったようだ。

「実は、私の母はそのあたりの出身なのだ。父王から、鉱山町に視察に行った時に一目惚れしたと聞いた」

「そうだったの」

「うむ。だが、母の出身地のことなどバラミア山の名を聞くまで、すっかり忘れていた」

優しい母。エイルはその顔を懐かしく思い浮かべた。後妻として王宮に入った母。貴族の娘であったとはいえ、田舎の小国出身で、首都に来てからはきっと苦労もしただろう。だが父王に愛され、母も父王を慕っていた。前妃の息子であるシエルとも仲が良く、シエルもエイルを実の弟のように可愛がってくれていた。偉大な父王、優しい母、敬愛する兄王子……エイルには大事な、何よりも大事な家族である。だが彼らは、あの反乱の朝、その命を落としたと聞いた。その事が、いまだに信じられない。

――私の時代に戻ったら、母君にまたお会い出来るだろうか。それとも、もう本当に、二度とお会い出来ないのだろうか。

自分と同じように父王と兄王子を目の前で失ったサーナは、言葉を失うほどの衝撃を受けたという。だがエイルは、実際に見ていない家族の死を現実として受け入れることが出来ないでいる。複雑な表情のエイルに目をやり、アメリ=コルディアは再び口を開いた。

「話を続けて大丈夫かい? そのバラミア山に伝説の剣があると分かった。竜を滅することの出来る剣は、その剣以外に恐らく存在しない。だが、剣は封印されているようだ。双生児だけがその封印を解く力になる」

「私たちが……?」

「予見通りならね」

アメリ=コルディアは頷いて見せた。

「竜が暴れれば、マイオセールの時のようにまた多くの命が失われる。レノアと竜のつながりはまだはっきりしないが、レノアの狙いは恐らく大陸全土の掌握。一番大きな勢力であるルセールの王都を破壊したのはそのためだろう。各地の小国や都市国家は、レノアやルセールに帰属はしていても、基本的に独立政府。マイオセールさえ潰しておけば後がやりやすいからね。だが、これからも竜は活動するだろう。……いいかい。バラミアへ行き、剣の封印を解くんだ。そうすれば、何があってもすぐ対応出来る」

シキが重々しく頷き、クリフは新たな冒険に興奮し、クレオは緊張した。

「バラミアまで、また遠い旅をするんですね」

「その必要はない。ついておいで」

アメリ=コルディアは小さな笑みをちらりと見せて立ち上がった。

円形の部屋を出ると、そこが確かに塔の一室だという事が理解できた。先ほどまで港町コーウェンの両替商の二階だったのに、と、クリフたちはいまだ不可思議な感覚に捉われている。一行は長い階段を下り、塔の地下へと導かれた。アメリ=コルディアは足音も立てず、息も切らさず、流れるように歩いて行く。

アメリ=コルディアとヴィト、リューク、サーナ、それにエイルたち四人は地下の広い一室へと入った。床一面に大きな魔方陣が描かれている。

「これを描くのにずいぶん時間がかかったよ」

ヴィトが苦笑したが、アメリ=コルディアはそれに構わず、部屋の片隅を示した。見れば、大きな台が据え付けられている。上面には金属製の四角い器がはめ込まれ、水が張られている。アメリ=コルディアが何かをつぶやくと、その四隅にある燭台に小さな灯がともった。

「そんなに早く……」

驚嘆するエイルに視線を投げ、アメリ=コルディアはにこりと笑った。

「修行することだね。……さて、準備が出来次第、バラミア山の麓(ふもと)にある鉱山町にあなた方を送る。登山の準備をし、情報を集め、バラミアに登っておくれ。剣の位置は東側の山腹、ちょうど山の中央あたり。洞窟か何か、入り口があるはずだ。注意深く探すんだね」

「私たちに出来るかしら」

「我々にしか出来ないことだ。行くしかあるまい」

珍しくも、エイルがクレオを励ましている。クリフも、心配そうなクレオの肩を優しく叩いた。

「ヴィト、準備を頼むよ。……さて。少し時間がかかるね。その間にもう一度レノアを見てみるとしようか」

ヴィトが師匠に応えて忙しく働き始める。アメリ=コルディアは水盤に向かって何やら唱えた。エイルたちは固唾をのんで見守る。しばらくすると水面に影が揺らぎ、それが徐々にくっきりとしてきた。

「レノア城だよ」

固い声でアメリ=コルディアは言う。その声からは、彼女が力をこめて術式を行っていることが伝わってきた。

「ここまでは他愛ないんだ。ほら、人々が見える。いつもより兵士の数が多いね。もう少し、近づいてみる……」

アメリ=コルディアの顔に緊張が漲り、額には汗が滲んだ。かざしている両手は微動だにせず、何もしていないように見えるのだが、彼女の体全体には力が入っている。

「中に入るよ」

ほとんど聞き取れないほど小さな声はかすれ、喉から絞り出されるようだ。水面に映る映像は揺らめきながら、ゆっくりと王宮へと入って行く様子を映し出す。みな、無言のまま目を見開き、顔を近づけけた。少しでも良く見ようと――。

「ひっ!」

水面がいきなり白く光ったのと、アメリ=コルディアが悲鳴を上げたのとは、ほぼ同時だった。両目を覆い、アメリ=コルディアはよろめいて台から離れた。ヴェールの奥で顔を歪める。やがて、その表情が悔しさに変わった。目が開かない。ひどい頭痛が彼女を襲っていた。彼女以外も、みな目がくらんでいる。

「遮蔽するだけなら、まだしも……こちら側を攻撃するなんて……そんな……」

切れ切れに言い、アメリ=コルディアは差しのべられたシキの手を軽く払った。片腕で、ヴェールごと目を隠している。

「大丈夫……だが参ったね、両目をやられた」

「師匠」

ヴィトが駆け寄ると、アメリ=コルディアは表情を強張らせた。

「完全に失明した」

全員が息を呑む。

「これで、レノアに攻撃の意思があると決まった。レノア王宮……誰かがあそこで何かを企んでいる。そして、誰にも邪魔させまいとしている。……こうなったら一刻も早く、剣を手に入れなくては」

