Legend of The Last Dragon −第六章(1)−

冬空は、穏やかな町並を象徴するかのようにすっきりと晴れ渡っていた。

シンジゴ山脈の峰々に囲まれた町、デュレー。南北を行き来する旅人たちで賑わう他は、目立って特徴のある町ではない。平野の大きな町のように堅固な城壁があるわけでもなく、特産物もこれと言ってない。宿場町としては有名だが、それ以外はいたって平凡な町であった。

時を告げる鐘が長く、二度、鳴る。家々の屋根から朝食の準備の煙が立ち上り、町の中心部では市場が賑わっている。

旅人たちが行き来する周辺、特に多く宿屋が集まる一角にティレルの宿はある。古びた木の看板には「食事と布団と素晴らしき調べ」と彫りつけてある。ティレルの母親が宿をやっていた頃に作られたもののようだ。木造の二階建て。周囲の宿屋に比べて少々大きい事を除けば、他となんら変わりない、素朴な建物だ。二階の窓のいくつかが開けられ、中から少女らしい声が聞こえてくる。

「何度言ったら分かるのよ!」

鼻息も荒く、両腰に拳をあてる。睨みつけるのは目の前にいる少年である。少年は巻き毛をかきあげ、わざとらしく両手で耳を塞いだ。

「うるさいなあ。分かっていると言っているじゃないか」

「分かってないから言ってるんじゃないのっ!」

「そんな大声を出すと、シキの怪我が悪化するぞ」

「なんですってぇ!」

火に油とはまさにこのこと。言ってから「しまった」と思ったが、エイルは大仰に肩をすくめるだけに留めた。なんと言えばいいか分からなかったからだ。

――クリフはまだかな。

喧嘩の仲裁役はいつもクリフの役目だ。エイルもクレオも、お互いにちょっとやりすぎたかと思う事はあるのだが、どう納めればいいか分からなくなる。その気があるわけではないが加熱していく喧嘩。クリフがいれば「二人とも落ち着いてよ」と中に入ってくれるのだ。だがそのクリフは、早朝訓練に出たきり、まだ帰らない。

エイルは、クレオと二人きりでいるのが少々気詰まりだった。また喧嘩になりそうな予感がした。何も、喧嘩したくてしているわけではない。けれど、何故かいつも言い合いになり、最後にはクレオが顔を真っ赤にして怒る。今日もまたそういう事になりそうな気がして、エイルはお茶でも飲もうと二階へ上がったのだ。だが、シキの部屋へ入ろうとしたところで、クレオに声をかけられた。シキを起こしてはいけない、というのがクレオの配慮だったのだが、腕をひっつかまれて隣の部屋へ押し込まれたエイルにしてみれば、乱暴されたとしか思えない。そうしてまた、いつもの言い合いが始まってしまったのだった。

「シキはあんたのお茶入れ係じゃないんだから」

「だから、それはもう分かっていると……」

「じゃあなんでシキの部屋に行くのよ。シキはさっきようやく寝たばっかりで、それでも傷が痛んで、寝付けないでいるっていうのに」

「だから! お前に言われんでも分かっている。茶を入れるくらい、私は自分で……」

「あんたがそばでがちゃがちゃしてたら起きちゃうわよ。そしたらシキは手伝おうとして立ち上がっちゃうでしょ」

「……」

シキの足の怪我を思い、足が痛んでも自分のためにお茶を入れようとするであろうシキを思う。苦虫を噛み潰したような顔のままだが、エイルは黙っていた。口答えしないエイルを見て、クレオは満足そうに吐息する。そうして冷静になると、ふと思った。

――急に腕を引いたのは、強すぎたかしら。

「まだ痛い?」

「別に……」

「あの、ごめんね」

「ふん。珍しい事もあるものだ」

照れ隠しに、エイルはそっぽを向いた。

「人が謝ってるのに、そういう態度はないでしょ」

「悪いと思うなら、最後までその態度を崩すな」

「大きなお世話よ、ほっといて」

「何を! お前、私を……」

「『誰だと思っているんだ』、でしょ。もう聞き飽きたわよ。それよりそこの箱を下へ運んでってティレルに言われているの。頼んだわよ」

「な、なんで私が……」

エイルは目をむいたが、クレオは既に姿を消している。階段を下りて行くクレオの後頭部に向かって舌を突き出し、反抗の意を表す。と、はしばみ色の髪が見えた。クレオが戻ってきたのかと慌てたが、階段を上ってきたのはクリフだった。

「なんだ、びっくりした」

「何が?」

「いや別に、何でも。……そうだ、クレオがこの箱を下へ運べと言っていた」

「衣装箱か。結構重いんじゃないの、これ」

「そうだ。だから……」

「うーん、これは確かに重いけど、エイルでも一人で運べると思うな」

エイルが口を尖らせると、クリフは爽やかな笑顔を浮かべた。

「大丈夫、エイルには出来るよ」

手伝え、と言うつもりだった。もちろん、シキなら手伝うどころか、何も言わずにやってくれる。けれど、クリフには手伝うつもりすらないようだ。反論しようとしたエイルは、クリフの目の中に意地悪そうな光を見つけた。

