Legend of The Last Dragon −第五章(5)−

両眼を中空に据えたまま、エイルは必死に考えを巡らせた。そして、何かを決意して顔を双子に向ける。

「やってみないと分からない。でも、出来るような気がするんだ」

「僕らに手伝える事はある?」

「私が唱えている間、シキを呼んで欲しい。眠っている意識に声が届けば、目を覚ましやすいから。それから、もし上手くいってシキが目を覚ましても、痛みは消えない。意識を呼び戻せるかも知れないというだけだから。怪我を治す魔法はないんだ。だから、歩くのを手伝ってやらないといけない。クリフとクレオに、手伝って欲しいんだ、頼む」

必死に言ってから、エイルは気づいた。人に何か頼みごとをするのは、これが、初めてだということに。それは命令でも、指示でもなかった。彼は心から、二人に懇願していたのである。まさか自分がそんなことをするなんて、と戸惑っているエイルには全く気づかず、クリフとクレオは間髪入れず頷いた。

「分かった!」

二人の力強く、迷いのない様子にエイルは震え、目に涙が浮かんだ。しかしそれを抑え、平静を装う。

「シキの眠っている意識に呼びかけながら、衝撃を与える術法を同時にやろうと思う。やった事がないし、可能なのかも分からないが……出来るような気がするんだ」

シキの額にかかった黒髪を横へどけ、右手の中指をそっと置く。左手も、そこへ添えた。両手をやりにくそうに組み合わせ、複雑に形作る。何度も深呼吸をして、小さな声で呟く。エイルは、ゆったりとした長い詠唱と、歯切れのよいいくつかの単語を交互に口にしていった。一生懸命なエイルと、呼吸もほとんどしていないようなシキを見比べながら、双子はシキに呼びかけ続ける。

「お願い、目を覚まして。シキ、目を開けて」

「戻ってきて下さい、お願いだから……」

何も起こらずに時間が経っていくのは、例えようもなく怖かった。しかし三人の誰もそれを口にはせず、ただ自分が出来る事だけを根気強く、延々と繰り返す。クリフとクレオは、シキを呼んだ。何度も、何度も。エイルは、何かを唱え続けている。集中力を途切らせぬよう、必死で。

三人とも、願いはたった一つ。

そして、東の空が薄ぼんやりと白み始めていった。

デュレーという町には、宿屋が乱立していた。

さほど大きくもない宿場町だが、住民はその多くが宿を経営するか、そこに住み込んで働くかのどちらかだった。どの街路にも宿屋が一軒はあり、町の中央を走る大通りに至っては、宿屋がひしめき合っていると言っても過言ではない。

シンジゴ山脈は、なだらかではあるが東西に長い。南北を行き来するためにどうしても越えなければならない、最大の難所である。デュレーはラマカサと同じく、レノア領メンフォン地方ということになっているが、山脈のほぼ中ほどに位置しているので、デュレーがレノアとルセールの実質的な国境となっている。細く険しいとはいえ、山道はデュレーを通る一本しかなく、二国を行き来する旅人はほぼ必ずこの町を通る。山を一日で越えるのは無理。そうなれば、デュレーに最低でも一泊はしなければならない。それが、デュレーに宿屋が乱立する理由だった。

自分の住む家の一部を貸すような小さな宿、隊商などの大人数の客を専門に引き受ける大規模な宿、いくつもの個室を備えた上等な宿など、デュレーには様々な形態の宿がある。訪れる人は数多くの宿の中から自分たちの人数や財布の中身に見合う宿を選ぶ。多くの宿には食堂や酒場が併設されており、そこで食事や情報にありつける。生き残りをかけた生存競争は、旅人たちにとってより良い宿屋を誕生させた。

そんなデュレーに、今日も爽やかな朝が訪れようとしている。

なだらかな峰の向こうから、太陽神ハーディスが今日最初の光を投げかける。早起きの鳥たちが、一日の始まりを告げている。あたりは少しずつ、だが確実に明るくなってきた。真っ赤な朝焼けが東から広がり、夜空を飾った星々は西の空の彼方へと追われていく。そして空は、透明感のある青へと変わっていった。ふもとのラマカサに比べて気温の低いデュレーではあるが、鳥肌が立つような夜の寒さもようやく和らぎ、吐き出す息ももう白くはない。