「急ぐ必要が?」

「あれだけの術者だ。もしかしたらこちらの算段まで知られたかも知れない」

「まさか」

「分からない。だが悠長に構えてはいられない」

ヴィトが珍しくも焦った口調で言う。

「師匠、転移の術法は複雑で、集中力が要ります。元より私の力も精一杯かけるつもりでしたが、師匠がその状況は……」

「ああ、無理だ。術法に視力は必要ないが、痛みがひどい。術法を完璧に執り行う力が足りないのは明らかだ」

感情を抑え、淡々と事実を述べたアメリ=コルディアだったが、ヴェールの奥の蒼顔には動揺の色が浮かんでいる。

と、誰かが咳き込んだ。小さな、高い、かすれた声。アメリ=コルディアを始め、その場の全員が目を皿のようにし、ゆっくりと咳き込んだその者に視線を集めた。

「けほっ……ごほごほっ! ……っ! ……しが! ……わ……たし、が、やり……ます!」

両手で喉と胸を押さえ、眉根を寄せて必死にしゃべろうとしているのは皇女サーナだった。

「大丈夫?」

「サーナ、無理すんな」

クリフとリュークが同時に手を差し伸べる。サーナは二人に頷いて見せ、唾を飲み、唇を濡らしてから再度口を開いた。その喉からは、先ほどよりずっとはっきりとした声が漏れる。

「私が、やります」

声を出したいと思っていた。けれど、出なかった。何度か試した事はあったが、掠れた風のような息が吐き出されるだけで、喉は声を出すことを拒否しているようだった。だが今、これまでに感じたことのない強い衝動がサーナを突き動かしていた。

「大丈夫……やれます」

サーナの視線を受けたアメリ=コルディアは、黙って、強く頷いた。

「では取り掛かりましょう。師匠、こちらの準備は出来ています」

ヴィトがきっぱりと言う。場の雰囲気ががらりと変わった。

「よし。サーナ、あなたに細かい方法を伝授し、練習させる時間はない。私に魔力を渡せる?」

瞬間、サーナは戸惑った表情を見せた。が、素早く二度、頷く。

「よし。ではあなた方は? 準備は出来た? それともしばらく考えるかい?」

クリフとクレオは唾を呑んだ。エイルが、凛とした声で告げる。

「すぐに行こう」

サーナがアメリ=コルディアに両手をかざし、アメリ=コルディアとヴィトが詠唱する。しばらくすると、魔方陣の中央に立った四人は体が徐々に熱くなるのを感じた。

――以前ジルクに転移させられた時と似ている。

エイルは思う。

「もう少し……サーナ! 踏ん張りな! ヴィト、力を抜くんじゃないよ!」

黄色い光がエイルたちを包んだ。やがて光は大きく、まばゆくなり、その中に四人の姿は消えていった。

「なかなかやるな、あの女。……さて。今からでは兵を派遣するにも間に合わないか」

男は小さく嘆息した。細かな彫刻が施された机に向い、一式のカードを取り出す。そしてまた独り言に興じた。

「いや所詮、何も出来はしない。アルヴェイスでは洞窟内に入れない。やれやれ、自分で行く必要がありそうだな。……そうか、あれももう必要ないな」

呟きながら、カードを弄ぶ。分厚く固い紙には、二十四の神々が美しい景色とともに描かれている。男が積んだカードの表面を軽く叩くと、一枚が飛び出した。運命の神クタールが杖を振りかざしている。

「運命を裁くクタール、か」

重々しく言った後、軽く鼻で笑う。

「意味はないな。この世界の運命は、私が握っているのだから……」

男は立ち上がると扉を開けて出て行った。

レノア南東部ホベック地方。バラミア山の尖った峰々は天を突き刺すようにそびえ、黒々とした山肌は大地に不吉な影を落としていた。大陸中央に横たわるシンジゴ山脈はなだらかで緩やかな線を描いているが、バラミア山はそれと対照的な鋭い線で空を切り裂く。その山腹にある洞窟に、エイルたちはいた。

「あれがほんの数日前のことだとは思えんな」

感服したように何度も繰り返しているのはエイルである。一行は、じっとりと濡れた洞窟の岩肌を伝いながら、薄暗い道をゆっくりゆっくりと歩いていた。

「アメリ=コルディアが転移の術法を使えるとは心底驚いた。ジルクでさえ、禁断の秘術と言っていたのに」

「でも、ジルクさんは一人でやったんでしょ? 今回はヴィトとサーナが手伝ったわ」

クレオが言うと、エイルは首を横に振った。

「いや、アメリ=コルディアの力は底知れぬ。失明していなければ一人でやれただろう。あれなら……」

――私たちも、元の時代へ戻れるかも知れない。

エイルは続きの言葉を飲み込んだ。今はこの世界のことを考えるのが先決だと思ったからだ。だがシキは、エイルの気持ちが痛いほど分かっていた。自分も同じ気持ちである。

この旅は、シキにも貴重な経験をもたらした。エイルと共に、自分自身も成長したものだと思う。シキは長旅の一部始終を思い返してみた。反乱が起き、ジルクの手によって脱出した朝。サナミィという片田舎で双子と出会った事。それからの長い旅。騎士として王宮に勤めているだけでは見ることの出来ない、多くの景色を見た。双子たちと過ごす時間も楽しく、また穏やかな時を過ごすことも出来た。この旅は長く辛かったが、今思えば楽しいとさえ思える。だがそれでも、シキは自分の世界に帰りたかった。エイルと同じだ。レノアが、自分たちがいたあのレノアがどうなっているのかと思う。早く帰りたい。だがその思いを、エイル同様、シキも口にはしなかった。

