Legend of The Last Dragon −第四章(9)−

盛大に生けられた花が、花瓶から溢れんばかりに咲き乱れている。領事の館の執務室は、広い空間に机と椅子が一組置かれているだけで、後は多くの本棚が並べられていた。恐ろしく天井の高い部屋に作り付けの本棚は、フォマーの背に合わせて低いものばかりである。執務室の簡素な机には似つかわしくないほどの大きな花瓶に近寄り、フォマーは花の香りを楽しんだ。いつものように背の高い長靴(ちょうか)を履き、更にめいっぱい背伸びをしないと花まで届かないのだが。

「ふむ、いい香りだ。さてシキと言ったな、昨日の戦いは見事であった。誉めてつかわす」

「光栄です」

「早速褒美をとらせよう、これ執事!」

太く短い指で、机の上に置かれている鐘を鳴らした。高価なガラスで出来た鐘は、涼やかな音で屋敷に響く。十を数える暇もなく、執事が現れた。その両手に白い麻袋を捧げ持っている。執事は黙って進み出ると、その袋をシキに手渡した。

「それが闘技場で稼いだ分全てだ。ずっしりと重かろうな、はっはっは。……そこでものは相談だが」

言葉だけで笑ったフォマーは、シキににじり寄った。近くまで来ると、その身長差はひときわはっきりする。シキを見上げる形になったフォマーは、眉を寄せて舌打ちした。シキに背を向け、さっさと執務机に戻ると背の高い特注の椅子に座る。その様子は、まるで子供が高い椅子によじ登っているようだった。

「あー、相談と言うのは他でもない。シキ、わしのために働かんか。お前程の力があれば、立身出世も思いのままだ。当然報酬もそれっぽっちの金貨ではなくなるぞ」

「大変光栄ではありますが……旅の途中ですので」

「断ると言うのか? 自分に損な選択をすると後悔するぞ。わしが取り立ててやれば、いずれレノア城の騎士にだってなれるかもしれないのだぞ」

「はあ……。申し訳ないとは思いますが、やはり辞退させていただきます」

「わしの申し出を、飽くまで断ると言うのだな」

「はい」

「……旅をしていると言ったな。一人か? どこの誰ぞと一緒か」

「知り合いと四人ですが」

「どこへ行く? 何が目的の旅だ」

「言わねばならぬ道理がありますか?」

「貴様、それ以上無礼な口を利くと罪人扱いになるぞ。わしはラマカサの領事であり、判事でもあるのだからな。素直に答えろ、さもないと……」

フォマーがそこまで言いかけた時、大きな扉を叩く音がした。フォマーが荒々しい声で応答すると扉が開き、執事が現れた。

「旦那様、表に何やらお客様が参っておりますが」

「誰とも約束などしておらんぞ」

「そう申し上げたのですが……その、こちらのシキ様のお知り合いかと」

「水色の髪の少年か?」

シキが尋ねると、執事は恐る恐る頷いた。

「どう致しましょう?」

「わしは知らんな。礼儀知らずめ、このシキとやらといい勝負だな。捕らえておけ」

「そんな事は俺が許さん」

シキの表情が一変し、彼はその手を剣の柄にかけた。フォマーは焦った顔を見せたが、すぐに勝ち誇った態度を取り戻した。ふんぞり返って机を叩く。

「何だ? わしに手を出そうと言うのか? やれるものならやってみい、その子供とやらがどうなるか……」

シキはその言葉を最後まで聞く事せずに、くるりと背を向けた。

「おい、どこへ行く。その男を止めろ! 衛兵、衛兵!」

フォマーの慌てた声に、すぐさま衛兵が数人執務室に駆け込んでくる。シキは無言のまま足を止めた。衛兵たちはシキを取り囲むようにして剣を抜く。シキは彼らに向かって、怒りを抑えた声で言った。

「貴様ら、命が惜しいなら剣をしまえ」

「な、何を言うか」

「昨日の武闘大会を見ていた者はいないのか」

シキの低い声に、一人の衛兵がはっと息を呑んだ。自分の前で剣に手をかけているのは、千死将軍、無敗の男とあだ名された男を倒した剣士である。他の衛兵たちも、次々と気づいていった。武闘大会を見に行かなかった者など、誰一人いない。目の前にいるのは初出場で十連勝した男。あのヴァシーリーを倒した男である。彼らの身体に寒気が走った。怒りに満ちた緑の瞳が彼らを射抜く。衛兵たちは萎縮し、知らず後ずさって道を開けた。シキは抜きかけた剣をしまい、屋敷の玄関へと向かってゆっくりと歩き去る。

「お、お前たち、何をやっとるんだ、捕らえろと言うのが分からんのか! 追え、奴を行かせてはならん! 子供と一緒に捕らえて牢へぶち込め! わしを侮辱した罪で捕らえるんだっ!」

