Legend of The Last Dragon −第四章(4)−

酒場の夜は長い。もう真夜中だと言うのに、人々の熱気は静まる事がないようだった。それどころか、あちこちで議論に火がつきはじめている。クリフは真剣に彼らの話に聞きいっていた。アゼも、自分の知っている話や最近聞いた噂話を交えて周りの男たちやクリフと熱い議論を繰り広げている。所詮彼らの話は推測の域を出ないのだが、それでも色々な情報を得ることが出来た。「酒場は情報交換の場でもあるわけよ。全部信じるわけにはいかないけど、利用しなきゃ損だから」とアゼがめくばせする。クリフもそれにめくばせを返す。自分も大人の仲間入りをしたような気がして、クリフは嬉しかった。

少し離れた場所で怒号が響いた。どうやら酔っ払いが喧嘩を始めたようだ。酒場の喧嘩はしょっちゅうの事、周囲の奴らは面白がって見物している。しかし酒場の従業員にとっては大問題である。酒を運んでいた男が、物が壊れてはと間に割って入ったが、もののはずみで弾き飛ばされた。その身体が大柄な男の背に当たって、男は頭から酒を浴びた。ゆらりと立ちあがる男。その顔が赤いのは酒のせいと怒りのせい、両方だ。そこでも掴み合いの喧嘩が始まる。たちまち騒ぎは店全体に広がり、クリフがそれに気づいた時にはあちこちで喧嘩が始まっていた。クリフのすぐ近くで、背が高くて細い男と商人風の太った男が喧々囂々(けんけんごうごう)とまくし立てている。

「てめぇ、俺の酒をどうしてくれんだ!」

「何言ってやがんでぇ! そんなとこで飲んでんのがいけねーんだ、このでくの坊っ!」

「何だと、このデブ!」

「き、き、貴様、言っちゃなんねぇことを言ったな!」

そこへ店の主人が飛び込んで叫ぶ。

「止めてくれって言ってんだよ、店が壊れるじゃねえか!」

「こんなちんけな店一つでぐだぐだ言うな!」

「この野郎、俺の店をなんだと思ってんだ!」

ついに店の主人までが殴り合いを始めてしまった。こうなるともうどうしようもない。しまいには剣を抜く者まで現れて、店中が混乱を極めた。クリフはアゼを見失って、喧嘩の嵐をかいくぐっていた。後ろから、誰が投げたのか小さな短剣が飛んでくる。あたりは耳を押さえても聞こえるほどの騒ぎで、クリフは気づくはずもない。あわや、というところでアゼが椅子を振り上げた。短剣はその椅子の足に当たって床に落ちる。

「こんなとこにいられないよ、さっさと出なきゃ駄目!」

椅子をその場に投げ捨てながらアゼが叫ぶ。叫びでもしないと、隣にいてもよく聞き取れないからだ。クリフは焦って頷き、二人は店の出口に向かって突進した。出口まではかなり遠い。扉に辿り着くまで、大勢の人間に絡まれ、騒ぎに巻き込まれた。クリフは必死で応戦しようとしたが、とても敵いそうにない男たちばかりがかかってくるように思える。その度にアゼが大声で啖呵(たんか)を切ってクリフをかばう。

「女子供に向かって剣振りかざすなんて、男の風上にも置けないよ! そこをどきなよ! ええい、どきなったら!」

ついにアゼは目の前の男の腹に肘を叩きこみ、鼻面を蹴り上げた。倒れた大柄な男をひょいと飛び越え、クリフに向かって親指を立てて見せる。

――俺、アゼに守ってもらってるんだ……くそっ、ソルよ、どうか俺にも力を与えてください。

戦いの神は聞き届けるべき祈りが多すぎたのだろう、クリフの願いを叶えている暇はないようだった。ようやく二人が店を抜け出した時には、クリフはそこかしこに傷やあざを作り、アゼとともに息を切らしていた。

「あーあ、こりゃひどいわ。血が出てるじゃない。大丈夫?」

腕の傷が痛くてたまらなかったが、クリフは平気な顔で笑ってみせた。

「もちろんさ。平気だよ。アゼこそ、怪我はないの?」

「あたしは武闘家だもん。こんな事くらいじゃ何ともないよ」

彼女はそう言って笑う。アゼとクリフは服をはたいて、埃を落とした。店の中からはまだ大声が響いてきている。

「さてと。そろそろ帰った方がいいんじゃない? 思ったより遅くなっちゃったね。みんな心配してるかも」

「分かってる、もう帰るよ。……アゼ?」

「ん?」

「まだこの街にいるの?」

「それは、また会いたいって意味かな」

アゼは、意地悪そうに笑ってクリフの顔を覗き込んだ。短い髪が顔にかかるくらいまで、彼女の顔が近づく。さっきまで埃っぽい店の中で暴れていたというのに、その髪はとても良い匂いがした。クリフは自分の顔が赤くなるのが分かった。

「残念だけど、明日あたりここを立つんだ。あたしもやる事があるし」

「どこへ行くの?」

「バシェスの、旦那のとこに帰るんだよ。彼は傭兵でさ、遠い国へ戦いに出てたんだけど、やっと帰ってくるんだ。あたしもバシェスに帰らなくちゃ」

「そ、そっか」

「クリフ、こうやって人と人は出会い、そして別れていくんだね。あたし、あんたに会えて楽しかったよ。またどこかで会えるかもしれないけど……」

「その時にはきっと認定書を見せるよ。俺、弓が得意なんだ」

「ん、楽しみにしてる。……じゃね」

軽く手を振ると、アゼはクリフに背を向けた。そして彼女らしく早足で、姿勢良く歩いていく。角を曲がって行ってしまうまで、彼女が振り返る事はなかった。クリフはその後姿から目をそらさずに立ち尽くしていた。ふいに目頭が熱くなる。身を翻して走り出す。痛い腕の傷など、思い出しもしなかった。クリフはそのまま宿まで、一度も立ち止まらずに走って帰った。

