Legend of The Last Dragon −第五章(7)−

「よくあんなスープが飲めるな」

「エイルったら、まだ言ってる。もういいじゃない」

「お腹いっぱいになったら眠くなっちゃったよ」

突き当たりの部屋の扉をクリフが開けようとしたが、クレオがそれを止める。

「ちょっとクリフったら。シキが寝てるのよ、そっと開けなきゃ」

「あ、そっか」

「シキのことを忘れるとは……」

「ごめん、ごめん」

改めて取っ手に手をかけ、そっと押し開ける。それほど広くもない部屋。木の窓は閉められ、薄暗い部屋の奥でシキが静かな寝息を立てている。扉を開けた音にも、三人の気配にも起き上がる様子がない。腹が満たされたからというよりは、疲労のために昏々と眠っているようだった。

「しー……」

三人はそっと部屋に入り、寝台と寝台の狭い隙間に腰を下ろした。硬い木の床ではあるが、座っていられることに安堵感を覚える。ようやく人心地がついた、といったところだ。そして彼らは再び、囁くように会話を交わし始めた。

「あーあ、疲れたね」

「そりゃそうよ、一番中歩き続けたんだもん。本当に、昨夜はとんでもない経験をしたって感じ」

「私たちが助けに行った時、クレオは大泣きだったな、子供のようだったぞ」

「な、何よ、エイルだって泣いてたじゃない」

「私がいつ泣いたというのだ。馬鹿なことを言うな」

「もう忘れたの? エイルったら『シキ〜起きて〜』って泣いてたくせに!」

「そんなこと言ってな……」

「しーっ!」

クリフが指を唇に当てる。声を荒げかけたエイルは、慌てて黙り込んだ。三人は思わずシキを振り返ったが、動く気配はない。寝息は安らかだったが、時折痛むのか、うめき声を上げる。冗談や軽口交じりの明るい雰囲気は打ち消され、意気消沈といった沈黙がクリフたちを包んだ。

「……どのくらいで治ると思う?」

「出血が激しかったから、恐らくは熱が出る。数日、長ければ半月……熱が下がれば大丈夫だろう」

「どうして分かるのよ」

「若い騎士が大怪我をした時、ジルクに聞いた。切り傷などで大怪我を負うと、高熱が出るらしい」

「そうなの……」

「きっと大丈夫だよ。シキは強いもん。な、エイル」

「うん」

――何よ、クリフには随分素直じゃない。

クリフの言葉に頷くエイルを見ると、口にこそ出さなかったが、クレオは何だか面白くなかった。崖から落ちた後、二人に何があったのか聞く暇もなかったが、あれからクリフとエイルは妙に仲がいい気がする。クレオは、どんな事があったらあんな生意気なエイルが素直に言うことを聞くようになるのだろうと考えを巡らせた。しかしすぐに、そんなこと有り得ないか、と首を振った。

「ああ、お腹いっぱいだあ」

クリフは何度も出る欠伸をかみ殺している。

「そうだね、私も眠い……。やっぱり疲れてるんだわ、昼前だけど、もう寝ちゃおうか」

荷物の確認、シキの怪我の治療、この先の相談、情報収集……やらねばならない事は山のようにあるだろう。しかし今は何より、体力の回復が重要だった。三人は頷きあうと、早速それぞれの布団にもぐりこむ。

薄暗い部屋の、少しひんやりとした空気が心地いい。部屋の外は明るいハーディスの光に満ち溢れているのだろうが、窓をしっかりと閉めているので、部屋には幾筋かの光が差し込んでいるだけだった。窓越しに通りを行き来する人々のざわめきが聞こえているが、それすらも彼らにとっては子守唄のようだ。夢にまで見た布団にくるまると、今までの疲れが一時に攻め寄せてくる。そうして三人は、百を数える間もなく眠りに落ちていったのである。

部屋の中は、しんと静まり返っている。エイルは自分がいつ目を覚ましたのか分からなかったが、気分よくまどろんでいた。窓の外の音に耳を済ませたが、雑踏や人声は聞こえない。

