Legend of The Last Dragon −第六章(4)−

レノア城は今なお使われている城だが、その古色蒼然とした風情から、古城と言っても差し支えないだろう。つたや苔が城壁を覆い、補修はしているものの、ところどころ石が欠けている部分も見られる。城下町から城を見るには、首を傾けて見上げなければならない。高い丘の上にそびえるようにして立つ多くの塔が、人々を威圧的に見下ろしていた。町の北端に城の南門があり、そこから続くなだらかな坂道を登った先に城はある。古色蒼然とした外観には、長い歴史による貫禄が刻み込まれていた。

城の内部は広く、さながら巨大な迷路のようだ。大きな窓はほとんどなく、壁に取り付けられた小さな灯りは絶やされることがない。全体として薄暗く、どこかかび臭い。大広間や、王の謁見の間、また貴族たちが集まる晩餐の続き間などは明るく、高い天井が広々とした空間を演出しているが、城の奥へ行けば行くほど、古い城であることを思い知らされる。

その城の奥。細かい模様が刻まれた深みのある色の絨毯が敷かれた廊下を、一人の男が歩いていた。ゆったりと、長いローブの裾を引いている。男は勝手知ったると言わんばかりにいくつもの角を曲がり、階段を登ったり降りたりしながら、音もなく歩いていった。あたりに人の気配はない。表には多くの人間が出入りしているが、このような城の奥深くには誰もいるはずがない。

廊下の途中で男はその歩みを止める。身動きをとらぬ男はまるで一体の彫刻のようだ。均整の取れた長身で、明るみのない紫のローブがその肩にかかっている。魔性の者ですら魅入られそうなほどに美しい顔(かんばせ)。表情を見せぬ暗い瞳。流れるような黒髪は長く真っ直ぐに背中から腰へと伸びている。

きつい切れ長の目を左右に走らせ、何事かを確認すると、男は音もなく動いた。壁をさぐり、石を一つ取り外すと、中から古びた取っ手が現れる。それを引くと壁が大きく開き、細い通路が姿を現した。見たところ、火は灯っていない。だが、石造りの通路は何故かぼんやりと明るかった。

細い通路の先、辿り着いた部屋は薄暗く、湿った空気が満ちていた。どうやら礼拝堂のようだ。建物の内部に造られた礼拝堂というのは珍しい。人々が信仰しているのはハーディスやメルィーズなど、天空の神だからだ。そのことからするに、この部屋は相当古い時代に造られたもののようだ。装飾もほとんどなく、偶像も飾られていない。どのような神に祈りをささげるために造られたのか、定かではなかった。

部屋の最奥へ行くと、更に隠された扉を開ける。暗闇が口を開ける。足元に、ひんやりとした空気が流れ出した。躊躇うことなく足を踏み出し、男は奥へと進む。通路は二手に別れている。男は道を知っているのか、迷うことなく一方を選んだ。軽い角度のついた坂は、徐々に下っていく。それにつれて、温度も下がっていくようだった。

長い道は、少々あっけなく、唐突に終わった。男の目の前にいきなり現れたのは大きな広間、否、洞窟だった。広々として、かなり寒く、床は平らな石が重なるようにして連なっている。何本もの石柱が立ち並び、右手には石から染み出す水が透明な泉を作っている。広間の中央、少し奥まったあたりは少々高くなっており、玉座があった。灯がともっている。ここはレノア城の真下にある、王族専用の避難窟であった。有事の際には護衛の兵とともに籠城し、難を逃れる。出口はレノア城の北、立ち入り禁止になっている沼地に隠されていた。

広間中央の玉座を取り囲むように、黒い影が大きく横たわっている。男は危ぶむこともなく、それに近づいていった。

「お待たせいたしました」

声をかけると、影がいた。長い首を持ち上げ、こちらに向ける。黒々とした顔に、真っ赤な筋がひかれ、それが徐々に広がる。完全に目を開けると、竜は唸り声を上げた。

――遅かったな。

その唸り声が意味のある言葉なのだと理解するには、長い年月がかかった。そしてその意味を汲み取るために、またどれだけの時間をかけただろうか。その、血の滲むような研究をみじんも感じさせず、いとも簡単にやってのけたかのように、男は答えを返した。

「申し訳ない。少々手間取っておりました」

――下らぬ。

「この国を、いえ大陸全土を掌握するには色々と面倒な作業もございます。私のような卑小な者には手がかかる仕事ですので……」

――人間の都合はよく分からぬ。先日のマイオセール襲撃も、あの程度で良かったのか? 連れの兵士がふんぞり返っておっただけに見えるが。

「偉そうな口を利かせて申し訳ない。所詮、貴殿の言葉も分からぬ愚か者、どうかお許し願いたい。貴方ほどの強大な力をも操れるというように見せるため、私が申し付けたもので」

