Legend of The Last Dragon −第三章(2)−

ガライには弟がいるという。弟は武術に優れていたので、ルセール城で倉庫番をするまでに出世した。倉庫番と言っても、彼が警備しているのは宝石のいくつかがしまってある小さな部屋だったのだが。

しかし、先日の事。

「弟は何も知らんと言うんだ。だが、大事なサファイアの首飾りがなくなったんは確かなんだよ。いくつかなくなっちまったんだが、サファイアのは特別に大きい奴だったんだ。誰が盗んだのかも分からんし、どうやったのかも分からん。なんしろ、そのおかげで弟は仕事が出来なくなっちまった! このまま見つからなかったら国外追放だって言うんだぞ。弟は一生サファイアなんか見たくもないって言ってる。俺だって……くそっ!」

ガライは弟の事をとても可愛がっているようだ。まるで自分の事のように悔しがる様子は、彼の逞しい外見とは裏腹に、妙に可愛らしい印象さえ与えている。しかしリュークは、そんな話など聞いてもいないようだった。自分が前に飲んでいた分と合わせて二つの空の銅杯をいじって遊んでいる。目の前の依頼人に目もくれず、杯を重ねて置いてみたり、転がしてみたり……。ガライはその様子を、歯を食いしばって睨みつけた。しかし、それすらリュークは意に介さないようだ。目だけをガライに向けてぶっきらぼうに言う。

「なんだよ、先を続ければ?」

ガライは床に向かって唾を吐き捨てた。しばらくの間、口の中でぶつぶつと罵(ののし)りの言葉を呟く。

「俺がマルティンさんの屋敷で働いてるって事は言ったな」

「ああ、あのでぶ親父な」

「……まあ、そうだ。そこでつい一週間ほど前に舞踏会があったのを知ってるか?」

「いや。この前ここへ来たのはもう三ヶ月も前になるし、今回は昨夜着いたばかりだからな。けど、あの奥さんの騒ぎ好きは昔からだ」

「そう、それで奥様はこないだも、なんだかよく分からん名目の舞踏会を開いてた。その時に、俺は見たんだ!」

「何を」

「決まってるだろう、首飾りだ! 奥様がしてたんだよ、作りもんなんかじゃないんだ、そう言ってた。間違いねえ、あれはお城の弟んとこから盗まれた奴なんだよ! おい聞いてるのか、えぇっ!」

「静かにしろよ」

「盗まれた首飾りなんだ! サファイアなんだよ! そんでぬかしやがった、『やっと手に入れた』ってな! !」

ガライは興奮し、自分が大きな声を出している事に気づいていない。今にも立ち上がって両手を振り回しそうな勢いだ。リュークは再度たしなめる。

「静かにしろって。本当に本物なのかよ」

「本物だとも! ヴィトが保証したんだ。あいつは何でも知ってる、あれが本物だって事も、ヴィトは知ってるんだ」

「あっそ。じゃあその首飾りは本物だろうな。あいつの情報にゃ間違いがないから。それ以外はちょっと……だけどなぁ」

「なあ、俺は騒ぎを大きくしたくねえんだ。誰が、何で盗んだかなんてどうでもいい。あれが無事にお城に戻ってくれさえすりゃいいんだ。そうすりゃ弟も戻ってこれる」

「トーラスの屋敷から盗んで、誰にも分かんないように城に返せって事か」

「ああ。頼む、どうかあれをお城に返してくれ」

ガライは大きな体を小さくして頼み込んだ。もう大きな声を出す事はなかったが、その代わりに気がはやって、妙に早口になっている。リュークは席を立ち、手櫛で髪を梳(す)く。そのまま立ち去ろうとして、思い出したように付け加えた。

「ここの支払い、よろしくな」

「は? ああ……。いや、ちょ、ちょっと待ってくれ、仕事の方は引き受けてくれるんだな?」

「任せろ」

ごく軽い調子で言うと、一瞬だけ、営業用の笑顔を作った。

「そうそう、報酬をヴィトに渡すの、忘れるなよ?」

銅杯に少し残った酒を飲み干すと、人々の間をすり抜けて、あっという間に店を出ていく。ガライは、呆気に取られていた。彼はその人生において盗賊という人種には関わった事はなかったが、もう少し違うイメージを抱いていたからだ。あんなお調子者の青年が本当に確実な仕事をしてくれるのだろうか……ガライはどうしても不安を拭い去れなかった。