――もう日は暮れたのか? 随分と寝たんだな。しかし、そろそろ……。

朝食をろくに食べなかったせいで、エイルは空腹を覚えていた。しかしここで双子を起こすわけにはいくまい。腹が減ったなどと言おうものなら、クレオが勝ち誇った顔で言うに違いない。「それ見たことか、だから食事をしろと言ったのに、これだからエイルは……」と。そんなことは我慢ならない、とエイルは思った。布団を思い切り引き上げ、腹が鳴らないよう祈る。三人が眠りについた時刻からもう随分と時間が経っているのだ、遅かれ早かれ二人も目を覚まし、食事をしようと言うだろう。そうしたらこの宿ではなく、別のところで食事をしろと言おう。

――それにしても……この先どうなるのだろうか。

静かな部屋で布団にくるまりながら、エイルは天井を見上げた。自室で寝ていた時に見えた景色を思い出す。何だかもう遠い過去のようだ。そしてそれは本当に、遠い過去の事なのだ。

柔らかな鳥の羽毛をいっぱいに詰めて、絹でくるんだ軽く柔らかい布団。三つ並べてある、頭を置くと埋もれてしまうような絹の枕。見上げれば薄いヴェールを垂れ下げた天蓋の素晴らしい模様。大きな、素晴らしい寝台。昔は当たり前だと思っていたそれが、今では夢のような布団だと思える。今、エイルが寝ているのは、固い木の寝台。それに薄い布団。枕はないので上着を丸めて頭を乗せている。これでも、野宿よりはまだましと言える。この差はどうだろう。だが、これが現実だ。

――コーウェンとやらいう町まであとどのくらいか知れないが、きっとまだ遠いのだろうなあ。

クリフのおかげで命拾いをしたとはいえ、あんな恐ろしい目に遭うのは二度とごめんだ、と、エイルは思った。城にいた時は命の危険など、それについて考えた事すらなかったというのに、一体これはどういうことだろう。何がどうしてこんなことになってしまったのだろうか。

――そうか……コジュマールだ。

コジュマールはレノア国第十三代の王の弟、つまりエイルの父親の弟である。レノア王エイクスは長男であり、弟と妹が三人ずついる。コジュマールは、下から二人目の弟であった。武官長でもあった彼がある日唐突に反乱を起こし、圧倒的な軍事力をもって城へ攻め入った。そしてエイクス、その妻にしてエイルの母親であるマードリッド、エイルの異母兄弟であるシエルまでを葬り去ったと、そう、シキは言った。エイルにとって、シキが言うことは自分の目で見た事実と同じか、それ以上の重みを持っている。エイルには、もう二度と両親や兄に会えないという事実を、受け入れる以外に手段がなかった。容易(たやす)く納得出来たわけではない。ただ突然変わった環境への対応に迫られたので、悩む暇もなかっただけである。実際、こうして色々な事を思い起こすのは、久し振りだった。

――ジルクは今頃どうしているだろうか。

あれから三百年余が経っているとは、いまだに信じがたい。三百年前と今の世界は色々な部分で違っているのだろうが、ろくに城から出た事がない王子にとっては、それが分からなかった。現在と過去の差を感じるより前に、貴族と庶民の生活の差を感じ、驚愕した。このまま何とか順調に南へ旅し、コーウェン近郊で大魔術師を見つけることが出来、過去の世界に帰ることが出来たとして。あの時のレノアに帰れたとして、そこに何が待っているかといえば、死体の山と、崩れた城と、勝ち誇るかつての王弟コジュマールの軍なのではないだろうか。もしそうならば、シキとエイルに何が出来るだろうか。ほんの一瞬、いっそこのままこの世界で暮らしたい、という考えがよぎる。しかしエイルはその考えをすぐに打ち消した。

――やはり、私が住む世界はここではない。レノアが反逆者に乗っ取られているならば、なんとしてでも正統な王位を取り戻す。それが王家に生まれた私の宿命だ。コジュマール叔父、いや反逆者コジュマール、王位はあなたのものではない。父王陛下の、そうでなければシエル兄殿下の……もしそうでなければ、私のものだ。

エイルは両手の指を合わせて握りしめた。どうすればいいかは分からない。自分は今、何も持っていない。しかし彼は確かに「王の息子」だった。エイルは唇を固く噛み締め、なんとしても過去のレノアへ帰ることを、そしてレノア国に正統な王位を取り戻すことを胸に誓った。

