Legend of The Last Dragon −第五章(1)−

ハーディスは、徐々に輝きを失っていった。血のように赤く染まった岩肌が、不吉な予感を抱かせる。暮れ落ちる秋の夕陽は、夏のそれよりもずっと早い。風が低く、強く、唸っている。闇が刻一刻と深くなり、あれほど晴れ渡っていた空には、いつの間にか黒々とした雲がいくつも流れていた。

所々、道端にそびえ立つ岩が、道に影を落としている。四人はごつごつとした岩山を急ぎ足で、しかし一歩一歩を確かめながら注意深く歩いていた。足元は暗く、そこら中に転がっている石にいつ躓(つまづ)くとも限らない。山道があるとはいえ、大きな石をどかして多少歩きやすくしただけのものだ。少しずつ、あたりの景色が色を失っていき、闇が山全体を浸していく。誰も口を利かなかった。足音と、荒い息遣いだけが聞こえる。

山を一日で越えるのは、到底出来ない事だった。ほとんどの旅人は、山頂近くにある町デュレーで一泊する。ラマカサを朝早くに出発したなら、デュレーには夕方遅く到着する。しかし四人が領事フォマーに追われ、ラマカサを出たのは今日の午後の事。ハーディスはその輝きを柔らかなものに変え、地平線へ近づいていった。そして今やハーディスは山陰へと隠れつつあり、メルィーズが支配する時間が訪れようとしているのだった。

冷たい夜風を首筋に感じ、クリフはマントの襟を立てた。クレオが持つ火影(ほかげ)が赤く、小さく灯っている。クリフには、夜がどれだけ恐ろしいかよく分かっていた。闇の前に人間は屈服する。夜は自然の力が増すのだ。まして、ここは安全な町や村ではない。暗くなってから出歩くのは危険すぎる。それは、サナミィの森でもこの山でも同じ事だ。クリフはそれを直感的に感じていた。夜が深まる前に、一刻も早く町に辿り着きたい。その思いが列の先頭を行く彼の足を早めた。

双子のすぐ後ろで、エイルは珍しくも口を閉ざして歩き続けていた。ただし、彼は黙っていたいと思っているわけではない。話す余裕がないのである。最早ひきずるようにしか動かせない足と、薄く開いた唇から漏れる息。エイルは水色の瞳を苦しげに潤ませている。

一行の最後を歩くシキは、その様子を見て胸を痛めていた。夜の山道は、若き少年王子にとって非常に酷だろう。細い足で懸命に歩くエイルを助けてやりたいとは思えど、馬も歩けぬようなこの道では王子を背負って歩くのも難しい。休憩させるゆとりもない。エイルの肩が苦しそうに上下しているのを見ると、シキは自分も息苦しさを感じてならなかった。

ついに、ハーディスの姿が完全に見えなくなった。シンジゴ山脈が、夜に沈む。見る間に視界が暗くなり、すうっと寒気が押し寄せる。じんわりとかいた汗が冷えて、クレオの身体が震えた。明かりなど全くない山道を、四人はただひたすら先を目指して歩き続けている。彼らの他には誰もいず、何一つ、動く気配すらなかった。

いつの間にか、メルィーズが輝きを増している。今日の彼女はほぼ完全な円形を描いていた。星々で飾った夜空に君臨するメルィーズは、人々に畏敬の念を抱かせる女神であり、また同時に畏怖の対象ともなっている。その彼女をひときわ黒い雲が覆い隠した時、シキは気配を察して立ち止まった。短く、しかし強い調子で呼び止める。

「クリフ」

声の鋭さに思わず足を止めたクリフは、シキを振り返った。シキはその肩越しに、前方を見据えている。クリフは再度振り返り、進行方向の闇に目を凝らした。

「誰か、いる……」

クリフの言葉に反応したかのように、強い風が吹き渡った。再びメルィーズが姿を現す。眩(まばゆ)いまでの月光が、一人の男を照らし出した。

真朱(しんしゅ)色とでも言えばいいだろうか、深みのある赤い髪。高い身長と、それに見合うだけの強靭な体躯。柔らかという言葉にはおよそ程遠い、苦み走った顔立ち。太い眉の横には大きな切り傷が痕になっていて、あごは無精ひげで覆われている。年は三十をとうに越しているだろう。鎧すら身につけていないが、剣士として十分な貫禄と風格を備えていた。腰には五サッソほどの長さのシャムシールを帯びている。シキは、男が腕の立つ剣士だと直感して疑わなかった。