黙っているからと言って、双子も、シキとエイルの気持ちが分からないわけではない。はっきりと言われずとも、彼らが自分たちの世界に戻り、そのレノアに平和を取り戻したいのは、もう十分に理解している。……この旅の終わりはどこにあるのだろう。封印は解けるのだろうか。剣を手に入れたとして、自分たちはいつか本当に竜と戦うのだろうか。今の、迷走するレノアと大陸の行く先は……? そんな思いを抱え、クリフとクレオもまた無言で歩き続けた。

分かれ道を右や左に曲がり、さらに半日ほども歩いただろうか。彼らはアメリ=コルディアの言葉が正しかったと思い知らされた。彼らは簡単に記された暗号のような地図を頼りに道を辿ってきたのである。

「本当に、着いちゃったよ」

驚嘆を隠せないクリフは、クレオと共に通路の奥、行き止まりに現れた扉に駆け寄った。これまで歩いてきた洞窟の壁や床とは明らかに違う、人の手が加えられた石の扉。つたが絡まったような彫刻が施され、色の沈着と汚れとが古い時代のものであることを示している。扉は両開きの門状になっており、中央部分に小さく彫られたくぼみがあった。だがそこには何も置かれていない。

「やっぱり、封印されてるね。このくぼみに何か入れるのかな」

「さっぱり分からないわ」

双子は扉を見上げたり、触ってみたりしたが、何も出来ずに途方に暮れた。エイルは双子の歩く速度についていけず、息を切らして、今ようやく通路の向こうに姿を現したところである。シキはエイルに手を貸してはいけないと自分に言い聞かせ、辛抱強くエイルが追い付くのを待っていた。

「お、お前たち、歩くのが、ちょっとばかり早い、ぞ。……はあ、はあ……ようやく着いたのか。それが、封印されている扉だな」

エイルは膝に両手をついて息を整えると、ゆっくり扉に歩み寄った。

「ふむ……確かに古いものだな。このつた模様は私たちの時代から考えても、相当古いものとされている様式だ。剣が作られた時代のものだから、竜が生きていた時代のものだろうな。ええと、どこかに……」

言いながら、エイルは額をこすり付けんばかりにして門とその周辺を観察した。

「あった。これだ」

「え、なに、何があったの」

「俺たちが見ても何も分からなかったのに」

「調べ方が甘い。見ろ、このつたの下の部分だ」

エイルが指し示す部分をよくよく見ると、何やら文字のようなものが刻まれているのが分かる。だがそれは一見、石が削れただけのように見えるものだった。双子はエイルの観察力に驚き、改めてその文字を読もうとした。が、勉強の成果を確かめることは出来なかった。文字は読めるようになったはずなのに……。

「エイル、これ何て書いてあるの?」

「全然分からないわ」

「見せてみろ。……ああ、これは独特な文字だ。城の図書室で見た本に記述があったのを覚えている。確か……そうだ、ホベック地方で昔から使われていた文字があったはずだ。それかも知れない。ちょっと待てよ……」

エイルは文字の前に座り込み、しばらく考え込んでいた。時折、文字を指でなぞり、また黙って考え込む。シキと双子には打つ手もなく、エイルの知識を頼りにただ待つしかなかった。

「全部は分からないが……」

双子たちが待ちくたびれて座り込んだ頃、ついにエイルが口を開いた。文字を指しながら、ゆっくりと解説する。

「この一節には、どうやら『運命』と書いてあるようだ。この後、何度も出てくる。これもそうだ。これも。それからこれが『歌』……いや『詩』かな。『旋律』という単語もある。ここにもあるな。そしてこれが恐らく『同じ』という意味だ。人間か、あるいは存在という象徴的な意味で使っているんじゃないかな。『同時』? 『同じ声』というのもあるようだが……。この最後のは『離れる』という単語だと思うが、恐らく、封印を解くという意味だろうな」

「すごい……!」

「よく分かるね!」

「もっとよく記憶していれば、すらすらと読めたのだろうが……」

「いや、でもすごいよ」

「素晴らしいですよ、エイル様。……そうか、その『同じ人間』というのが、双子のことなのかも知れませんね」

「そうか、そうだな。ということは……双子が、同じ旋律を、歌う……?」

「歌を?」

「あ!」

「あれか!」

「エイルの子守歌!」

四人は顔を見合わせ、同時に言い放った。

その数日前。アメリ=コルディアの手によって、四人はバラミア山の麓(ふもと)にある町まで、一瞬にして飛ばされたのだった。

「痛い! 腰を打ったぞ、腰を!」

エイルが大きな声で騒ぐ。シキはすぐに駆け寄ったが、エイルはその手を払い、腰を押さえながら立ち上がった。

「いや大丈夫だ、ありがとう」

礼を言うのも慣れてきた、と続けるエイルに、双子とシキが笑う。四人は改めて大陸横断を一瞬で成し遂げた事に驚き、だがまだ実感がないと口々に言い合った。見上げれば目指すバラミア山が間近にそそり立ち、しばらく歩けば鉱山町の入口が見えてくるといった具合だ。ほんの少し前まで、南の国の港街にいたはずなのに、ここは確かにレノアの領域内である。まったくもってそれは信じがたい、だが紛れもない事実だった。

町の中央広場に入ると、立派な銅像が建てられているのが目を引いた。相当に古いもので、改修はされているという事だったが、あちこちの塗装がはげている。長い髪を束ねた、いかめしい顔つきの老人。像の台座には「名工ヴィーラント」と銘打ってあった。両足を広げ、鍛冶に使う長い金槌を手にして立っている。これが件(くだん)の剣を作った人物であるということは容易に想像がついた。聞けば、この町一番の有名人で、誰もが誇りに思っている人物だということだった。

