Legend of The Last Dragon −第五章(6)−

「ね、メイソンさんっていい人ね。ここがどんな宿かまだ分からないけど、見たとこはまあまあだし……お値段があまり高くなければ、シキが治るまでここにいない?」

「ん、俺もそう思ってた。シキはそんなすぐに治らないだろうし……。しばらくここに泊まろうか」

「シキに相談してから決めればいいだろう」

「そりゃそうね」

「あぁ、お腹空いた!」

食堂には人が増えてきていた。数組の旅行者が食事を取るために降りてきている。眠そうな目をこすっているのは踊り子だろうか。旅装の神官、それに武器を帯びた傭兵など、格好も様々だ。

メイソンの宿は二階建てになっていて、上の階が客室になっていた。降りてきたのは数組の客だったが、そのどれもが四人前後である。察するところ、客室は数人用の個室ばかりなのだろう。こういった宿は高級で、デュレーにも数少ない形態だった。シキの怪我の事を考えると、個室の方が何かと便利だろう、とクレオは思い、やはりこの宿でシキの怪我が治るのを待ちたい、と密かに思った。

「あ。さっきはどうもありがとうございました」

クリフの声でふと横を見れば、近くの席に先程の青年が座っていた。クリフが頭を下げている。どうやら一人のようだ。それでは食事もつまらなかろう、と席に誘う。青年はその申し出を想像していなかったのか、少し驚いたような表情を見せた。が、「さしあたって断る理由もなさそうだね」と言ってクリフたちの席に着く。

「俺はセサル=イスク。砂漠の部族出身でね、成人の儀式を受けるために旅をしてるんだ」

改めて名乗った若者は、二十歳を少々過ぎたくらいに見えた。日焼けした肌に、白い民族衣装がよく似合う。快活な口調が気持ち良かった。小動物のような茶褐色の瞳は、いつでも笑っているようで愛嬌がある。

「俺たちは、コーウェンって町に向かってるんだ。俺はクリフ。俺とクレオが兄妹で、エイルは、知り合いっていうか……」

クリフは上手く説明できずに言葉尻を濁したが、セサルはあまり気にしていないようだ。

「コーウェンまでか。ずいぶん遠い道のりだね。そうそう、一つ聞いてもいいかな。さっき着いたばかりなら、夜の間に山を越えてきたって事だろ。クルイークに襲われたんじゃないか?」

宿に着いたばかりの時、彼らの服はあちこちが破れ、泥や土埃でひどく汚れていた。服は清潔なものに替えたが、顔などはまだ汚れたままである。興味津々という風ではなく、かと言って社交辞令という風でもなく、セサルはごく自然な疑問として聞いたようだった。

「ええ、まあ……何とか助かったけどね」

セサルの涼しげな視線に、クレオは何だか急に恥ずかしくなってうつむいた。クリフやエイルなら気にならないのにな、と不思議に思う。

「セサルはここに、長いこといるの?」

クリフの問い返しに、セサルは軽く首を振ってみせた。

「いや一昨日からだ。前に泊まっていた宿が良くなかったんで、移ったんだ。デュレーには星の数ほど宿屋があるけど、良くない宿屋もやっぱりあってね。宿屋ギルドに加入してない宿屋に当たっちゃったんだ」

参ったよ、と小さく肩をすくめて見せる。

「宿はよく選んだ方がいいよ。実は昨日聞いたんだけど、ここもあんまりいい噂がないらしい」

「そうなの?」

「値段も相場よりちょっと高いみたいだしね。でもギルドには加盟してるし、部屋が全部個室だから、今のところ俺は気に入ってるけど」

双子は顔を見合わせた。言葉は交わさずとも、お互いの言いたい事は伝わっているようだ。その様子をじっと見ていたセサルが、不審そうな顔で尋ねる。

「なあ、君らは兄妹って言ったよな……?」

「え、ああ、よく似てるって言われるの。クリフ兄さんとは年も一つしか違わないし、そのせいだと思うわ」

慌てているクリフを横目で睨み、クレオはそつなく取り繕ってみせた。内心、クリフと同じように慌ててはいたのだが、それが表情に出ていないことを祈る。だがセサルは、あまり細かいことにこだわらない性格のようだった。そうなんだ、と軽く頷く。

エイルは、もう口を開くのも億劫といった様子で黙り込んでいた。シキを支えて歩いた双子も疲れただろうが、全員の荷物を持って歩いたエイルは疲労困憊(こんぱい)だった。荷物はほとんど残っていなかったとはいえ、シキの鎧や長剣なども含めれば相当の重さだったのである。銀のさじより重いものなど持った事もないような少年王子には、かなり厳しい試練だったと言わねばなるまい。

下男のアルダが、朝食を乗せた皿を三枚持ってやって来た。待ちに待っていた食事である、クリフは早速パンにかじりつく。その様子を見て、セサルが笑っている。クレオは顔を赤らめてパンを小さく一口かじり、話題を変えた。

「あの、セサルは一人で旅をしているの? 成人の儀式って言ってたけど、どんな事を……?」

「君らの村には成人の儀式ってあるのかな? 俺の村の儀式は、一人でやるんだ。部落は砂漠にあるんだけど、一人で砂漠を越え、山を超えなくちゃいけないんだよ。儀式の期間は、自分で決める。部落へ帰って、自分がしてきた事を長老たちに話すんだけど、それで大人になったと認められればおしまい。まだ駄目だと言われたら、もう一度旅に出なくちゃいけないんだ」

