LL index≫第六章(一気読み) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
柔らかな冬の日差しが道行く人々を照らしている。通りの両脇には白い布を屋根にした露店が立ち並び、店員が客とやり取りする快活な声が飛び交っていた。餌を求めて町へ出てきた山鳥たちが、道端で何がしかをついばんでいる。
「とまあ、そういう訳だったんだよ」
クリフが興奮気味に両手を広げてみせる。話し相手は茶褐色の瞳を興味深げに輝かせた。
「俺も参加したかったなあ」
「やだ、セサルったら。大変だったのよ」
死ぬかと思ったんだから、と言うクレオに、青年は自信あり気に笑って見せる。砂漠の民が身につける大きな布を頭からかぶり、緑がかった黒髪を短く刈った青年は、メイソンの宿で一緒だったセサルだった。
「早いとこ審議が決着して良かったね」
「そうだね。もうヘッジたちも悪さは出来ないと思うよ」
「当分の間は、でしょうけどね」
クリフの言葉に、クレオが肩をすくめながら付け足す。
「ティレルの怪我はその後どうだい?」
「それほど深い傷じゃなかったんだ。もう歩けるよ」
「でもまだ完全には治っていないわ。私たちが色々手伝ってるけど……」
「そうか、それで買い物に来てたんだな」
「セサルが荷物を持ってくれて助かったよ」
ティレルの宿の扉には、注意書きの札が下がっていた。
――宿をお休みしています
食事は出来ます――
扉を開けると、木の札が軽い音を立てる。
「いらっしゃ……ああ、お帰り」
事件以来、ナールは少し言葉数が増えた。彼なりに努力しているらしい。若干不自然ながら、笑顔を浮かべている。
「頑張ってる?」
厨房に入ったクレオが笑顔を向けたのは、エイルだった。驚くべきことに、エイルはクレオに料理を習い始めたのである。元々、興味があったからか、簡単な食事くらいならすぐに作れるようになった。クレオに言わせれば「まだまだね」だそうだが、エイルはそれに怒ったりもしない。クレオが今まで作っていた食事がどれだけ工夫したものだったか、費用も時間も調理器具も限られた状況で、彼女がどれだけ一生懸命作ってきたか、エイルは初めて知ったのだ。それに自分がどんなに文句を言ったのか。自分で料理を作ってみて、エイルは初めて本当にクレオに感謝を覚えたのだった。
「やっと帰ったか。遅いぞ!」
ごめんごめん、と謝るクリフに、エイルはにやっと笑って見せた。背が低いために踏み台に乗り、真っ直ぐで奇麗な姿勢を保っている。何かを炒めているようだ。
「お前らが遅すぎるから、もう全員分の昼食を作ってしまったぞ。今日はウィッタ芋の卵包みに挑戦してみた」
「わぁ! すごい、綺麗に出来ているじゃない!」
尊大な態度は相変わらずといったところもあるが、額に汗して客の食事を作っているエイルは、一回りも二回りも成長して見える。
「これにパッソンを飾って出来上がりだ。ふふ、クレオと違って、私は見た目にもこだわるのだ」
「そういう一言がなければ、もう少し褒めてあげてもいいと思うんだけど」
「褒めて欲しいなどと言った覚えはないが」
「可愛くないわね」
「ふん」
舌を出しながら最後の一皿を盛り付ける。と、カウンターの方から声がかかった。
「三人前、食事の追加を頼む」
シキである。怪我も治り、店に立てないティレルの代わりに、ナールと客の相手をしているのだった。人前なので、エイルに敬語を使わないでいるのが不自然ではあるが、白い前掛けは意外にも似合っている。
「分かった。すぐ出来るから」
エイルはシキに応えて火の入ったかまどにパンを放り込み、野菜を煮込んでいる鍋のスープを味見した。
「うむ、素晴らしい」
大仰な仕草で頷き、その愛らしい顔に笑顔を浮かべる。
その後、仕事が一段落したエイルたちは食卓についた。せっかくだから一緒に、と誘われたセサルも加わっている。クリフの前に積まれた山のようなパンがみるみる減っていく。クレオはウィッタ芋の卵包み焼きを口にし、驚いた表情を見せていた。
「意外と美味しいじゃない」
「意外と、とは何だ」
「あらごめんなさい。怒った?」
「私はそんな事で怒るほど子供ではないからな」
「あはは。でも本当に美味しいわよ」
「それは当然……」
言いかけたエイルは、クリフの視線に気づく。シキを見ると、シキも意味ありげな顔でエイルを見ていた。エイルは二人の顔を何度も見比べる。シキとクリフは、エイルに何かを期待しているのだ。
「あ」
「? 何よ、エイル。『あ』って。そんなに口を開けて、変な顔。クリフとシキは何を笑ってるの?」
クレオ一人が、首をかしげている。エイルがもう一度口を開けた。
「あ」
「だから、何だっていうの?」
「……あ、あ、ありがとう」
「は?」
「まっ、間抜けな顔をしているな! そんなに口を開けて、馬鹿面に見えるぞ! 礼を述べたのだ! この私がお前ごときに礼を述べたのだぞ、分かっているのか? 恐縮して恐れ入ったらどうだ! 本当に、私を誰だと思っているのだ、失敬な!」