自らも剣豪であった名工ヴィーラント。彼の生涯最高の剣が、「竜殺しの剣」と呼ばれたそれであった。どんなものでも柔らかいチーズのように切り裂くことが出来、竜の固い鱗ですら突き通せると言われるほどの切れ味だったという。だがその剣があまりにも素晴らしいものだったために、人々はそれを奪い合い、多くの無益な血が流れた。その事を悲しんだヴィーラントは剣を取り戻し、折ろうとした。だが、自らが鍛えた剣を折ることは、自分の子を殺すことにも等しい。悩んだヴィーラントはバラミア山の中腹、洞窟の奥深くに小部屋を作らせ、特別な術を使って剣を封印したと伝えられている。封印を解く方法は直系の子孫にのみ伝えられたそうだが、今となってその血は途絶え、剣の存在は確かに伝えられているものの、誰も封印が解けないまま、伝説の剣となっているのだった。

噂話となった伝説の他にもう一つ、残っているものがあった。「幻の詩」と呼ばれる詩である。

「全文を知っている者はもういない。先ほども言ったように、ヴィーラントの血筋は途絶えてしまったのでな。ヴィーラントの工房に残されていたのが、その詩の一部だと言われている。その中でも、私が覚えているのはほんの少しだけだ」

そう語ってくれたのは、昔話を聞きたいならと紹介してもらった人物である。鉱山町の老人で、年齢は自分でも覚えていないと言った。老人は詩を思い出しながら、くぐもった声でゆっくりと話した。

「最初は確か、『愛しき子よ』で始まるのだ。『ハナスの香りに誘われて』だったかな。それから……ええと、なんだったかな。そうだ『共に過ごすこの時』……で、『眠れ、眠れ』……さあ、この続きが分からん」

老人は残念そうに首を振った。

「『眠れ、眠れ、我が愛する子よ、眠れ、眠れ、安らかに』だ」

「エイル?」

双子が振り返って見たエイルは、何とも言えない表情だった。老人の思い出した詩の足りない部分を補い、最初からつらつらと、全文を暗唱する。

「ちょっとちょっと、何で知ってるのよ、エイル」

「なんでって……子守唄なんだ」

「え?」

「母上が何度も歌ってくれた。それは、私の子守唄だ」

エイルの母親であるマードリッドは王妃であったため、子供の面倒を見る時間はほとんどなかった。だが、時間の取れる日の夜、エイルが眠る前の一時にはエイルの自室を訪れ、しばし話をしていく事もあった。エイルはその時間を何よりも楽しみにしていたものである。そしてエイルが幼いころ、マードリッドはよく子守唄を歌った。それは彼女自身が子供のころに聞いたものだと言う。

「え、じゃあ、じゃあ……エイルのお母さまが、王妃様が、ヴィーラントの子孫だったってこと?」

「本当のところは分からないが……」

ごくりと喉を鳴らし、エイルは興奮した表情で頷いたのだった。

「あれだ、町で聞いたあの詩だよ!」

「間違いないわ!」

クリフとクレオが声を上げる。シキも頷いている。三人の視線を受け、エイルはいきなり荷物袋に手を突っ込んだ。その慌てた様子に、三人は顔を見合わせる。エイルが取り出したのは……小さな箱だった。

「エイル様、それは?」

「あの朝……あの、反乱の朝に持ち出したのだ。慌てていたから何も持ち出せはしなかったが、『大切なものを一つだけ』と言われ、ではせめて、と。……これは、母にもらったのだ」

エイルは箱の裏にある小さなぜんまいを巻く。エイルが手を離すと、箱から小さな音で音楽が流れ出た。

「すごい……!」

「何これ、どうなってるの?」

「貴重なものだから、知らなくても無理はないかも知れん。この箱の中には、仕掛けがあるんだ。ごく小さな歯車が組み合わさっていて、このぜんまいを巻くと音が出る。まあ仕組みは分からなくても良いが、とにかく、この箱はあの子守唄を奏でるんだ」

「あの窪みに置いてみたら?」

「試してみるか」

緊張する双子の前を通り過ぎ、エイルは小箱を窪みにそっと置いた。小さな音で鳴っていた箱は、突如として大きく、美しい響きを演奏し始める。驚いた顔の双子にエイルが説明する。

「固い所に置くと、反響するんだ。……で? どうなるというのか」

「エイル、『同じ声』だよ。俺たちが、双子が歌うんだ!」

「そうよ、そうだわ! エイル、もう一度歌詞を教えて」

しばらく後、曲と歌詞とを覚え、練習した二人は、声を揃えて歌いだした。小箱は門の中央に備え付けられ、ぜんまいを巻き直され、美しい旋律を奏でている。

双子が歌う。クリフとクレオは両手を合わせ、目を閉じ、エイルの子守歌を歌い続けた。今まで、こんなに一生懸命歌った事はない。精一杯、力をこめて、心をこめて、二人は歌い続ける。声がかすれ、喉が痛みだしても、二人は歌った。だが……。

「何も、起きない、か」

ついに、シキが嘆息した。エイルも曖昧な笑みを浮かべ、首を振った。双子の歌声が力を失って小さくなる。クリフもクレオも落胆と諦めを隠せなかった。

その時。

エイルの目が小箱に、いや正確には小箱のすぐ上の部分に吸い寄せられた。

「やめるな」

「えっ?」

「続けて歌え、歌うんだ!」

エイルは小箱に飛びついてぜんまいを巻き直し、双子は曲に合わせて再び歌い出した。不思議そうな顔だが、歌っているので質問も出来ない。だが、やがてシキの顔にも真剣な表情が浮かび、双子の目も門に釘付けになった。

小箱から流れ出る旋律と二人の歌声。それに合わせ、扉の文様が歪み、かすかに動き出したのである。ひびが入るように、甲高く軋む音が洞窟内に響く。石が彫りこまれているようにしか見えなかった模様。植物のつたが描かれたそれが、今、本当にゆっくりと、だが確実にうごめいている。