仕事をするには深夜がいい。それも、月や星が出ていないような夜に限る。貧しい者たちは藁を敷いた硬い寝台の上で、夜遊びに興じた金持ちたちは絹の羽毛布団の間で、それぞれ安らかな眠りについている頃。酒場も、街角に立って客を取る女たちさえも仕事を終える時間。そして何より、見回りの衛兵たちが交代の時間を待ち望んであくびをする頃……。そういった『やりやすい』時間帯を見つけるのが、長年の勘というものだ。自信を持って頃合いを見計らったリュークは、マイオセールの町を音もなく歩いていた。

いつもの洒落た服ではない。全身黒の、身体にぴったりした服で、いくつものポケットが縫い付けられているものを身に着けている。長い髪も大きめの帽子の中に入れられているので、邪魔になる事はない。靴は音をたてないように柔らかな、毛皮のものを選んだ。彼は夜空を見上げ、独り、呟く。

「出来れば、月が出ている方が好きなんだよな。女神メルィーズは奇麗だから。今日あたり満月になってるんじゃないっけ? ま、仕事には向かないから仕方ない、と」

暗い路地に黒い服。その姿は影となり誰にも気づかれる事はない。元より、こんな夜更けに人影などありはしない。夜中に明かりを灯しているのは金持ちの家ばかりだ。そう、トーラス=マルティンのような。

トーラスという男は金持ちだったが、多くの金持ちがそうであるように、人に物を与える事が好きではなかった。一言で言ってしまえば吝嗇家(りんしょくか)、もっと簡単に言えばけち、という事である。彼は、人に食わせない分の肉を自分の腹につけていると陰口を叩かれるような男だった。マイオセールでは十指に数えられるほどの金持ちで、城下町マイオセールの有力者でもあったが、同時に町一番の嫌われ者でもあった。

その屋敷の裏通り。道を形作る壁はすべてトーラスの屋敷のものだ。中央あたりに立てば、左右どちらを見ても壁の端は見えない。壁のところどころに取り付けられた灯火には、魔法による小さな炎がともっている。その明かりが壁伝いに延々と連なっていて、トーラスがいかに金持ちかが誰にでも分かるようになっていた。

石畳の道の両側に目を凝らし、無人を確かめる。目の前の高い塀を見上げると、上空に木がせり出しているのが影になって見える。金具つきの縄を取り出し、切れたりしない事を確かめ、リュークはそれをおもむろに投げた。きつくなわれた麻縄は空気を切って飛び、すぐに枝葉を揺らす音をたてた。それに反応する警備の気配をしばらく待ったが、見回りの時間を外してあるのだから、誰も気づくはずはない。縄の手応えを確認して手に絡め、壁にかけた足に力を込める。ゆっくりとした動作はそこまでだった。リュークは素早く、かつ無駄のない動きで塀を登りきり、再度周りを見回す。……人影はない。

広大な、という表現を使えるほどの庭園に音もなく降り立ち、リュークはまた闇に紛れて走り出した。綺麗に整えられた花壇が並ぶ一帯を過ぎ、美しく咲き乱れる花を尻目に駆け抜ける。そこら中に衛兵が歩いていたが、今が交代の時刻である。彼らの目の届かない範囲を選んで走り、裏口から身軽に入り込むと、颯爽と屋敷の階段を上がって二階に辿り着く。裏口と階段脇の衛兵は、ガライが呼び出してくれていた。庭に入ってからここまで、五百を数える間もない。

――ふっ、いつもながら鮮やかな手並み。……さて。ここからが問題なわけだ。

リュークは自分に言い聞かせた。彼が知っていたのは、この二階のどこかにトーラスの妻の宝石部屋があるという事だけだった。ガライは二階に上がった事がない。どの部屋が目的地なのかは天のみぞ知る、である。リュークの前に広がるのは、広間ではないかと疑う程の幅を持った廊下、先が見えないのではないかという程の長い廊下である。リュークは小さく皮肉った。