不機嫌そうに鼻を鳴らすと、熱気を帯びた息が男にかかる。男はほんの一瞬、煩わしそうに眉を動かしたが、声音は変えなかった。

「次に行っていただきたい場所なのですが……」

――私はお前の僕(しもべ)ではない。いいように使われるのは、もう勘弁願いたいものだ。

男は慇懃に頭を下げた。

洞窟内の淀んだ空気はひんやりとしている。洞窟の一端では流れ落ちる水の音が静かに続いていた。

冷たい冬の月光が部屋に差し込んでいる。月光の月はメルィーズが一番美しく見える季節でもある。

階下の喧騒を遠くに聞きながら、エイルは優雅に本をめくっていた。食堂兼酒場の客が増え、宿屋に泊まっている客も帰ってきて、忙しい時分である。邪魔をしないのが一番であろう、との判断に基づき、エイルは自室でゆったりとした時間を過ごしていた。シキの様子を見に行こうかとも思ったが、寝ているようなので、やめておいた。クリフもクレオも手伝いに借り出されている。エイルは一人、長椅子に腰掛けていた。出窓の縁に肘をつき、夜空を眺める。こういうとき、考える事はいつも同じだった。

この町に逗留して、かなり長くなる。シキの怪我の事もあるので、仕方ない。だが旅を始めてから、一箇所にこれだけ長く止まるのは初めてではないだろうか。ここは居心地がいいが、かと言って、いつまでも逗留するというわけにはいかない。

大陸の南へ? 大陸一と言われる魔術師を見つける? 元の世界へ戻る――? 

本当に出来るのだろうか。第一、不確定な要素が多すぎる。不安が、常に付きまとう。だが、何としてもエイルは自分の世界へ戻りたかった。どんな目に遭おうと、どれだけ苦労しようと。自分の生まれ育ったレノアの地を踏み、悪人に蹂躙されているなら、それを取り戻したかった。

――もう十日か。シキの怪我も、大分良くなったと思うのだが。

木を叩く固い音がし、「開けていい」とも言わぬ内に扉が開く。

「ごめん、エイル、ちょっと手伝って」

慌てた様子で顔を覗かせたのはクリフだった。

「お客さんが多くて、てんてこまいなんだ。エイルにも手伝ってもらわなきゃ」

「私に客の相手をせよと言うのか?」

「いや、ただその、ナールが皿や杯を洗うのが間に合わないって……」

「皿洗い!」

一言そう言うと、エイルは絶句した。

「ま、まあまあ……ティレルとナールには世話になってるし、宿代も安くしてもらってるんだ。少しくらい手伝っても罰は当たらないよ。とにかく頼む!」

そう言うと、呆れ果てた顔のエイルを残し、クリフは部屋を出て行った。これ以上説得する手間も時間も惜しい、といった様子である。

「信じられんな、まったく! レノアの王子が、宿の皿洗いか」

憤慨して首を振る。それから、大きな溜息とともにがくりと肩が落ちた。

エイルにとって有り得ない事が、次々と起こる。少しは慣れたつもりでいたが、それでも毎日のように思いつきもしない事が起こるのだ。城にいた頃が懐かしく思い出される。あの頃に戻りたい。だが、どうしようもない。

「ここでは、私は王子ではないということか」

諦めたように呟くと、意を決して上着の袖をまくりあげた。

「ふん! 私ほどの者になるとだな、皿洗いくらい、何てことはないのだ」

勇ましく言うと、階段へ向かった。階段を下りて行くと、二階の廊下では小さかった階下の喧騒がぐっと大きくなった。食堂は旅人や町の人々で埋まり、顔が赤くなるほど暑い。料理と酒の匂い、それに煙草の煙が階段近くまで充満している。空気が白いほどだ。エイルは思わず顔をしかめた。

階段の踊り場で立ち止まり、双子の姿を探す。二人は皿の積みあがった盆や盃を手に、店中を飛び回っていた。がやがやと騒がしい店内のあちこちから彼らを呼ぶ声が上がる。客の注文を受け、料理を運び、また空いた皿や杯を片付ける。客たちは彼らの忙しさに構いもせず、それぞれの話に花を咲かせていた。

カウンターの内側には酒の瓶が重なり合うように並べられ、ナールが注文された酒を注いでいる。客はそれぞれの席からふらりとやってきては酒を注文し、金を払って、杯を持っていく。ナールは客の世話をしながら洗い物をしていた。到底手が足りない。それはエイルも見て分かった。エイルがカウンターに入ると、ナールは無言のまま、だがほっとしたような顔をして見せる。

「クリフに手伝えと言われて来たのだが、私はどうすればいいのだ」

「洗って」

元来、口数が少ないナールは、愛想もない。簡潔にして明瞭な答えが返ってくる。指先で示された先には、数えるのも嫌になるほど杯が重ねられている。どうやらそれらを全て洗わねばならないらしい。やり方を丁寧に教えてもらえるような状況でもなさそうだ。

――まずは、水をかけるんだろうな……? 