「もっと、もっと大きな声で歌ってみろ」

エイルが門をまじまじと見つめたまま、双子に指示した。いつもなら食ってかかるだろうクレオも、もちろんクリフも、門とその模様を凝視したまま歌い続けている。二人の声量が上がると、文様は僅かに光を帯びたようだ。エイルは興奮して、「もっと、もっと」と二人を焚きつける。石造りのつた模様は徐々に左右に分かれ、門を離れ始めた。双子は疲れを感じ始めていたが、止めることは出来ない。大きな声でエイルの子守歌を歌い続けた。

どれだけの時間が過ぎただろうか。エイルとシキは数え切れぬほど、小箱のねじを巻き直した。双子の声はもう限界である。

そうしてついに、つたは完全に門を離れたのである。つたは両側の岩壁に貼りついて、もう動かなかった。触ってみても、もはや針の先ほども動かせるものではない。最初からここに彫られていたのだ、とでもいうように違和感がない。だが、残された扉には、先ほどまでつたの模様があったことを示す、斑(まだら)模様が残っていた。中央の窪みにはエイルの小箱がぽつりと取り残されている。

「ねえ、いつか……ナールが、言ってたわね」

クレオが息を整えながら言う。

「歌には、力がある、って……」

「ああ、そうだね。その通りだ。あの時は、まさか俺たちの歌とは思わなかったけど、でも……」

クリフも息が荒い。

「これで開くのだろうか」

エイルが扉に手をかけた。軽く押してみる。それから強く。もう一度。体重をかけて押す。引いてもみたが、びくともしない。

「……開かないな」

落ち込む双子を横目で見ながら、シキが歩み寄る。

「私がやってみましょう」

シキが渾身の力を込めて押すと、扉が奥へと動いた。

「動いた!」

「単に私の力不足か」

エイルは苦虫を噛み潰したような顔で言い、ゆっくりと開いていく扉を見つめた。

石の扉は分厚く、全開させるにはかなりの力が必要だった。シキが両手で、何とか押し開ける。

部屋の中はこれまでとは様子が違った。洞窟ではあるが、壁や床は加工され、磨かれている。扉の向こうには一つの部屋が造られていた。名工ヴィーラントが造らせたのだろう。長い、長い時の流れを感じさせる部屋だった。立派だが狭い部屋の一角には台座が作られ、その上に大剣が置かれている。

「シキ」

エイルの声は固く、緊張していた。シキは剣の前に進み出ると、恐る恐る手を伸ばす。台から外すと、ずっしりとした重みが手に伝わった。クレオが紅潮した顔でクリフと顔を合わせ、クリフは妹の視線に応えて頷くと、興奮した声を上げた。

「ようやく、竜を滅する剣を手に入れたんだ!」

「困りますね」

それは、血も凍るような声だった。寒気を感じて振り返ったクレオは、そこに長身の男を見た。

世の中には、悪人と呼ばれる者がいる。クリフとクレオは奴隷商に売り飛ばされ、競売にかけられた時にそいつらを見た。燃えたぎるような欲望を秘め、だがどこまでも空虚でうつろな瞳。その恐ろしさは今でも思い出せる。彼らも生まれたての赤ん坊のころは純粋で無垢だったはず……だが、それすら信じられないほど、彼らは悪に身を染めていた。善の心など、遠い昔にどこかへ置き去りにしてきたのか。己の欲望だけに駆られ、金や名誉、あるいは優越感などに酔い、人を人とも思わぬ所業を平気な顔で繰り返していた。この世界には純然たる悪というものが存在するのだと、クレオはその身をもって知ったのだった。

――この瞳は彼らのものと違う。

クレオはそう直感した。氷のような冷たさを湛えた顔に、こちらを静かに見つめる双眸。そこには絶大なる自信と、相反してもだえ苦しむような哀しみが交錯している。そんな気がした。

だが次の瞬間、クレオはやはりその直感は間違っていると思い直した。男の瞳に冷酷な光がきらめく。シキの手にした剣に、その視線がひたと据えられる。

「封印を解いてもらったのは助かりました。当面の手立てがなかったので放置していたのです。ですが、それは渡してもらいましょう。交換条件は無事に生き延びる、というのでいかが」

「何を言うか!」

エイルの声で我に返ったクレオは、男を睨みつけた。

「竜を使って何を企んでいるのか知れないけど、これは絶対に渡せないわ!」

「そうか、別に交換などすることはないのだな。私としたことが間抜けな事を」

男はエイルやクレオの言葉など聞こえもしなかったかのように呟いた。

「全員殺してから拾えば良い」

言うが早いか、男は反動もつけずに動いた。余りの早さにクレオは男が急に目の前から消えたのかと思ったくらいである。だがクリフとシキは身構えていて、男の動きに反応した。シキがエイルを、クリフがクレオを背にかばう。クレオはクリフの肩越しに、シキが剣を抜いたのを見た。竜殺しの剣は大き過ぎて振り回せないと思ったのか、短剣を手にしている。次の瞬間――その剣が光り、弾けた。

「!」

シキが右手首を抑え、膝をつく。クレオは思わず走り寄ろうとした。

「クレオ、駄目だ!」

クリフの声に振り返る間もなく、クレオは体ごと何かに引きずられた。恐ろしい感覚と同時に、全身がきつく縛られるのを感じる。鈍い痛みが全身を襲う。声が出ない。すぐ横に男がいる。だが体を動かす事は出来なかった。

「さて、洞窟を出ましょう。外にアルヴェイスが……竜が待っていますよ。あなた方も見たいでしょう」

何事もなかったように男は言った。男の、レノアの宰相クラインの術法によってクレオは地面から浮き、ふわふわと移動させられる。抵抗は無駄だった。身をよじっても、体を包むねっとりとしたものはどうにも取れない。自由を奪うそれが何なのかも分からない。クレオは囚われの身から脱却を許されず、クレオを人質に取られた一行は黙って追従するしかなかった。怒りと悔しさを滲ませて、クリフは息が荒い。シキは言われた通りに大剣を手にし、エイルは思案深げな顔でその後についていく。