「馬鹿め、こんな廊下を毎日歩いてるのか? それならもう少し痩せてても良さそうなもんだ」

廊下には大理石の柱が立ち並び、それらには皆、豪華な彫刻が施してあった。天井からは、非常に高価なガラスで作られた大きく美しい室内灯が吊るされている。備え付けられた数え切れないほどの蝋燭(ろうそく)には、全て灯がともっていた。床には真っ赤な絨毯が敷き詰められている。また、そこここに大きな騎士や女神といった彫刻が並べられていた。絢爛(けんらん)豪華だが、無駄遣いの極地と言っても過言ではないだろう。その廊下を眺めて、リュークは思わず、屋敷に入ってから何度目かの溜息を吐いた。トーラスの美的感覚は、リュークのそれとはあまりにも違っていたのである。

しばし呆けていたリュークだったが、仕事中であることを思い出して気を取り直した。まずは、裸体の人魚像の脇にある一つ目の扉に耳をつける。中からは複数の話し声が聞こえる。どうやら衛兵の休憩室のようだ。トーラスの悪口で盛り上がっている。毛皮の靴をはいた足は絨毯の上をすべるように進み、扉の前を無事、通り過ぎた。柔らかな絨毯は足音を吸い取ってくれる。

一つが終わると次の扉、そしてまた次、とリュークはどんどん進んでいく。時には中が宝石部屋かどうか確認するために、扉を開けなければいけない時もあった。見回りの衛兵をかわすために、彫刻と壁の隙間に挟まったりもした。心地良いとすら思える緊張感を楽しむ。リュークは根っから、盗賊なのだった。

二階の全てを見て回る時間は無かったが、リュークはすぐに一つの部屋を宝石部屋と見定めた。長い廊下にはいくつもの通路があったが、廊下の中ほどにあるそれは、すぐ先が行き止まりになっていた。衛兵が一人立っていて、他の扉と違う、分厚い金属製の扉を警護している。衛兵が一人だけというのは妙だ。そう思ったが、次の瞬間には打ち消した。

――屋敷の守りが厳しければ厳しいほど、中は手薄なもんさ。間違いない、あそこが目指す部屋だ。

しかし、衛兵を避けてあの部屋に入るのは困難そうだった。衛兵は扉のすぐ前に立っているし、廊下を睨みつけている。横や後ろから近づく道はない。狭い通路の突き当たりに部屋があるからである。リュークは思案気に髪をかきあげた。

ところで、衛兵のフランコは、とても不機嫌だった。今日は彼の誕生日であり、家族と婚約者が家で祝ってくれるはずだったのに、彼自身はこんな所で他人の宝石の見張りである。自分が守っているのが大事な物である事は当然知っているし、給料をもらっている以上文句も言えないが、何も今日でなくても……と彼は思っていた。仕事は仕事、きちんとやらねばと思ってはいても、深い溜息が彼の知らぬ間に吐き出されるのであった。今は何時なのだろう。後どれくらいで交代になるのだろう。あたりには人気もない。自分は一人、いつまでここにいなくてはならないのだろう……。彼の悩みは尽きない。その内、彼の口からは小さく文句が漏れ出した。

「第一、ルーチォだって今日は暇だって言ってたんだ。何も俺がここの見張りじゃなくたっていいんだ。あーあ、誰か替わってくれんかなぁ」

「いいぜ、俺が替わってやろう」

「えっ? だ、誰だ!」

通路の先、曲がり角の方に向かって剣を抜いた瞬間だった。鈍い音と共に頭に強い痛みを感じて、彼は倒れた。応援を呼ぶ声を上げる間もなく、くたくたと崩れ落ちてしまう。後に立っていたのは、華やかに装飾された室内灯から舞い降りたリュークだった。リュークは見えない観客に向かって気障なお辞儀をすると、フランコの腰のあたりから扉の鍵を見つけて、さっさと中に入っていく。

入ったと思うとすぐに出てきて、あまりに簡単な仕事だ、と肩をすくめた。その手には例の首飾りが輝いている。それが本物である事を確かめる術はなかったが、部屋の中にあったサファイアは全て持って来たのだから間違いはない。リュークはそれを無造作に、他のサファイアでいっぱいの袋に突っ込んだ。それからしばらくして、リュークは何の痕跡も残さずに――と言ってもフランコはもう見張りをしていなかったが――マルティン家を後にしていた。盗みは、入るより出る方が楽なものである。

「狙いは正確に、且つ迅速に、って事さ」

そう言うとリュークは不敵な笑みを浮かべ、闇の中に消えていった。

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