フォマーは執務机についたまま、口から唾を飛ばしてわめいた。その声で我に返った衛兵たちは、怯えながらも慌ててシキの後を追う。

「だから、何度言ったら分かるのだ! 私はレノア国の王子だぞ、この様な扱いは心外だ! 許さんぞ、貴様ら!」

「あーもう小うるさいガキだな。今、旦那様にお伺い立ててるんだから少し黙ってろよ」

あまりに騒ぐので後ろ手をひもでくくられているエイルは、それでも黙ることなく騒ぎ立てていた。

「私は流言蜚語など言っているわけではない、本当に竜を見たのだ! だからシキに知らせようとこうしてやって来たのに、話を聞く事もしないとは! 傍若無人だ、ひどい話だ、私を誰だと思っているんだっ!」

「うるせえなぁ……」

と、門番がうんざり顔で耳をかいていた時である。シキが玄関に姿を現した。その後ろから衛兵が追いかけてくる。最も、追いついてどうこうしようという気でもないようだったが。

「シキっ」

「すぐにここを出ましょう」

シキは短く言うと、門番を押しのけてエイルのひもを解き始める。押しやられた門番が抗議しようとその肩に手をかけたが、振り向いたシキの表情に凍りついた。

「いや、お、俺は……その、あの」

エイルが、手首をさすりながら愛らしい顔を歪ませている。それを見やって、シキは門番のむなぐらを掴み上げた。衛兵たちが慌てて剣を構えるのも構わず、両腕に力を込める。

「その面、二度と俺の前に出すな。……と、領事に伝えろ」

「は、はいっ」

「おい、待て! フォマー様のお言いつけだ。そこを、う、動くな!」

衛兵の一人が大声で言った。が、シキはそれを無視して玄関の扉を開ける。

「お、おい貴様!」

衛兵たちも追って外へ出たが、それ以上追うつもりはないようだった。振り返ったシキの目には、たじたじとした彼らの、情けない姿が映っている。

「あんな下らぬ領事に仕えるのはよすんだな。早々に命を落としかねないぞ」

それだけを言い残し、シキはエイルとともに屋敷を後にした。

「お帰り、クリフ。ねえねえ、弓は買えた?」

「うん、ほらこれ。弓使いの証があると、本当に、かなり安いんだよ。びっくりしちゃった」

「うわあ、大きいんだね。重い! こんなの使えるの?」

「もちろん! 店で試し引きさせてもらったしね。強弓(ごうきゅう)だもん、遠くまで力強く飛ぶよ」

「すごいなぁ、クリフ。なんか、クリフばっかり大人になっちゃう感じだね……」

「そ、そんな事ないよ。クレオだってエイルに字を教えてもらってるんだろ? すぐに本も読めるようになって、魔法もどんどん使えるようになっちゃうんじゃない? そしたらすごいよね、俺は読み書きなんてすっかり諦めたもんな」

「……ありがと、クリフ」

階下で何やら話し声が聞こえる。宿屋の老夫婦だろうか、かなり慌てた声のやり取りである。

「何だろうね」

「さあ……」

すぐに階段を上がってくる軽い足音がし、二人の部屋の扉を開けて老婆が入ってきた。宿主夫人である。顔色が悪い。双子は眉をひそめた。普段ならはきはきと元気のいい人がおろおろしているのだ。何か悪い事が起きたに違いない。

「あんたたちね、早いとこ荷物を作ってお逃げなさい」

「え?」

「領事がシキさんとエイル君を追っているってお触れが回ってるよ」

「そんな」

「馬鹿な!」

「そうとも、あの人たちが悪事なんか働くもんかね。あたしは信じてるよ。でもね、あのフォマーって男はそういう事をしてもおかしくない奴なんだ。それにね、旅の連れも探せって事らしいよ。ここにいたらあんたたちも捕まっちまう。さ、早く荷物をお作り」

二人は慌てて荷物を袋に詰め始めた。

「ともかく町を出るんだよ。南へ行くって言ったね? じゃあ南門から行くしかないよ。けど……今から町を出ると、山越えは夜になってしまう。気をつけてお行き。山には野盗も出るって言うし、それより怖いクルイークがいるからね」

「クルイークって?」

「ここらで一番恐れられてる獣だよ。すごく大きな狼みたいなもんでね。あたしゃ見た事もないけど、今まで多くの人間が山越えの途中に食われてるんだ。奴らは夜行性だからね、旅人はみな昼の間に山を越えようとするんだけど……」