洞窟を出ると、外の明るさに目がくらんだ。思わず固く閉じた目をゆっくりと開けていくと、クリフたちの目に黒々とした鱗状の壁が映った。壁を伝って見上げ、ようやくそれが竜の巨体であると理解する。

「竜……!」

「そう、これがアルヴェイスという名の竜。我がレノアのために働いてくれた。……だが、もう用無しだ」

クラインの言葉に竜が反応し、恐ろしい唸り声を上げた。双子は恐怖に固まっている。シキですら身動きが取れない。

「どういう意味だと言われてもな。その通りの意味だ。ああ、私が心から敬服して仕えていたと思っていたのか。愚かな事だ。所詮は動物の類だな。長き眠りから起こしたのは、我が野望に利用するためだ。そうとも、お前の力は絶大だったよ。だが、もう用無しだ。ああ、それはもう言ったか。では」

クラインはそう言うと素早く両手を掲げた。両方の掌を内側に向かい合わせ、口早に呪文を唱える。竜は怒り凄まじくといった様子で首を振りあげ、その口中に炎を蓄え始めた。

「遅い」

クラインの掌の間に光の渦が沸き起こり、それはすぐに大きなうねりへと転じる。そして竜が口を開ける寸前に、クラインはその紫の光を竜へと向かってほとばしらせた。光が竜の頭上で弾け、竜の巨体が吹き飛ばされる。あわや崖から転落という寸前で、竜は大きな翼を広げて、かろうじて踏みとどまった。だが、光は消えずに竜の目を攻撃する。大きな咆哮をあげ、竜は体をくねらせた。

「さすがだ。これでも致命傷にならないとは。やはりあの剣が必要だな」

シキはしっかりと手にしていたつもりだった。だがその大剣は、恐ろしいほどの力でもぎ取られクラインの元へと飛んだ。

「おお、これは重い。私の手では扱えないな」

死にかけている竜と青ざめた顔の一行を横目に、クラインは楽しそうですらあった。紫の光は激しい音を立てながら、竜を攻撃し続けている。シキは長剣の柄を握りしめたが、やはり何も出来ぬと悟っていた。口惜しさに体中の水分が沸騰するかと思う。自分が無力である事を、シキはこれまでになく呪った。

クラインは見えない手で剣を操り、竜に切りつける。何箇所もの切り口から赤黒い血が噴き出し、竜はさらに咆哮を轟かせた。バラミアの空に、竜の苦しみが響く。傷はどんどん増え、噴き出す血で大地が染まっていく。双子やシキの頭上にも竜の血が降りそそいだ。クラインはどういう手段を用いてか、全く汚れていない。クリフが悔し紛れに放った弓も見えない壁に突き当たり、力なく地面に落ちた。

そして、竜は死ななかった。いつまで経っても。憎悪と、悲しみと、痛みと、苦しみと……ありとあらゆる負の感情をその目に浮かべ、だが竜は生きていた。

「やれやれ、きりがないな」

「いい加減にしろ!」

クラインが嘆息した時、ついに叫んだのはクリフだった。恐ろしい敵であるはずの竜だったが、その苦しみを目にして、クリフは目に涙を溜めていた。

「殺すなら、早く殺してやれよ! こんな……こんな……!」

「面白い事を言う。君は竜を可哀想だと言うのか? まあ、私も早く殺したいのは山々だが。急所が分からんのでな。首を落とせるほどに大きな剣でもないし」

「いくらなんだって、こんなの、ひどいわ……」

囚われのクレオも、息苦しそうに呟く。だがクラインは気にも留めていないようだ。

「しばらくすれば失血死するかな。……暇な間、おしゃべりでもしていようか」

「下らん事を」

シキが吐き捨てる。それにも構わず、クラインは話し出した。

「幼いころ、夢を見たかい? 大きくなったら何になる、というやつだ。他愛ない、子供の夢。私もやったよ。生まれた国の、レノアの王になりたいという夢を描いた。だが、笑われた。レノアは血統主義だからな。有能な者でも力を発揮できない。無能でも王位につける。何のための国だ。国民を平和に導き、正しい統治をするのが王の責務だと言うのに、王の息子というだけで王になるとは。馬鹿げていると思わないか? 血が大事なのか? 王の息子であるという事が、何の役に立つ。無能な王が国を滅ぼしたら誰が責任を取る。国とはなんだ。人とはなんだ。政治とは、社会とは、平和とは? 善悪とは? 正義とはなんだ?」

立て続けにまくし立てるクラインに対し、エイルは黙っていた。双子は聞く耳を持たぬという態度だったが、エイルはその言葉の意味を、深く考えていた。そして、両の掌を強く握った。クラインは続ける。

「私はごく一般的な庶民の生まれだ。だが、明らかに周囲の人間とは違った。力があり、魔術の素地もあった。学べば学ぶだけ私は有能になった。だが、就ける仕事はたかが知れている。階級制度のせいだ。そんな私が国を統治するためにはどうしたらいいと思う? 反乱を起こす? 準備には時間がかかる。富、人手、後ろ盾……多くのものが必要だ。国のあらゆる地方はもちろん、城下、そして城も大いに乱れる。後始末は大変だ。そして、良き王に対して反乱を起こした者は、例え強くとも国民の信頼を得られん。損失が多過ぎる。私は皆と同じように新兵として城に入っただけさ。上官を暗殺し、階級を上げ、上層の貴族を数人抱えこんだ。弱みに付け込むか、なければ作る。笑ってしまうほど簡単だった。そしてそいつらをさらに昇格させるために、必要な職を空ける。醜聞の一つでもあれば簡単に失脚する。噂一つで席が空く。誰にも気づかれなかった。実に容易(たやす)かったよ。次に、病を流行らせた。流行り病の素は私が作ったのだ。それほど難しくはなかった。レノアを封鎖させ、王宮を中心に振りまいた。グリッド王は割とすぐに死に、王位継承権を持つ不要な者もみな死んだ。残ったのは私が操りやすい凡庸な男だけ。そう、その頃だったな、あれを見つけたのは」

