Legend of The Last Dragon −第二章(2)−

道ゆく人を捉まえて訪ねると、東へ少し行ったところに旅人の宿があると教えてくれた。今夜はそこに宿を取るしかなさそうである。

ジョゼーのところへ馬を引き取りに行くと、商人たちも夕飯の支度に追われているようだった。聞くと、ジョゼーは馬の手入れをしている、と言った。確かに、派手な布を巻いたジョゼーの頭が、馬の後ろに見え隠れしているのが見える。

「ベルカの調子はどうだ?」

「おお、シキじゃないか。戻ってくるのが遅いから、心配したよ。ベルカってこいつかい? 絶好調だよ、夜通し走ったって大丈夫だろう」

「それは有り難いな。だが今夜は『烏と木馬亭』に泊まる事にしたよ」

「ああ、それはいいな。もうすぐ夜になるし、出発は明日にしたらいい」

「ジョゼー、ここらで情報を集めるならどこがいいかな。なるべく大きな街がいいだろう?」

「そうだなあ、一番大きな街といったらやっぱりイルバだろうな。あそこはたくさんの人が集まるから、色んな話が聞けると思うぞ」

「イルバ……街道沿いの街か?」

「なんだ知らないのか? 有名な町だがなぁ。そうさ、街道を南に下っていきゃすぐ分かるよ。馬で行くなら……三日もあれば着くだろう」

「そうか、ありがとう」

小さくまとめた荷物を鞍の両側につるすと、エイルをひょいと抱き上げてベルカの背に乗せる。シキは左足を鐙(あぶみ)に乗せると、軽く身体をひるがえしてその後ろにまたがった。

「色々と助かったよ」

「いやぁ、こっちこそ思わぬ儲けが出たよ」

ジョゼーはそう言って、日に焼けた顔で笑った。旅の安全を祈るジョゼーに別れを告げ、シキはベルカの腹を軽く蹴った。

エイルは馬を操る事が出来ない。一人で馬に乗る必要性などなかったからである。たまに城の外へ行く時などは馬車であったし、武術の訓練などで練習する機会もあったが、エイルは大の苦手でさぼってばかりだったのだ。馬を操ってみたいと思わないでもないのだが、今のところはこの大きな動物に近寄る事も出来ないのだった。シキはそんなエイルを両腕の間に挟みこむようにして、ベルカを歩かせる。

「これからは王宮にいた時と違い、きっと色々な事がありますよ。ご覚悟を」

「うん、分かってる。……でもシキがいるからな、平気だ」

そう言うと、エイル=ダルク=レノア殿下はその愛らしい顔に微笑を浮かべて振り返った。王子を守る青年騎士は優しく頷いて見せる。馬は整備された広い街道を外れ、一番の宿を求めて、夕闇迫るレノアの大地を進んでいった。

イルバの町。ここは街道筋でも格段に大きな町である。人の出入りも激しいので、宿屋や酒場が乱立し、レノアの中でも一風変わった町として知られているが、何よりこの町を有名にしているのは、数多くの市場だった。

交通の要所でもあるイルバでは、市は一年中絶える事がない。扱う商品は多様で、「イルバで手に入らぬ物はない」というのが町の売り文句だ。果物、野菜、肉などの食料品や飲料などは言うまでもなく、武器や防具、服、日常雑貨、絨毯、家具、宝飾品など、ありとあらゆるものがイルバにはある。大陸一の交易都市と呼ばれる所以はここにあった。

イルバで売っているのはそれだけにとどまらない。イルバの市の中でもとりわけ有名なのは奴隷市だ。イルバでは人的資源も手に入れる事が出来るのだった。公に取引されるのは非人道的なものではなく、口入れ屋と呼ばれる奴隷商人たちが、イルバ領主の許可を得て奴隷市を開くのである。彼らはそこで、働き口と人手の仲介をする。つまり、仕事にありつけない人々には仕事を紹介し、労働力を必要としている職場には人手を供給するのである。他の地方ではあまり見る事のない、この「奴隷市」というものがイルバ最大の特色であった。もちろん、裏では許可されていない奴隷の取引も行われている。子供や性的な仕事への奴隷の供給は許されるべきではない事だが、それは公然の秘密ともいうべき存在で、領主でさえもその全てを取り締まる事は出来なかった。そういった店からの上納金が、街を支える重要な資金源である事には間違いがないのである。

街の領主はダルケスという男で、彼自身は悪人でも何でもなかった。むしろ彼は良心的な口入れ屋であり、イルバを発展させた立て役者だった。若い内から、奴隷の需要と供給に関する問題に敏感で、当時未発達だった小さな町の領主になってからというもの、そういった問題に対して精力的に働いた。彼は町にいくつも丸屋根の建物を作らせた。その個性的な建築物は全て奴隷市場として使われ、イルバはすぐに近辺では知らぬ者のいない町になった。やがて多くの労働力が集まるようになり、自然と奴隷市は増加していく事になる。街のどこに行っても奴隷市場があるというような、大きな都市にまで発展したのも、領主ダルケスの功績によるところが大きいのだった。レノアへの税金も、イルバはその多くを人的資源で賄っている。

シキとエイルがこの町に姿を現したのは、雨の午後だった。ここのところしばらく続いていた雨が、その日も朝から降っていた。太陽神ハーディスは厚い雲の向こうから顔を現さず、雨の神レーヴェが一日中、その涙で緑の大地を濡らしている。石を敷き詰めた街道は土がぬかるむという事もないので、馬は順調に歩いていたが、上に乗っている二人はすっかり閉口していた。大きな町らしき景観が水煙の向こうに見え始めると、エイルがこれみよがしに寒いと呟く。

