Legend of The Last Dragon −第六章(2)−

ティレルの部屋は一階、階段のすぐ脇にあった。その隣が弟ナールの部屋で、さらにその向こうが厨房である。厨房には、宿泊している客の食事を作るための立派な設備が揃っている。大きな鍋では、今夜のためのスープが煮込まれていた。浮かんだり沈んだりする鶏の匂いが、たまらなく食欲をそそる。ティレルはそれをかき混ぜながらクレオを振り返った。クレオは山盛りになった芋の皮をむいているところである。

「手伝ってもらって助かるわ。下ごしらえは時間かかるから」

「良かった。お料理は好きだし、手伝うのも楽しいの。それに、こっちこそ助かってるわ。宿代と食事代をまけてもらってるんだもの」

「彼の怪我が治るまではまだまだかかりそうだしね」

「……そう、うん。でも、宿代って意外とかかるのね。知らなかった。今まではシキが全部払ってくれてたし……」

「大変だったでしょうね」

「まあ、うん、そうだと思う。ラマカサの闘技場でいっぱい稼げたからいいけど」

「でもそのせいでメイソンに狙われちゃったわけだ。あいつも懲りないね」

「懲りない、って……前にもあったの?」

「そう。証拠があがってないから、ヘッジさんも捕まえられないでいたみたいだけど、どう考えてもあいつの仕業だろうって事が、何度かあって。初めてデュレーに来た旅人は事情を知らないからね。かなりの人が被害に遭っているはずよ」

「ひどい話ね」

「あんたたちを助けられて良かったわ。でも彼が稼いだお金をうちで使い続けたんじゃ、勿体ないもの。宿の仕事を手伝ってもらえれば私も助かるし、一石二鳥って奴よ」

「……なるべく早く治るといいけど」

クレオは、溜息とともに言った。そしてふと思い出したように首をひねる。

――クリフはどうしたのかな。

買い物に行こうと言ったのに、と思いながら、台所の扉を開ける。階段を黒い影が勢い良く転がってきて、大きな音とともに手すりにぶつかった。

「いってぇ……」

「ちょ、ちょっと大丈夫?」

物音に驚いたティレルが、クレオの後ろから顔をのぞかせる。

「いつもの事なの。クリフったらそそっかしいんだから」

「最近、転ぶのも上手くなってきちゃってさ、怪我なんてほとんどしないんだ」

服をはたいていたクリフはそう言って笑い、残りの数段を軽やかに降りた。

「食事は帰ってきてからにしてね。パンを買いに行くの。果物や野菜も買わなきゃ」

クレオはクリフに説明しながら、外套を手に取った。

ゆっくり目を開けると、天井が目に映る。屋根の形そのままに傾斜している天井。薄暗い部屋。感覚では昼ごろだろうか。起き抜けの体は軽く麻痺している。体を起こそうとしたが、長時間横になっていたためか、思ったように動けない。それでもなんとか両腕をついて上体を起こす。寝台の上に座り直そうとした時、右足の腿に激痛が走ってシキはうめいた。

「つぅ……!」

何気なく動かそうとしたのだったが、足は思うように動かず、シキはしばらくその痛みに耐えた。部屋の左手にある扉が静かに開き、一人の女性が姿を現した事にも気づく余裕がない。

「ちょ、ちょっと!」

彼女は慌てて走り寄り、シキが再び体を横たえるのに手を貸した。

「何やってるの、まだとてもじゃないけど起きられないわ」

「……いや、つい」

凛々しいその顔を苦しげに歪め、シキは苦笑して見せた。

「窓を開ける?」

頼む、と頷いたシキに応えて、ティレルは寝台の脇にある窓を開けた。ガラス窓というのは高価かつ希少である。ガラスを板状に加工するには高度な技術が必要だからだ。ゆえに、ティレルの宿のガラス窓はごく小さなものだった。その窓を手前に開け、向こう側の木窓を外へ開く。完全に開け放つと、山独特の、冷気を含んだ風が入ってきた。