まくしたてたエイルの頬が赤く染まっている。クレオはまだ目をぱちぱちさせながら呆気に取られていた。クリフたちは声を殺して笑っている。
「ふんっ!」
言いたいだけ言うと、もうその話題は終わりとばかりにエイルはセサルに向き直った。
「セサルは、いつまでデュレーにいるのだ?」
「ああ、いや実はもうそろそろと思っていたのさ。少し長居しすぎたよ。その代わり、面白いものを見せてもらったけどね」
セサルはにやっと笑って、片目をつぶる。
「そうだな、明日にでも出発するよ。山を越えて、北へ行く。俺も、もっと色々な事を経験しなくちゃ。……ところで、君たちはどうするつもり? 確か、魔術師を探しているんじゃなかったっけ」
「そうなのだ。コーウェンという町にいるという噂だが、実際のところは分からんしな。もちろん名前も知らないし、本当に困っているのだ」
「うーん、俺はあんまり詳しくないからなぁ。役に立てなくてごめん」
「まあ気にするな。旅の途中で知っている者に出会うかも知れないしな」
「コーウェンはリューイー地方だよな。って事は南へ、砂漠を超えるってわけだ」
「ええ……やっぱり、大変よね?」
クレオが不安げな顔を見せる。セサルは大きくうなずいた。
「そりゃそうさ。砂漠には一度も行ったことがないんだろ? じゃあものすごく大変だ。案内を頼まないと。絶対、道に迷うよ。間違いない。昼間は死ぬほど暑いから、厚手の布を頭からかぶってじっとしていなくちゃ駄目だ。動くのは夜がいい。凍えるように寒いけど、晴れてさえいれば距離が稼げる。後はそうだな……時々、竜巻がくるんだ。布を顔に巻かないと息が出来なくなるから気をつけて」
セサルの助言はこの他にもたくさんあり、全て、よく頭に叩き込むようにと何度も言った。
「君らが無事に砂漠を越えること、心から祈ってる。それじゃ、俺はそろそろ行くよ」
そう言って、食事の代価を机において立ち上がる。
「明日の朝は早くに出発するつもりだから、君らともここでお別れだな。……そうだ」
首に下げていた金属の飾りを外し、セサルはそれをクリフに渡した。
「これを持っていきなよ。砂漠の神ヤーデの首飾り。きっと君らを守ってくれる」
「ありがとう、セサル」
「もしケイズリーという部落に立ち寄ったら、それを見せてやって。外の人は警戒されるけど、俺の知り合いだって分かれば歓迎してもらえると思う。それから……レザという女性に会ったら、セサルは元気でやってるって伝えてくれないか?」
クリフが笑顔で答える。
「きっと伝えるよ。友達?」
「いいやその、婚約者というのかな。儀式が終わって部落へ帰ったら、結婚するつもりなんだ」
日に焼けた顔で、セサルは照れくさそうに笑った。
「それじゃあ、元気で」
「セサルもね」
「夜にならぬうちに山を下りろよ。クルイークに出会わぬようにな」
「ああ、ありがとう。気をつけるよ」
シキたちはそれぞれに別れの言葉を口にし、宿から出て行くセサルを見送った。
「さて……俺たちはどうする?」
クリフが、誰にともなく問うた。エイルが即答する。
「ティレルの怪我が治ったら出発する。それしかないだろう」
「今のところ手がかりは一つです。やはりコーウェンという町に行ってみるしかないでしょうね」
他に客の姿はない。シキはエイルに対して自然と敬語に戻っている。
「道のりは遥か、というところね」
クレオが呟く。彼女の心の痛手は癒えていないようだが、ようやくシキと会話を交わせるまでにはなった。努めて明るく振舞っている。クレオから話を聞いたクリフは、妹が心配で仕方なかった。シキはクレオの様子に気づいていないようだ。いやそれとも……。シキはクレオをどう思っているんだろう、と、横目で見る。その表情からは何も読み取ることは出来なかった。
外でばたばたと足音がし、宿の扉が勢いよく開いた。駆け込んできたのは、恰幅のいい中年の男である。息を切らしたまま、彼らに問いかけた。
「すっ、すまないが、ここに財布が落ちていなかったかね」
「え?」
「買い物をしていたんだが、気づいたら財布がないんだ。さっきここで食事をした時はちゃんと支払いをしたから、ここに忘れたと思って……」
クリフとクレオがお互いの顔を見て、「あった?」「いいや」と目線で会話している。シキが尋ね返す。
「どんな財布ですか?」
「緑の布製で、こう、茶色いひもでくくってある……」
男は手で財布の形と大きさを示したが、宿の面々は「思い当たらない」と首を横に振った。
「詰め所へ行って、届けを出したら?」
「やっぱりその方がいいですかねぇ」
「場所、分かりますか?」
「いや……」
案内します、と、クレオが立ち上がり、しょぼくれた男と一緒に出て行った。
「さっきの話はまた後、だね」
クリフが言い、彼らはうなずきあって二階へと姿を消した。
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