「思ったより色男だな」

低く太い声でそう言いながら、岩肌に寄りかかっていた男はゆっくりと身を起こした。左手を剣の柄にかけ、近づいてくる。シキは既に三人を後ろにかばい、慎重に身構えていた。

「ひでぇ悪人だって聞いてたが……人間、見た目じゃ測れねぇとはよく言ったもんだ」

「何者だ」

「俺の名前なんざ何でもいいんだよ。あんたがシキだな?」

「何故俺の名を……」

「面倒くせぇ。いいから剣を抜けや」

男はそう言いながら、自らのシャムシールを素早く抜いた。左手首を軽く捻ると、鞘を放り投げる。心当たりがなくとも、戦いは避けられないようだった。デュレーは男の立つ道の先にある。エイルたちのことを思えば逃げるわけにもいかない。シキは覚悟を決めて、腰の長剣を抜き放った。

相手の目は、ひたとシキに据えられている。クリフたちなど、全く眼中にない。それを見て取ったシキは、三人と距離を取った。彼らを巻き込む危険を避け、赤毛の男と対峙する。

メルィーズは戦いの行方が気になるのか、姿を隠すことなくその光を投げかけていた。闘技場での戦いとはまた違う緊迫感が漂う。ハーディスに見守られた武闘大会は明るく、地面は平らだった。だが、ここは違う。満月とはいえ夜の山道。足場も悪く、道幅も狭い。わざわざここで待ち伏せしていたのなら、相手には地の利があるのかも知れない。シキにとっては不利な状況と言わざるを得なかった。

――油断出来んな。

シキは息を殺し、体中に力を漲(みなぎ)らせて時を待った。ほんの僅かな、一瞬の隙を突かねばならない。何も言わずとも、二人の男の間には同じ空気が流れていた。言葉には出来ぬ、強いて言うなら気迫とでも言うべき、とてつもなく熱い空気が二人の身体から立ち昇っている。お互いの視線は、ぴくりとも動かない。砂利を踏んだシキの長靴(ちょうか)が、小さな音を立てた。赤毛の男が、それとほぼ同時に動く。当然のことながら、シキも素早く反応していた。常人の目では追い切れないほどの速さで、彼らは幾度も切り結ぶ。湾曲した刀身のシャムシールと真っ直ぐな長剣が、かち合うたびに青白い火花を散らす。

力量は、ほぼ互角だった。しかし赤毛の男の剣は鋭く、地の利と経験を生かしている分、シキは苦戦を強いられている。幾度か剣を交えた後、二人は再び動きを止めた。緊張は解かず、絶えず間合いを計りながら息を整える。

「へぇ、若い割にゃやるじゃねぇか、色男」

赤毛の男は、満足げとでも言うかのような笑みを浮かべている。シキは言葉を発する事なく、ただ視線を返した。

――ヴァシーリーほど力はないが、技量では勝るとも劣らない。剣は恐らく独学だろうが……恐ろしく強い。こんな男、城にいては見(まみ)える事もなかっただろう。これは、負けられんな。

口の端に、かすかな笑みが浮かぶ。それは、シキにとって滅多にない事だった。

自分より強い者などいくらでもいる。幾人もの強者と実際に戦った経験もある。しかし自ら望んで戦ってみたいと思った事は、そして倒したいという感情に駆られた事はまずなかった。シキは、ごくりと唾を飲み込んだ。不利な状況に変わりはない。しかし、どこか楽しんでいる自分がいる。シキはそんな自分に驚きはしたが、嫌悪感は抱かなかった。

戦いは、延々と続いた。メルィーズが雲の影に隠れることもなく、長い時間が過ぎた。二人はともに精神力を消耗し、息も荒い。

――これ以上は……。

シキがそう胸の内で呟いた時、赤毛の男が低い声で言った。

「そろそろ勝負をつけるか」

それを合図にしたかのように、二人は弾かれたように動いた。メルィーズの光が、二振りの剣の刃を白く閃(ひらめ)かせる。剣戟(けんげき)が、岩山に響く。シャムシールの刃を跳ね返そうとした刹那、シキの膝が疼(うず)いた。ヴァシーリーに受けた最後の一撃の傷である。踏み留まったはずの膝から一瞬力が抜け、足が岩の上を滑る。

「くっ!」

見守っていた三人は息を飲んだ。ごく僅かの隙。相手には、それで十分だった。間違いなく止めをさせるはずだった。しかし、赤毛の男は剣を振り下ろさない。踏み込もうとした足を引き、シキが体勢を整えるのを待った。すぐに持ち直したシキが、再び剣を構える。二人はお互いの力量と、正しい戦いのやり方に満足しているようだった。