「涼しいな」

「そうね、もう冬だもの。山が初めての人には寒いでしょう」

「まあな。だが、目が覚める」

「あはは、そうかもね。慣れると、この冷たさが気持ちいいのよ」

窓枠に両手をつき、上体を外へ乗り出す。風がティレルの黒髪をなびかせ、彼女は嬉しそうな顔で目を閉じた。深い緑の目に、雄大な山の景色とティレルの横顔が映る。まるで一枚の絵のようだ。シキはその風景に何かを思い出しかけたが、軽く頭を振ると、ティレルに向かって尋ねた。

「みんなはどうしている?」

「クリフとクレオは買い物に行っているわ」

「エイル様は?」

寝起きだったことが影響したのか、シキはついうっかり、敬称をつけたままエイルを呼んだ。普段は本人にもよく言い含め、「エイル」と呼び捨てにしているのである。親戚の子ということになっていた。そしてその事にもみんながようやく慣れてきたというのに……。自分がした事に気づき、シキは慌てて取り繕おうとした。が、単語にならない言葉を発してしまい、頭を抱える。

「嘘のつけない性格ね」

ティレルは、その大人びた容貌とはそぐわないほどに可愛らしい笑い声を立てた。

「いや、その」

「何か事情があるのね。そうだと思ったわ。最初にあの子を見た時ね、殺されかかっていたのに、凛としていた。もちろん怖がって取り乱していたけれど、でも気品ってもんを感じたわ。上流貴族か……少なくとも私のような庶民じゃないと思った」

「……」

「ああいいのよ、言わせようっていうんじゃないわ」

ティレルは笑って手を振る。

「旅人にはみなそれぞれ事情があるわ。私が知っても仕方のないことよ。……ねえ、それよりあの子ってよく寝るのね」

エイルの寝起きの悪さを思い起こし、ティレルは笑みを浮かべた。

「いつだって最後まで寝てるのよ。食事の時間だって起こすまでね」

「すまん」

「あらいいのよ。あなたが謝ることじゃないでしょ?」

シキは、自分が謝った理由について説明することなく、黙って微笑んだ。

「貼り薬を交換しましょうか。……痛みはどう?」

普段はクレオがやっているのだが、今は買い物を頼んでしまったから、と、ティレルはシキの太腿の貼り薬を手際よく交換した。

「大きく動かさなければどうという事もないが……」

「仕方ないわ。手を貸せば起きあがれそうね。食事は? 何か食べたいものがあれば作るけど」

「あまり食欲がないんだ」

「体を動かしてないからかしら」

「だろうな。しかし食べないというわけにもいかん」

「パンと、野菜のスープぐらい?」

「充分だ。ありがとう」

シキは優しい笑顔で頷いた。

――この人は自分の魅力を分かっているのかしら。

この笑顔で顔を赤らめない娘はまずいないだろう。だが、シキが自覚をもってやっているとは思えなかった。

――罪作りな人ね。

そう思ったことを気取られぬよう、ティレルは髪を直す振りをして部屋を出た。

なだらかな峰に囲まれた山間(やまあい)に、デュレーはある。町の中心部からでも山の岩肌が見え、眼下には細い山道が続く。のどかで、夜の山とは比べ物にならぬほどの平穏。すぐ近くの山々に恐ろしい獣が住んでいることすら忘れさせる。

建物は、二階建てのものが多い。がたついた石畳の細い道が、建物の合間を縫うように入り組んでいる。ティレルの宿を出て北を向けば、坂を下ったその向こうにラマカサへの山道があった。

陽が高くなってきた。雑踏が通りの賑わいを作り、人々の話し声がそれを彩っている。そこかしこで、買い物をする人々や、その荷物を乗せて運ぶヤーマの姿が見られた。道に面した店が、軒先にも品を並べて売っている。山越えに欠かせない毛布や敷物を売る店、雨避けにするための油をしみこませた外套などを売る店、旅行用の鞄や袋を売る店。保存食料の専門店もある。旅人向けの商品が多いのはデュレーならではというところだ。店の集まる通りを抜けてしばらく行くと、中央市場に出る。こちらは生活必需品が主な売り物で、八百屋、肉屋などが軒を連ねている。双子は、その店同士がひしめきあう中でパン屋を見つけて買い物を済ませた。