「出来るだろ?」

さきほどのクレオと同じ格好。両手を腰に当て、クリフは楽しそうだ。

「このくらい、私には簡単な事だ」

エイルは肩をいからせた。

『私たちはあなたの家来でもないし、小間使いでもないんだからね』

ティレルの宿に移ってすぐ、クレオが口にした言葉だ。エイルは面食らったが、間違っているわけではない。確かに、クリフもクレオも、自分の身の回りの世話をする用人ではないのだった。シキが怪我で起き上がれないなら、エイルは自分で自分の世話を焼かねばならなかった。だがそれは、エイルにとって、考えもつかない事だった。

エイルは生まれてこの方、着替え一つにしても一人でやった事はない。良いも悪いもなく、それが当たり前だった。一度、五歳くらいの頃だったろうか。廊下で侍従の一人が物を散乱させて拾っていたのを見た事がある。たまたま一人だったエイルは、ごく自然にそれを手伝おうとした。だが、侍従は顔をひきつらせて断った。

「わたくしが叱られます。おやめ下さい」

後になって、シキが言った。

「侍従の仕事を取ってはなりません」

教育係を務めていたジルクは、こうも言った。

「エイル様は人の上に立つ方です。その優しいお気持ちは、きっとその者に伝わったでしょう。けれど、皆が同じ仕事をするのではないのですから……。その者にはその者のやるべき事があり、殿下には殿下のやるべき事があるのです」

王族には王族の立場があり、臣下には臣下の立場がある。お互いに、それを越えてはならない。エイルにとって、着替えや食事は「自分でやってはならない事」だったのである。それに慣れていたエイルは、自分のことは自分でやれ、と言われること自体が理解しづらかった。

だが、今は違う。小間使いはいない。何でもやってくれたシキは怪我で動けない。何でも自分でやらねばならない。戸惑い、またやろうとしても、上手くはいかない。不満が募る。だが、シキの怪我を思えば胸が痛む。いつも頼ってばかりいたのだから、たまには安心させてやらねば、とも思うのだった。

そして何より、「何も出来ない足手まといだ」と思われる事が、エイルには我慢ならなかった。自分でも、妙だと思う。以前は気にならなかったからだ。自分は「やらない」だけだった。それが今は、「出来ない」と思うようになった。自分は非力だ。そう思うことが、エイルの誇りを傷つける。

「大丈夫。出来るよ」

クリフの言葉が、そんなエイルの気持ちを救っていた。獣に追いつめられた時、あれだけ怖がっていても、火をつける事が出来たじゃないか。クリフはエイルにそう言った。大丈夫。エイルはその言葉に勇気づけられていた。

「こういう箱はさ、斜めにすると下に手が入るから、そしたらこうやってさ……」

クリフが箱の持ち上げ方を説明してくれている。

「ほらやってみなよ。重いと思うけど、腰に力を入れて……そうそう、そうやって持てば大丈夫」

ようやく箱を持ち上げ、エイルはよろよろと歩き出した。

「足元に気をつけて。階段あるからね」

「わ、分かっている。大丈夫だ」

首だけ振り返り、こくりと頷く。一歩一歩、確かめるように前進し、エイルは階段を下りていった。それを見送り、クリフは汗でよれよれになった服を見下ろした。洋服の枚数はそう多くない。すぐに洗わなくちゃ。そう思って脱ぐ。だが、どうにも脱ぎにくい。

――なんでこんなきついのかなあ。

服の下から、しっかりと腹筋のついた腹が現れる。肩幅も広くなり、首にも、腕にも、きちんと筋肉がついている。

――そっか。服が小さいんじゃなくて、俺が大きくなっちゃったんだな。お金もないけど、大きな服を買わないとなあ、と思った時、腹が空腹を訴えた。訓練前に朝食を食べ、帰ってきてからすぐに食事をしたにも関わらず、である。

――今日の昼食は何かな。

着替えに腕を通していると、階下から声がかかった。

「クリーフ! 買い物に行くの、一緒に行かない?」

「食事してからなら付き合うよ。今、降りて行くから待ってて」

靴に足を突っ込みつつ、妹の声に快く答える。着替えを終えて部屋を出て、階段を勢いよく駆け下りた。だが、靴紐を結び忘れた事に気づいていない。ふとした拍子に右足が左の靴紐を踏み、足がもつれ、体が前にのめり……そして彼は駆け出した時より勢いよく、階段を転がり落ちる羽目になった。幸いにして階段の途中で止まったが、手すりにぶつけた額が赤くなっている。

「いってぇ……」

クリフは苦笑しながら額をさすった。

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