しかしどれだけ高潔な誓いとて、空腹に勝つのは難しい。エイルは思わず握り締めていた両手を自分の腹に当てた。ぐっと押さえたが、腹はあえなく切ない音を立てた。

――あれからかなり時間が過ぎたと思うが……クリフたちはまだ起きないのか。

恐らく、もう真夜中といっていい時刻だろう。時を告げる鐘の音も、日の入りを告げたのを最後に鳴っていないようだ。次に鳴るのは日の出の時刻だが、それはまだ先だろう。エイルは何度目かの寝返りを打った。

ふと、何かが軋(きし)む音がした。古い木造の建物は、家鳴りする事がある。時折、建物のどこかが、軋むような音を立てるのだ。しかし天井を睨みつけて空腹に耐えているエイルの耳に届いたその音は、家鳴りとは違う音だった。確かに木がしなって鳴る音ではあったが、それはゆっくりでありながら規則的で、しかも徐々に近づいてきている。

――誰かが廊下を歩いている……? 

エイルは不安に駆られた。こんな時刻に誰が宿の廊下を歩くというのだろうか。自分たちはさておき、デュレーの町に限って、夜間に到着する客などいるはずもない。

――まさか、盗賊か。

宿の客を狙う賊はどの街にもいる。大抵はちんけなこそどろで、寝ている客の荷物をこっそりと漁って金や武具などを盗んでいく奴らである。だが、中には極悪非道な強盗もいる。客が起きて騒ぐ前に殺してしまえ、というような物騒な者も、稀ではあるが確かにいるのだった。そういった盗賊に出会う可能性は少ない。もし会うとすれば、かなり運が悪いと言えるだろう。エイルは、だからまさかそんなことはあるまい、と思った。しかし、恐怖を拭い去ることは出来なかった。足音は止まることなく、確実にこの部屋へと近づいている。

もし起きているのがシキであれば、剣を手繰(たぐ)り寄せ、息を殺して待つだろう。クリフやクレオだったらどうするだろうか。今、自分がすべき事は何だろうか。エイルは必死で考えた。もちろん、足音の主がこの部屋を目標にしているとは限らない。しかし、もしそうだったら? 

エイルは素早く、しかしなるべく音を立てないように寝台から降りると、クリフに走り寄った。シキは怪我をしているし、今一番頼りになるのはクリフだ、という判断である。とにかく、自分一人でいたくはなかった。しかしいくら揺すってもクリフは安らかな寝息を立てているばかり。耳元に口を寄せ、小声で呼んでみたが反応がない。足音はどんどん近づいてくる。エイルはそこを離れクレオの寝台に近づいたが、結果は同じだった。緊張が高まり、エイルは唾を飲み込む。その時、足音が止まった。恐らくは、エイルたちの部屋の前で。

エイルは慌てて自分の布団にもぐりこんだ。寝た振り以外、何も思いつかない。布団を鼻までひきあげ、唾を飲み込んだ。手の平や背中に、嫌な汗がじわりと浮く。

扉が音もなく開いた。やはりこの部屋が目的だったのだ。部屋はまっ暗だったが、ずっと目を開けていたエイルの目は闇に慣れている。足音の主である、二つの影が部屋に入ってきたのが、布団のふちから見えた。高鳴る鼓動が彼らの耳に入るのでは、と思う。息が苦しくなったが、咳払いも、喉を鳴らすことさえ、怖くて出来なかった。

彼らはやはり盗人であるようだった。寝台の足元にある荷袋や脱ぎ捨てた服などを探る気配が感じられる。

――一番欲しがるのはやはりこれだろうな。

エイルは手に力を込めた。汗が滲んだ手には、金貨や銀貨が入った袋が握られている。寝る前に、「大切なものだから、肌身離さず持っていろ」と双子に言われたのを思い出し、布団の中に引っ張り込んだのである。

――私の布団をはいだりしないだろうな。

残忍な盗賊が袋を取り上げ、剣を振りかざしているところを想像する。エイルは思わず身震いした。最初に客を殺そうとするような輩(やから)でなかったのは幸いだが、一番の目当てがないと分かったら布団をはぐかも知れない。

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