その時。今までずっと天空に輝いていたメルィーズが、突然雲に覆い隠された。その場の誰もが動きを止める。人工的な光など何一つない山中。真の闇が全てを飲み込み、何もかもが影の中に消えた。

暗闇に残されたのは、ほんの小さな灯りだった。宿屋の老婆が持たせてくれた火種である。クレオが持っていたそれだけが、闇に赤く、ほのかに浮かび上がっていた。

「あっ!」

突然クレオの悲鳴が聞こえ、クリフはたじろいだ。声と同時にクレオが持っていた火種が落ち、その姿が見えなくなる。突然の暗闇で、目が利かない。クリフは必死で神経を尖らせ、クレオを探した。空中に伸ばした手が、エイルの肩に触れる。

「ク、クレオがいない!」

エイルもクレオの声に驚いて探していたようだ。クレオは、自分とエイルの間にいたはず。ひやりとしたものがクリフの背中を這う。恐怖感と焦燥感に駆られ、彼は双子の妹の姿を捜し求めた。

「クレオ、クレオ!」

「そんなとこにゃいねぇよ、ひゃーっはっはっは」

この場にいるはずのない男の笑い声が、少し離れたところから聞こえる。クリフはその声に聞き覚えがあった。

目が暗闇に慣れる前に、気まぐれな風と雲がメルィーズの姿を空に出現させる。クリフが思った通りの男が、クレオの首に短剣を突きつけているのが見えた。

「クレオ!」

「クリフ……」

男は左腕でクレオを羽交い絞めにし、短剣をその首に添わせていた。濃い青の髪を揺らし、男は再び下品な笑い声を上げる。それからふっと冷淡な表情を浮かべ、シキに向き直った。やぶ睨みの目を更に細めて睨みつける。

「よお、シキ」

「お前は……イマネムか!」

「十連勝のお祝いも、武闘大会優勝のお祝いも言ってなかったからよぉ」

イマネムの目は言葉と裏腹に、復讐の炎に燃えていた。シキは、イマネムに向かって剣を構え直す。

「再び相見(あいまみ)えようというのか」

「けっ、あんたの相手は俺じゃねぇよ。なぁ、アザムの旦那」

シャムシールを手にした男は黙って事の成り行きを見守っていた。イマネムの言葉に振り返れば、アザムと呼ばれたその男が剣を下ろしたのが目に入る。その様子は、先程までとまるで違っていた。シキと戦っている間中、彼は楽しげにすら見えたのだが、今はその瞳にあからさまな侮蔑(ぶべつ)の色を浮かべている。そんな事にも気づかぬイマネムは、大声を張り上げる。

「何をぼーっとしてやがんでぇ! 早くシキをやっちまってくれよ!」

「話が違うじゃねぇか、イマネム」

「んなこたぁどうでもいいんだよ、さあ早く、そいつを殺しちまえ!」

イマネムは焦ったように言ったが、アザムはそれに答えず剣を持ち直した。

「こいつは悪者じゃねえ」

「ちっ、変なとこで正義感出しやがって……。おい、俺をやろうったって無駄だぜ。こいつを忘れたかぁ、ひゃはははは」

そう言うと、イマネムは人質であるクレオをますます強く締め付けた。クレオは眉根を寄せ、苦しそうなうめき声を上げる。その目に涙が滲んでいるのを見て、クリフが唇を噛む。

「『汚い野郎』はお前じゃねぇか」

意味深(いみぶか)な言葉とともに、アザムは唾を吐き捨てた。悔しげに歯噛みする様子を見せながら、しかしその目が鋭く光る。

シキとアザムの視線が交差したのは、ほんの一瞬だった。その次の瞬間には、二人がいた場所には影も残っていない。左右に分かれた、その早すぎる動きを捉えきれずにイマネムは焦った。アザムの投げた短剣が空を切って飛ぶ。短剣はイマネムの右足に突き刺さり、悲鳴が上がった。その隙にシキが距離を詰めている。イマネムの左腕が緩んだおかげでクレオは逃げ出し、間髪入れずに長剣がイマネムの喉に突きつけられた。剣先が浅黒い肌に食い込む。

「ひぃっ!」

自分の鼻先、至近距離まで真顔のシキが迫り、イマネムの顔が引きつる。

「こ、殺さ……」

声が掠(かす)れ、最後まで言うことすら出来ない。シキは無言のまま動かない。長剣をその首に突きつけたまま、イマネムを睨みつけて静止している。

「お、お、俺が悪かった……ここ、殺さないでくれ」

イマネムは喉を鳴らすと、小さな声で訴えた。

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