デュレーの門の近くには特に多くの宿が集まっているが、その内の一軒の扉が開き、下働きの女が姿を見せた。欠伸をかみ殺しながら、木桶を手にして通りを横切っていく。水を汲みに行くのだろう。朝まだ早い通りには人影も少ない。町の中心部は朝市の支度で慌しいだろうが、このあたりの道には誰も歩いていなかった。

女の目に、何やら影が映る。入り口の方から、ゆっくりと歩いてくる大きな人影は、よく見ると何人かがかたまって歩いているようだ。ラマカサから来る旅人は夕方到着するのが通例である。明け方に誰かが到着するなんて、見た事がない。女は眉をひそめた。

一行は全員がぼろぼろの服を身にまとっている。かたまって歩いているのは、みなが中央の男を支えているからのようだ。彼らはふらついた足取りで、今にも倒れそうだった。

――まさか夜の間、山を登ってきたんじゃないだろうね。

そうだとしたら、気が狂っているとしか思えない。どう考えてもクルイークに襲われる。無事に山を登ってきたとは、なんという幸運だろうか。女は感嘆した。

声をかけようか。彼らはどう見ても疲れ果てている。いや、やめようか。見てくれからして、金に縁があるとは思えない。彼女を雇っている宿の主人も、貧乏人を喜びはしないだろう。しかし、さらによく見れば、中央の男は怪我を負っているようだ。

――面倒な事に巻き込まれんのは嫌だけどねえ……。

怪我人を見捨てるのも良心が咎める。女は四人に近づいていった。

「あんたたち、まさか山を登ってきたのかい」

「……あ、はい」

はしばみ色の髪と瞳の少年が答えた。

「この人、怪我してんだね。無理にとは言わないけど、うちの宿で休むかい? ちっと休むだけなら料金も……」

なるべく深く関わらないようにしようと思いながら、そう言ってやる。と、中央でうつむいていた長身の男がゆっくりと顔を上げた。蒼白で生気がないが、端整な顔立ち。切れ長の目、すっと通った鼻筋、額にかかる黒髪が彼をますます魅力的に見せている。女は思わず顔を赤らめ、崩れていた髪を手櫛で直した。

「い、いや何だったらいつまでいたっていいよ。安くしておくからさ」

「ありがとうございます」

もう一人の少女が嬉しそうに言った。少年と同じくはしばみ色の髪と瞳。女は今まで気づきもしなかったのだが、少年と少女はあまりにも似すぎている。女は頭の中で、「ちょっと気持ち悪いねぇ」と呟いた。しかしそれを押し隠して、一軒の宿を指し示す。

「うちの宿はすぐそこ、ほらあそこだよ。看板に『メイソンの宿』って書いてある。あたしは水を汲まないといけないから、先にお行きよ」

「世話になるぞ」

まだ声変わりしていないという感じの声がし、くしゃくしゃに乱れた水色の髪が、三人の後ろから顔を出した。

――偉そうな子。

女はそう思ったが、これも口に出すことはないと思い、木桶を持ち直した。四人を再度宿の方へ促すと、井戸のある広場へ向かって歩き去った。

看板の下、古い木の扉を押し開けると、中は食堂になっているようだった。清潔で広々とした食堂で、席についているのはたった一人、色黒の青年だけだった。人々が起き出し、食事を取るにはまだ早い時間である。

部屋の片隅には勘定台が設けられ、どうやら店の主人である初老の男が座っている。四人が入ってきた物音に顔を上げ、鷹揚と立ち上がった。

「おやおや、こんな時間にお着きになる人がいるとは……」

言いかけて、四人の様子に気づいたのだろう、あたふたと勘定台から出てくる。メイソンは、人の良さそうな男だった。中肉中背で、柔和な顔にはしわが刻まれている。デュレーの住民はそのほとんどがルセールとレノアの混血であり、メイソンも同様だった。縮れた黒髪はルセール南部の特徴であり、色素の薄い茶の瞳はレノア人に多く見られる特徴である。