紫の光にさらされ、苦痛の呻きを上げ続ける竜に一瞥をくれる。

「氷漬けになっていたアルヴェイスを起こすには、さすがに少々苦労した。その言葉を判別するのにも。……後は大体知っているかな? 宰相の私がレノアに大陸制覇させるまで、予定では半年だった。少々過ぎてしまったな」

「そのために……自分の野望のためだけに、竜を、利用したの……?」

クレオが弱々しく問う。クラインは鷹揚に頷いた。クリフが噛み続ける唇には血が滲んでいる。彼はいまだ弓に矢を番えていたが、放っても無意味だと分かっていた。

「一つ誤解されているようだが、私は人々を苦しめるつもりではない。複数の国があり、覇権を争う種を残しておくのは憂慮すべき状態だ。大陸は統一され、適切に統治されるべきだ。私にはその力がある。そして最早、竜の手助けは不要だ」

「クリフ、矢を……」

背中にエイルのささやき声を感じ、クリフは体を固くした。背後に強い熱気がある。それまで静かにしていたエイルは、その気配を感じさせなかった。だが今、水色の髪の少年王子は大きな力を持ってクリフの背後に隠れ潜んでいたのである。

「動かず、黙ったまま、ゆっくり……私が叫んだら、放つんだ。なるべく早く、多くの矢を……もう少し……」

エイルの声は切羽詰っている。クリフはそろりそろりと腕をあげ、狙いを定めた。クラインは話を続けている。

「君らには力がある。解放しては今後の憂いとなりそうだ。私の大陸統治を見せられないのが残念だが、眠りについてもらおう。……しかし、分からないな、竜というものの生態は。まだ死なないか。どこかに急所があるのか……」

「クリフ!」

エイルの声がし、クリフは反射的に矢を放った。目に見えぬ壁が矢を防御する――そう思いながら、けれどクリフは次々と矢を番え、放ち続けた。矢は続けざまに空を切って飛び、そしてそれは炎の蛇へと姿を変えた。クリフの背後から姿を現したエイルが両手に力をこめて詠唱を続けている。

「無駄なあがきをする」

クラインはせせら笑い、反撃のための呪文を唱え始めた。

――そうはさせない! 

クレオは顔のすぐ下にあるねっとりとしたものを、気持ち悪さに耐えて食いちぎった。そしてそれをクラインの顔に向かって吐き出す。それは、小さな抵抗だった。ねっとりとしたそれはクラインの頬につき、すぐに落ちた。自由になるためには無駄な抵抗と言わざるを得ない。だが、クラインの意識を一瞬そらす効果はあった。

「ちっ」

気が散って呪文が途絶え、クラインは再度反撃に出た。だがその時には炎と化した蛇が防護壁に突き刺さっていた。最初の数本はすぐに燃え尽きる。呪文が終わる前に、クラインの術法が発動する前に、防護壁が破れなければ……エイルの切なる願いは、聞き届けられた。何本目かの蛇がクラインの防護壁を食い破り、中へ侵入したのである。

「シキ! 剣を投げろ!」

エイルの命令にシキは瞬時に反応した。失った短剣以外にも身につけていた短剣を三本、続けざまに投げる。昔、旅の芸人一座にいた頃、それを見世物にしていた事を、シキはほんの一瞬の間に思い出していた。……きっと当たる。シキは確信した。そして、それらはシキの思惑通り、矢の蛇たちが開けた穴に吸い込まれるように飛び込み、クラインの詠唱が終わる前に、その体に突き刺さった。

「おっ……お前にそんな力が……」

クラインはのけぞったまま、エイルを指差した。

「お前の身の上話の間に準備していたのだ。分からなかったか? 有能なお前にも分からないことがあるのだな。……我々の力を見くびった、それがお前の敗因だ。さあ、アルヴェイス!」

その声に、双子とシキは思わずエイルを注視した。エイルが、竜に呼びかけたのである。アルヴェイスと呼ばれた竜は、その声に反応するように渾身の力を振り絞った。クラインは、己の頭上に大きな黒い影が映るのを感じた。だが時既に遅く、振り返るクラインの上にアルヴェイスの巨体が倒れこむ。クラインの叫びは竜の体が地面に叩きつけられる轟音にかき消された。竜の体が、次いで長い首と、翼が落ち、あたりの小石や埃が巻き上がる。双子は目を見開き、目の前の惨状を見つめていた。上空には重く暗い雲が広がっていたが、その隙間からハーディスの光が差し込んでいる。塵(ちり)や埃がその光に舞う様は、まるで小さな妖精が踊り狂っているようにも見えた。

……昔。

それは遠く、遥か昔のこと。

砂漠の砂丘に、繁栄を極めた王国があった。王国は長い間、平和そのものだった。敵はいなかった。彼らは優れた頭脳と、優しい心を持ってその地に君臨し続けていた。

だがある時、敵が攻めてきた。敵は小さかった。だが、その欲は果てしなく強かった。情け容赦なく、王国の者は次々と殺された。

城の奥深く、王と王妃、それに王子や姫たちは恐れに慄(おのの)いた。

老術者が言った。

「皆様に術をかけます。長き眠りに……」

目覚める時は分からない。目覚められるかさえ定かではない。だが、敵の手を逃れるにはそれしかなかった。術者たちによって王たちの部屋は氷漬けにされ、封印された。 王子は、深い眠りにつきながら思った。

――どうしてこんな事になったのか。私たちが何をしたというのか。私たちはただ、平和に暮らしていただけなのに……。

――これが、私の、物語だ。

竜は、ゆっくりと言った。それはもちろん、低い唸り声にしか聞こえない。だが、それにエイルが答えた。

「そうだったのか」

――私の言葉が、分かるのだな。

「ああ。先ほど、すべての力を使い果たして術を行ったが、その後で、頭の中が鮮明になった。今は、貴方の言葉が分かる」

――レノア王家には、生まれつき竜の言葉が分かる者が生まれる事がある。我々の王国が健在だった頃も、レノアという国はそうだった。クラインは、血統主義など馬鹿馬鹿しいと言っていたな。だが、レノア王家にはそれなりに意味があったようだ。お前の、眠っていた能力は、今ようやく覚醒したのかも知れないな。