「大変そうだね」

クリフはうんうんと頷いているが、すっかり食事に夢中になっているようで、打っている相槌も適当だ。

「もう、クリフったら、もっとゆっくり食べなさいよ」

「だってお腹空いてたんだもん、仕方ないじゃないか」

大きなパンの塊を無理に飲み下しながらクリフが言う。クレオとエイルは呆れ顔だが、気にもしていない。

しかしエイルは食事をしていなかった。目の前に置かれた皿からスープを一口、それもほんの少し口に含んだだけである。さじを下ろしたまま、じっと動かないエイルに、クリフが首を傾げる。

「何だよ、エイルは食べないの?」

「食欲もあまりないし……それに、これは私の口に合わない」

「また始まった。エイルったらいっつもそんなこと言って。後でお腹空いたって言っても、いつもみたいにシキが用意してくれるなんて思ってないでしょうね?」

「うるさいな、分かっているったら。だが、これは食べられない」

「そんなにまずいってわけでもないだろ? 腹も減ってるんだし、美味しいと思うはずだけどなあ」

セサルも双子に合わせて食事を勧める。しかしエイルはそれ以上口をつけようとはしなかった。疲れすぎている時はあまり食欲が出ない。それも理由の一つかも知れなかった。クリフは自分の皿に乗った食事を片付けながら、エイルの皿をじっと見つめている。

「どうしても食べないつもり?」

「スープもパンも変な匂いがするし、さじが銅だから変な味がする」

それは、エイルが常々言っている言葉だった。彼の食事には、常に金や銀の食器が用意されていた。食材の味を損ねないために必要なのだとエイルは言っていたが、まさか現状でそんなものが用意出来るはずもない。エイルは食事をする度に顔をしかめながら、同じようなことを繰り返して説明するのである。

――いつものことだ。

いつまでも相手にしてはいられない、と双子は肩をすくめた。

「食べたくないなら食べなきゃいいわよ。お金が勿体無いけどね」

「大丈夫、エイルが食べないなら俺が食べるから」

クリフはそう言うと、早速エイルの食器からパンやハムなどを取り上げた。エイルはそっぽを向いている。結局エイルはそれ以上、何も口にしなかった。後でエイルが空腹を訴える事は予想がついたが、ともあれ彼の朝食となるべき食事はクリフの腹に収まったのだった。

「それじゃ、俺はこれで」

食事を終えたセサルは、あっさりと言って席を立った。特にこれ以上クリフたちと行動を共にするつもりもないらしい。もうこれで会えなくなっても不思議ではない、とでもいうような口調である。

「え? もうデュレーを出るって事?」

驚いたようなクレオの質問に、これまた意外そうな顔のセサルである。

「いや、まだここに何泊かするつもりだけど」

セサルは物事にあまり執着しない。元々、人と交わる事が得意なわけでもなかった。それが砂漠の民の性質なのか、セサル自身の性格なのかは判然としなかったが、ともあれ彼はクレオたちが淋しがっているとは気づかなかったようである。

「まだデュレーにいるなら、明日も会うよね」

「また明日ね」

セサルは少し不思議そうな表情を見せたが、双子の笑顔にようやく意味を見出したのか、すぐに笑顔になった。

「そうか、そうだよな。じゃあ、また明日」

セサルが軽く手を振って出て行くのを、双子は扉が閉まるまで見送った。エイルは一瞥をくれただけだったが、セサルと目が合うと、軽く手を挙げた。

クリフとクレオは使った食器を片付け始めている。が、エイルは食器を片付けようとしない。当然といった様子でクリフたちが片付けるのを眺めているだけだった。それに気づいたクレオがエイルを一喝、あわや大喧嘩に……というところだったが、クリフが手馴れた様子でたしなめる。こんな事も、もはや日常茶飯事だった。さして大事になるでもなく、クレオは小言を言いながら食器を片付け、クリフはエイルをなだめながらそれを手伝い、エイルは腕を組んでそっぽを向いた。

食器を下男のアルダに手渡すと、三人は勘定台でメイソンを呼んだ。宿の亭主が厨房から顔を出す。呼びかけに応え、彼は前掛けで手を拭きながら出てきた。

「はいはい、食事はいかがでした?」

「ごちそうさまでした。美味しかったです。腹いっぱい!」

「そりゃあ何よりですね」

「それであの、シキがいる部屋に、私たちも泊まれますか?」

「ええ、ええ、もちろんですとも。そう思って四人部屋にお運びしたんですからね。先ほど薬食をお届けしましたよ。何とか口にしていらしたようです。今頃はお休みになってると思いますよ」

「そうですか、良かった」

宿代は出立時にまとめて払ってくれればいい、とメイソンは太っ腹である。三人はその申し入れをありがたく受け入れ、とにかく体を休めようと階段へ向かった。

四人を見送るとメイソンは食堂を見渡したが、客席は大半が空いていて、多くの客が食事を終えたようだった。朝の混雑が終わると、しばらく食堂は暇になる。

――それにしても客が少ない。

頬杖をついて嘆息する。食事代として預かった硬貨を数え、さらに大きく息を吐き出した。メイソンの宿はここのところ、客の入りが良くないのである。彼がその原因について頭を悩ませていると、二人の男が木の扉を押し開けて入って来た。それに目をやって、彼らを愛想よく出迎える。

一人はメイソンがよく知る男だった。すっかり禿げ上がった頭をしきりに撫でている。旧知の仲ではあるが、メイソンはこの男が好きなわけではなかった。もう一人はそれより少し若く、見覚えがなかった。ごく一般的な、目立たない服を着ているが、あたりに配っている視線には隙がない。やせぎすで背が高く、神経質そうな顔つきだ。男はメイソンやこの宿自体にあまり興味はないようである。メイソンを紹介されても無表情のまま、気のない風で握手をし、きちんと揃えられた紫紺色の髪を櫛で整え直した。メイソンの方は、男を紹介されると一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、ともあれ詳しい話を聞くため、宿の奥へと二人を促した。

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