街道に立てられた看板には、「まもなくイルバ」と彫りつけてある。シキは、顔に当たる雨に目を細めながらそれを確認すると、ベルカを操って町へと向かった。降りしきるレーヴェの雫が二人の髪や服を濡らし、絶え間なく雫が滴り落ちていく。すっかり色が変わってしまっている布袋に雨が当たって跳ね、その不規則な音がまた二人を憂鬱にさせるのだった。シキは自分の大きな外套をエイルにかぶせるようにしていたが、それでも降りしきる雨に、少年の髪や服は濡れてしまう。当然、シキの方はずぶ濡れであった。しかし彼は、そんな事を気に留める事もなく馬を進めていった。

町に近づくと、いくつもの大きな丸屋根が目に飛び込んでくる。雨の日にも関わらず多くの人々が労働力を買い求めて、また仕事を探し求めて行き来していた。

町の入り口で馬を下り、預け小屋の親父に馬を引き渡す。預け小屋には馬をつなぐための杭があり、それぞれに番号がついている。街を出る時には馬をつないだ杭と同じ番号の札を渡せば馬を返してくれる仕組みだ。もちろん、いくらかの手数料は取られるのであるが。

馬を預けるとすぐに、シキとエイルは手近にあった宿屋に飛び込んだ。服を濡らしていた雫を払っていると、奥から宿屋のおかみさんが顔を出す。

「あらあらお客さん、大変だったね。着いたばっかりかい?」

「ああそうだ。レノアから来たんだが、今日は朝からレーヴェに気に入られっぱなしで……」

「すっかり濡れねずみじゃないか。ほら! こっち来て乾かしなよ」

大きな声と人懐こい笑顔に、人の良さそうな性格が見て取れる。大きく手招きされて、エイルは暖炉の前に駆け寄った。

「ぐっしょりだね、こりゃ早く脱いだ方がいいよ、ほら、脱いだ脱いだ!」

おかみさんはこともなげにエイルを抱きかかえるようにして、服を脱がせ始める。

「な、何をする! 無礼者!」

「? ……なんだい、随分な口を利くじゃないか。子供は子供らしくしてりゃいいのさ」

おかみさんはそう言うと、エイルの服を強引に脱がせて暖炉の前にかざす。すぐに店の奥から乾いた服を持って来て、エイルに押し付けるように渡した。

「当分、これでも着てなよ。お気に召すかわかんないけどね」

そう言うと、大きな口を開けて笑う。シキもつられて笑ってしまった。エイル一人が納得いかない表情だ。それを見て、おかみさんは再び大声で笑い出してしまった。それへ向かって、シキは濡れた前髪をかきあげながら頼んだ。

「すまないが、部屋を一部屋貸してもらえないか」

「ああいいよ、小さな部屋でよけりゃすぐ入れるけど。どのくらいいるんだい?」

「そうだな……三、四日ほど」

「あいよ! じゃ、濡れた服を着替えてから降りといで。暖かいスープでも作ってあげるよ」

「それは有り難いな」

心底ほっとした顔のシキに比べ、エイルは仏頂面のままだ。着替えながら、小さな声で呟く。エイルは独り言のつもりだったが、二人には聞こえていたらしい。

「なんでシキは脱がされないんだ……」

突拍子もない言葉に、シキは呆気にとられている。おかみさんは笑いがこらえきれない。大柄な身体を縮めて我慢していたが、結局、どうにもならずに吹き出してしまう。口をふさいだ手から、くっくっくと笑い声が漏れる。その内、諦めて大声で笑い出した。笑えば笑うほど少年の気分を害すると分かっていても、その小生意気な態度に笑いをかみ殺す事が出来ないのだった。

「……あっはっはっはっは!」

思わず目に浮かんでしまった涙を拭き拭き、言って聞かせる。

「あたしがこのお兄さんを脱がせようったって無理な話だろう、坊や? 無茶言うんじゃないよ。第一、男の服なんて脱がせられるもんかね!」

「私だって男だ!」

「あーっはっはぁ、こりゃあいいね! 男たって、あんたはまだ子供だろ。……まったく、面白い子だよ。さあさあ、とっとと上に行って濡れた荷物を乾かしてきな。二階の一番奥の部屋だよ」

相手にしてもらえないので、エイルにしてみれば憤慨の極みである。シキはといえば、やはり笑いを必死でかみ殺している。顔を背け、口に手をあてて堪えている様子に、エイルは尚更腹を立てた。頬を膨らませ、唇を噛んで、階段を駆け上がっていく。それを見ていたおかみさんは、笑い疲れた様子でシキに話しかけた。

「随分とこまっしゃくれた坊やだねぇ」

「ちょっとな、育ちのいい家の子なんだ」

「なるほどね。どんな事情があんのか知らないけど、あれじゃ世の中渡っていけないよ。世間知らずってな、あの子のためにあるような言葉だねえ」

しみじみとした言葉に、シキは苦笑するしかなかった。夕食も頼むと言って、階段を上がっていく。その後姿を眺めながら、おかみさんはにんまりと笑う。

「脱がせられるもんなら、脱がしてみたかったね」

それから慌てて首を振り、自分で自分を笑い飛ばすとスープを作りにかかった。

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