「竜は……人間に滅ぼされたのだな」

エイルが苦しそうに声を絞り出す。アルヴェイスはゆっくりと赤き目を閉じた。さきほどクラインがつけた傷は、いつの間にかふさがり、出血も止まっている。

――それまでは、互いの領域を守り、平和に過ごしていたのだ。だが、竜の鱗や、硬い皮が、人間同士の争いに不可欠だったのだろう。それに気づいた人間たちは、あっという間に竜を殺し尽くした。今よりずっと魔術の力が強かったのだ。彼らの本気の攻撃に、抵抗する術はなかった。私は家族とともに氷漬けになり、長い眠りについた。いつの日か目覚める事を、そして王国を復興させる事を夢見て……。だが目を覚ました時、家族はみな死んでいた。どうやらクラインが目覚めさせようと試みて失敗したようだ。生き残っていたのは私だけだった。

話が分からないシキと双子に、エイルが要約を伝える。クレオは口を覆い、クリフは怒りに震え、シキは眉根を寄せてその話を聞いた。アルヴェイスは目を閉じたまま、その生涯を語った。

――現在の人々は、ただ竜を悪者にして空想的な童話として伝えていた。私は怒り、私を覚醒させたクラインの申し出に従って人間に復讐することを誓った。だが、あいつは私を利用していただけだった。それを知った今、人間への怒りはもう……薄れた。人間をすべて殺して復讐を遂げたとしても、竜の王国が復活するわけではない。復讐は、また別の怒りと悲しみを呼ぶ。人間を殺しても、竜族のみなは帰ってこない。人間を殲滅しても、もはや何の意味もない。いや、分かってはいたが、怒りが私を狂わせ、あいつの言葉が私を踊らせていたのだろう。

「人間を代表する立場ではないが、私は人間の一人として、竜族への仕打ちを恥じる。詫びても済むものではないが……」

――いや、これでいいのだ。その気持ちがあるだけで嬉しい。眠りについたあの時から今まで、一度も私は喜んだ事がない。だが今初めて、私は嬉しいと感じたのだ。素晴らしい事ではないか。そして少年よ、お前たちは『運命の者』、救世主なのだ。だから、これでいい。だが……世界を救うというのは難しいものだな。お前たちの世界は救われた。だが、クラインにとっては破滅だ。そして、竜の世界ももう戻っては来ない。

四人は、アルヴェイスがゆっくりと紡ぎ出す言葉に耳を傾けていた。舞い上がった埃や砂が徐々に治まり、柔らかなハーディスの光が竜の巨体と四人の影を作っている。あれほどに恐ろしく見えたアルヴェイスの黒い鱗は、艶やかで、幻想的なまでに美しかった。

――何が正しいのか、何が正義か、それはその者の立場によって変わる。竜が人間の世界を滅ぼすことも、人間が竜の世界を滅ぼすことも、どちらかが善、どちらかが悪なのではない。みな、それぞれに自分の正義を貫いて生きるしかないのだ。私は竜族として、怒りや悲しみを人間にぶつけようとしていた。お前たちは滅ぼされんとして私と戦い、また人間同士でも戦った。絶対的な悪、また絶対なる正義など、そこには決して存在しない。

エイルが静かな声で呟く。

「獅子は兎を殺し、餌にする。食わねば生きてゆけぬ。だが、兎から見れば死そのもの。その事自体が善なのか悪なのか、誰も決められない。それは……世の理(ことわり)なのだ。違う立場の者が、どう感じるか、それだけの事。クラインにはクラインの、アルヴェイスにはアルヴェイスの目的があった。どちらも、それを全うし得なかった。それを善悪で判断するのは意味がない。あるとするなら、後世の人々が勝手に判断する事が、歴史として語り継がれるだけだ」

――そうだ。竜がいつの間にか悪の象徴になったように、事実とは違っても、後に残った人々が好きに判断するものなのだ。歴史というのは勝者が作る。……小さき者よ。お前たちはその世界をますます繁栄させるが良い。私はもう、怒りに燃えてはいない。私は、自分が最後の生き残りになるとは思わなかった。竜族の最後を、この目で確かめる事になろうとは、想像だにしなかった。だが……いいものだ。最後に素晴らしい者たちと出会えた。私にとっては、これが真実……。

「アルヴェイス」

エイルの声は僅かに震えている。アルヴェイスはその大きな目を開いた。負の感情が微塵もないその瞳は、深い湖水のように透き通り、限りない優しさに満ちている。

――弓使いの少年、そして少女よ。お前たちはクラインに向かったその勇気をもって生きよ。勇猛なる剣士よ。お前はこれからも強き心を持ち、少年を助けよ。エイル。賢き少年よ。お前は良い統治者になるだろう。自分の信念を貫いて生きるがいい。さあ、私は……寝るとしよう。剣士よ、大剣を手にしなさい。

エイルがその通りに言うと、シキは大剣をその手に握った。双子は悲しみをこらえ、そのゆっくりとした動作を見つめている。

――私の喉に、特に固い三枚の鱗があるだろう。……そう、そこだ。その中心部分に剣を突き刺すのだ。そこが私の急所だ。クラインには分からなかったようだがな。

そう言うと、アルヴェイスはその大きな口を広げ、笑って見せた。

しばらくの後。

アルヴェイスの首から剣を抜いたシキは、近くの地面にそれを突き立てた。

「立派な墓標ではないが……飾り立てる意味もなかろう。安らかに眠れ」

そして彼らはその場を立ち去った。二度と訪れる事はないだろう。空はいつの間にか晴れ渡っていた。いつもと変わらぬハーディスの柔らかな光が、この世で最後の竜の亡骸を照らし出している。

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