「おお、これはひどい。ひとまず寝かせてあげなくてはならないようですな。……おーい、誰かいないか! この人を部屋へお運びするんだ」

メイソンの呼びかけに応えるように、二階へ続く階段から、下男が一人降りてきた。力強そうな大男である。

「こんな朝早くから、何ですかい? ……へぇ客ですか、珍しい事もあるもんだ」

「アルダ、この方を二階へお運びしろ」

メイソンに命じられ、アルダと呼ばれた下男は腕まくりをした。屈強な腕がむき出しになる。しかしアルダ一人ではシキを運ぶのは容易ではなかった。クリフが疲れた体に鞭打って立ち上がる。すると、後ろからその肩を叩いた者がいた。

「俺が手伝おう」

簡潔に述べたその声の主は、食堂で食事をしていた青年だった。ぱさついた、濃い緑にも見える黒髪を短く刈っている。肌は元からの黒さに加えて、日焼けのせいで真っ黒だ。にっと笑うと、顔の中で白い歯が目立つ。青年はセサルと名乗り、下男のアルダを手伝ってシキを二階へと運んだ。シキの意識は、かろうじて保たれているという程度で、一人ではとても歩けないようだ。彼らは二階へ上がってすぐの廊下を進み、最奥の部屋に入った。そこは狭いながらも四つの寝台が置かれた部屋で、どの寝台にも清潔な布団が用意してある。アルダとセサルはその内の一つにシキを寝かせた。

「剣はここでいいよね」

「ああ、近くに置いてくれ」

シキに指示され、クリフが抱えていた長剣を寝台の脇に置いた時、彼の腹が盛大に鳴った。

「下の食堂で食事が出来るよ」

セサルが笑いながら言う。下男のアルダがにやにや笑いを浮かべて付け加えた。

「三人だったら、銅貨九枚だ。今ここで払うかい?」

「食事をした方がいい。俺のことは気にするな」

シキの言葉に双子は顔を見合わせ、言う通りにするのがいいと結論を出した。クリフとクレオの視線がエイルに注がれる。二人がシキを支えるので、仕方なくエイルが荷物を運んでいたのだったが、その中に硬貨を入れた布袋があったのだった。しかしエイルは視線の意味に気づかず、きょとんとしている。

「エイル、そこの袋よ、貸して」

「これか?」

「そうだよ、食事代を払わなくちゃ」

エイルは曖昧に頷き、袋を差し出した。クリフが重たい袋を受け取り、口を開ける。中はシキの報奨金の金貨ばかりである。幾度もかき回し、ようよう、一枚の銀貨を見つけてアルダに渡した。それを受け取り、アルダは「釣りは後でな」と言いつつ部屋を出て行く。

「じゃ、先に降りてるよ」

そう言うと、アルダに続いてセサルも出て行った。見送りながらクレオが言う。

「あのねエイル、食事する度にお金はかかるのよ。エイルは食べるばっかりだから気づかなかったかも知れないけど」

「私を馬鹿にするな。そんな事くらい、知っている」

「あらそう? ご存じないのかと思ってましたわ」

「嫌味な奴だな、お前は」

ぶつくさ言うエイルに、クレオはそれ以上構わなかった。こんなエイルにはもう慣れている。

三人は着替えを済ませると、シキに断ってから階下へ降りていった。

「お疲れのご様子ですな、色々と事情もおありでしょうが、デュレーでゆっくり休んでください」

食堂へ行くと、メイソンが柔和な笑顔を見せた。三人の顔には対照に、昨夜の疲労が色濃く浮かんでいる。

「どうぞ好きなだけ泊まっていって下さいよ。旅の疲れが癒え、お連れさんの怪我が治るまで」

宿の主人らしい申し出に、クリフは笑って頷いた。

恐ろしい夜は明け、ようやくデュレーに辿り着いたのだ。命の危険に晒されることはもうない。シキの怪我が懸念ではあったが、彼らはともかくも安心と安全を約束されたのである。と、クリフの腹が再び大きな音を立てた。

「これはこれは。まずは腹ごしらえからですな。早速ご用意しましょう。腕によりをかけますからね、きっと疲れなどすぐに飛んでしまいますよ」

メイソンは笑いながら彼らに椅子を勧め、自身は厨房へと向かった。どうやら彼が料理も担当しているようだ。席に着いたクリフが、照れくさそうに鼻の頭をかいている。

「とにかく良かったわ。一時はどうなるかと思ったもの」

「うん、本当に良かったよ。エイルのお手柄だね」

「ま、まあな」

真っ直ぐに誉められ、エイルは思わずどもっている。クリフは疲れた顔に笑みを浮かべた。

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