季節は冬。月光の月といえば、凍夜の月を除いて一年で一番寒い時期である。特に、このあたりは標高が高い。朝の内は、息が凍りそうなほど寒かった。昼を示す鐘が聞こえる今も、外套は手放せない。冷たく澄んだ山の空気を胸いっぱいに吸い込み、クリフは気分よく深呼吸をした。

「今日もいい天気だねえ、クレオ」

相槌がない。少し後ろを歩いている妹を振り返ると、クレオはうつむいて暗い表情だ。

「クレオ? どうしたのさ」

「あ、ええ、うん、何でも……」

「何か、考え事?」

のんきそうに尋ねるクリフに、クレオは軽く嘆息する。

「クリフって……悩み、ないの?」

想像以上に深刻そうな口ぶりである。クリフは思わず言葉に詰まった。

「ないこともないけどさ……。クレオは、何か悩んでるんだね?」

「うん……」

「俺にも言えないような事?」

「そういうわけじゃないけど」

どうも歯切れが悪い。何か、怒らせるような事でもしただろうか。クリフは思い当たる節があるかどうか、考えを巡らせた。そんなクリフに構わず、クレオは重い口を開いた。

「あのね、さっき台所でティレルと話していた時……」

朝食の後片付けの時だった。

「クレオ、悪いんだけど、後で買い物に行ってくれない?」

水場で大量の食器と格闘していたティレルが、クレオを振り返った。洗われた食器を片端から拭いていたクレオは、快く答える。

「ええ、もちろん」

「さっき食事してた団体さんがいるでしょ? あの商人の」

「ものすごい勢いで食べてた人たちね」

その様子を思い出しながら、クレオは苦笑した。

「彼らがもう一泊していくっていうの。嬉しいんだけど、突然言われると困るのよね。七人も増えたら、夕食が間に合わなくなっちゃうわ」

ぼやくティレルの後ろから、弟であるナールが無言で台所に入ってきた。両腕に抱えた食器を置くと、ナールは無言のまま台所を出て行く。再び積み上げられた皿にティレルはぞっとした顔をして、クレオにむかって肩をすくめた。クレオは布巾を絞って干す。暖かな湯気が立ち上る鍋を覗く。昨晩の鶏料理で残った骨から出汁(だし)を取っている寸胴の大鍋が二つ。

「これで足りない?」

「スープはいいんだけどね。パンがないの。あと野菜も買ってこなくっちゃ」

「そっか。何がどれだけいるの?」

「えーっとそうね、黒パンと白パンを二十ずつ。野菜はウィッタ芋と、ソーフルを一袋ずつお願い。重いだろうから、クリフに手伝ってもらったらいいかもね。さっき帰ってきたみたいだし。あ、そうだ、あとキャラカ入りの麦パンがいるわ。あれの小さいのを二、三個ってところかな。シキはキャラカが好きだから」

「……なんで知ってるの?」

「え? この前シキにそう聞いたんだけど」

「そ、そう」

キャラカは小さな木の実で、少々苦味があり、焼くと香ばしい匂いがする。そのまま食べるというよりは、パンなどに練りこむ事が多い木の実だ。シキはこのキャラカが好きで、麦パンに練りこんであるものを特に好んで食べる。パン屋でシキと買い物をしている時に、嬉しそうに手に取っていたので、その後よく気をつけていると、選んで食べている、と気づいたのだった。シキは好き嫌いなく何でも食べるし、食の好みを口に出す事はなかったので、エイルもクリフも気づいていないだろう。シキのキャラカ好きは、料理担当のクレオだけが知っているはずだったのである。

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