「そ、そうなの?」

「ああ、でもクルイークだって獣だからね、火を絶やさなけりゃ近づきっこない。火種をあげるから、しっかりと消さないように持っていきな」

「おばあさん……ありがとう」

「いいんだよ。短い間だったけど、孫が出来たようで嬉しかった。いつか、また寄っておくれね」

「クレオ! こっちは荷物出来たよ!」

「あ、クリフ。こっちももう大丈夫。……じゃあ」

乱暴に木の扉を叩く音が、階下から響いてきた。三人は一瞬凍りつき、それからあたふたと荷物を抱える。階下へ降りると、声を荒げた兵士と、宿主のやり取りが間近に聞こえた。

「ですから、彼らはもう居りませんので……」

「嘘をつくな! 弓屋の主人がたった今ここへ向かったと言ってたんだ!」

「いえですから……」

老亭主の声を聞きながら廊下を通り過ぎ、三人はそっと台所へと向かう。台所には小さな勝手口があり、裏通りへ抜けられるようになっていた。宿屋の入り口が込んでいる時などに出入りしているのだという。そこまで来ると、クリフとクレオは頭を深く下げた。

「本当にありがとうございました」

「シキさんとエイル君にもよろしく伝えておくれ」

「はい」

「さ、早くお行き」

双子は同時に頷くと、もう一度頭を下げてから扉を抜け、裏通りへと走り出した。が、すぐに兵士が歩いてくるのが目に入り、慌てて物陰に隠れる。クレオが不安げに言った。

「どうしよう、このままじゃその内見つかっちゃう」

「大丈夫だよ、ほらあれ見て」

クリフが指差したのは、干草を山のように積んだ荷車だった。持ち主と思われる男が近くの壁に寄りかかって一服している。兵士がいなくなったのを見計らうと、クリフとクレオは急いで駆け寄った。男は少し戸惑ったようだったが、二人の話を聞くと親身になって頷いた。

「ああ、お触れなら俺も聞いたよ。全く、今までに無実の罪で捕まった人がどれだけいることか……ひでぇ話だよ。シキさんが悪事なんかするもんか」

「そうですよね!」

「ああそうともさ。大体な、フォマーの奴はいっつも好き勝手ばかりやってやがるのよ」

「それであの、俺たち南門まで行きたいんです」

「そこで待ってれば、二人とも来ると思うんです」

「よっしゃ、そういう事なら俺が南門まで運んでやらぁ。ほれ、荷物と一緒に隠れな」

ほっと胸をなでおろし、クリフとクレオは干草の間に紛れ込んだ。四人分の荷物も、上から干草をかければすぐに見えなくなる。揺れる荷車に乗れたので、双子は安堵した。途中、忙しそうに走っている兵士たちとすれ違ったが、彼らが咎めだてされる事は一度もなかった。そうして南門にかなり近づいた頃。

「あ! ごめんなさい、ちょっと止めて下さい」

懸命に荷車を引いていた男はクリフの声に足を止め、シキの姿を確認すると彼に呼びかけた。

「シキさんじゃねぇか! 無事だったんだなっ」

「何者だ」

「いや俺は怪しいもんじゃねぇ。そうだな、善意の運び屋ってとこだ」

男は胸を張って親指を立てた。荷車の後ろ、干草の間から双子が姿を現して、シキはそういうことかと頷く。エイルはと言えばようやくシキに追いついて、膝に両手をつき、肩を揺らしている。口を開く余裕もない。シキは男に礼を言うと、双子に近づいた。

「良かった、心配していたんだ。……すまん、こんな事になってしまって」

「何だか分かんないけど、大丈夫だよ」

「それより早くラマカサを出ないと!」

双子の頼もしい言葉に、シキは笑顔を見せた。

「俺っちの荷車じゃ、四人は積めねぇなあ。残念だが……」

「ああ。ここまで彼らを連れてきてくれて助かった。感謝するよ」

「いやぁ、シキさんのお役に立てて何よりで……。あの、握手してくれますかね?」

「は? あ、ああ構わんが」

男は、昨日のシキの戦いぶりにめっきり惚れ込んでいるようだった。重ねて礼を言うシキに、図体に似合わずもじもじと照れている。

「フォマーなんてちんけな小男ですよ。気にしやしません。シキさんを助けたって言ったら、俺ぁ町の英雄になれますよ、へへ」

得意げに言う男に見送られ、シキとエイル、そして双子の兄妹はラマカサの南門をくぐる。より多くの追っ手がかけられている彼らは、一刻も早く山を越えなければならなかった。数人の衛兵ならばシキの相手ではないだろう。しかしフォマーは数十人の兵士を組織していたのである。シンジゴ山脈へ向かう足取りを緩めるわけにはいかなかった。既に、ハーディスは傾き始めている。目指す山脈はすぐ間近まで、その長い影を伸ばしていた。

Copyright©, 1995-2010, Terra Saga, All Rights Reserved.