まだ朝もやが残る頃、シキはそっと布団を抜け出した。エイルが起きぬよう、音を立てずに支度をすると階下へ降りる。老夫婦は既に起きていて、朝食を作ってくれた。彼らにことづけを頼み、軽い木の扉を押して通りへ出ていく。

――いくら俺でも、鎧を終始着たままでは肩が凝るというものだ。

シキは腕を伸ばして、大きく伸びをした。いつもは旅行用の軽装鎧を身に着けているが、これからしばらくラマカサにいるとなれば必要はない。宿に荷物を置いて出たので、非常に身軽だった。防寒用の外套を着て、腰には常に身に着けている長剣を差しているといった程度である。深呼吸をすると朝の冷たい空気が肺に満たされ、気持ちが良い。今日も晴れそうだ。空を見上げたが、ハーディスはまだ顔を見せていなかった。

――こんなに朝早くから出かけるのか。

夜が明けるかどうかというところなのに、交易商人たちの荷馬車が通りを行き交っている。大きな荷台に野菜かごを山と積んで、それを懸命に引いている男とすれ違った。

「おはようさん。早いねえ」

「ああ、そっちも早くから精の出ることだな」

深いあごひげをたくわえ、骨ばった手の男は台車を重そうに引いていった。

シキは町を把握するために朝早くから出歩いているわけだが、通常であればこの時間、人通りは少ないのが道理だろう。シキはそう思ったが、何故か次々と人にすれ違う。

次に大通りを歩いてきたのは、長い外套に身を包んだ数人の旅人だった。彼らは一様に楽器と思われる箱や入れ物を抱えている。先を急いでいるのか早足で歩いてくる男たち。すれ違う時に挨拶すると、数人が帽子を少し持ち上げて挨拶を返してきた。

「良い旅を」

「ありがとう、そちらも良い旅をね」

軽く笑うと箱を持ち直して去っていく。彼の持っているのは大きさとその装飾からして横笛と思われた。吟遊詩人たちの集まりだったのだろう。彼らは次の町へ、人々を楽しませに行くのだろうか。

そう思いながら南へ向かって歩き出したところへ、大勢の足音が近づいてきた。すぐに、朝もやの向こうから旅人の一団が姿を現す。商人や護衛の傭兵たちの他に、紺のローブを身に着けた者が数人混ざっている。アステミカの神官たちである。

ミュルク地方のアステミカという町には、質素な造りの神殿がある。それなりに大きな神殿だが、ここに常駐する信者は少なかった。アステミカの神官は旅行の神アステを信仰し、大陸中を旅して回っているという女神アステへ祈りを捧げるために、彼ら自身も放浪の旅に身を投じているのである。アステミカの神殿は各地にあり、信者はそこへ辿り着くと最低一ヶ月間の無料奉仕をする。そして再び旅立ち、他の神殿を目指すのである。大陸中を旅して回るのは容易な事ではない。しかし、各地の神殿をどれだけ回ったか、というのがアステへの信仰の深さを示すので、信者たちは懸命に旅を続けるのだった。

神殿はそれぞれの地で、有力者の寄付によって建てられ、また運営されている。寄付する事が彼らの名声を上げるので、金持ちはこぞって神殿に寄付をするのだ。神殿では教育や医療などが無料で受けられるため、誰もが自分の町に神殿を建てたがる。こうしてアステミカの神殿はその数を増やし、信者たちが行くべき場所も徐々に増え続けているのであった。

もちろん、ラマカサのような大きな街には必ずと言っていいほどアステミカ神殿がある。彼らも、その服装から分かるようにアステミカの修行僧だったが、恐らくラマカサの神殿で働いていたのだろう。そしてその進む方角からして、先程の吟遊詩人らと同じように、また別の町へと旅立っていくようだった。彼らはみな紺色の大きなローブに身を包み、特有の図案を象ったしるしを胸に飾っていた。

「おはよう。あなた方もこんな朝早くから旅立つのか。女神アステは余程早起きなのだな」

シキが話しかけると、ローブの信者たちは愛想よく足を止めた。

「ここラマカサでは、南へ行く旅人はみな朝早く旅立ちます。訳があるんですよ」

「というと」

「南へ行くにはシンジゴ山脈を越えなければなりません。けれどこの先は馬車などが使えないんです。となれば歩いていくしかないわけですが、次の町デュレーまではゆうに十五ロッカはあるんですよ。早朝に出ても、着くのは日が暮れてからですね。ここらは治安も悪いそうですから……」

「そういうことか。道理で先程から、すれ違う人がみな急いでいると思った」

「旅慣れている者であれば夜明け前に出発するでしょう。我々は遅い方です。それではこれで。あなたにアステ神のご加護を」

彼はそう言うと、右手を軽く揺らした。彼らアステミカの信者たちは、出会った人々に必ず、旅行の神アステの加護を祈る。シキは微笑んで頷いた。

「良い旅を。ハーディスの光があなた方を照らしますよう」

南の空にはメルィーズがかすかにその姿を写し、町にはハーディスの眩しい光が差し込んできている。家々の煙突からは煙が立ち昇り始め、大通りを歩く人々もさらに増えてきた。いつの間にか、そこらの店もいくつか開いている。朝もやも、最早すっかり晴れている。活気のある朝の雰囲気が溢れ出していた。

「さて……そろそろ闘技場も開いた頃か」

少し癖のある黒髪を手で軽くかきあげ、シキは再び歩き出した。

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