エイルが慣れない手つきで杯を洗っている間も、客が途切れることはなかった。それはもちろん、宿が繁盛しているということに他ならなかったが、エイルにはそんなことを考える暇もない。次から次へと運び込まれる杯を洗うのに必死である。

客は目まぐるしく入れ替わり、酒を注文して待つ間もしゃべっていた。杯を酒で満たしてもそのまましゃべり続け、何度も注ぎ直すように言う客もいた。クリフとクレオが汚れた食器を持ってきては、また新しい料理の皿を持って出て行く。暖房もろくになく、凍えるほど寒いはずの冬の食堂で、彼らの額には汗が浮いていた。

しばらくの間、一生懸命に洗ったおかげで、エイルの目の前に積まれた洗い物はだいぶ減ってきた。もちろん、すぐにまた増える。それは分かっていたが、とにもかくにもエイルは少しの余裕が出来た。ナールとエイルのいるカウンターの向こうでは荒くれ男たちが酒を煽っている。彼らは席に戻らず、立ったまま噂話を始める。その中の一人、鬚面の中年男が口にした言葉に、エイルは思わずのけぞった。

「じゃあ本当なんだな、レノアが世界征服に乗り出したってのは」

少し若い男が口早に答える。周りの男たちも興味深そうに身を乗り出している。

「そうらしいぜ。何しろマイオセールが滅ぼされたって言うんだからな」

「俺が聞いた奴らの話だと、竜が現れたって言うぜ」

「笑わせるなよ、おとぎ話だろ」

「いやいや、それが本当なんだってよ。俺も最初は疑ったが、その場にいた商人が言うんだから本当さ。空を飛ぶ竜を見たって言うんだ」

「嘘だ嘘だ、いるはずがねえ」

嘘ではないだろう。ラマカサで見た、飛び去っていく禍々しいものは、間違いなく「おとぎ話に出てくる竜」だった。長い尾と大きな翼を持ち、黒々として……。思い出してもぞっとする。

「竜かどうかはおいといてよ、マイオセールはどうなったんだ?」

「かなり死んじまったみたいだな。城も半分くらいは壊れたって聞いたぜ。王族は誰一人生きていないっていうし」

「おいおい、じゃあルセールは滅亡か」

「さあ……マイオセール以外の町は何ともないらしいが、レノアから役人が来るらしいぜ。実質的支配ってやつだな」

「恐ろしいねえ。レノアって国はいつからそんな風になっちまったんだ。王様は確かグリッド様だろ? 温情深い賢王って評判だったじゃねえか」

「いや、俺の聞いた話じゃ、最近代わったらしいぜ」

剣士らしい大柄な男が言うと、男たちは一様に驚きの表情を見せた。どういうことだと急かされ、剣士は続ける。

「ほら、レノアは首都が封鎖になってたろ? あれ、疫病が流行ってたんだってよ。それが広まっちゃいけねえってんで封鎖してたらしい。だが、どうやら王様も病で死んだんだと。次の王様はなんだか聞いたこともねえ人がなったって話よ」

「じゃあその新しい王様が急になんかやりだしたんか」

「おりゃあ知らねえけど、そうなんじゃねえか? レノアは王様次第だからなあ」

――ああ、私の生きていた時代もそうだった。今も血統主義が変わっていないと見える。

エイルは深く嘆息した。

――父王や兄上であれば善政を行って下さったろう。だが……。私はどうだろうか。いや、今の私には何の力もない。

怒りは悔しさに、そして哀しみに変わっていく。エイルは己の身の上を嘆いた。

過去に戻り、そこから三百年の時が流れたら、レノアは、大陸はどうなっていくのだろう。自分が何をどうしても、歴史は繰り返し、同じ事が起こるのだろうか。それとも、過去へ戻った自分が為す事で、その後の歴史を変える事も出来るのか。エイルは単調な仕事を続けながら、深い想いに沈んでいった。

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