Legend of The Last Dragon −第四章(7)−

目を覚ました時、クレオは何かが始まろうとしているような、そんな予感がした。飛び起きるようにして、勢いよく窓を開ける。途端に、ひんやりした空気が部屋に流れ込んできた。小さな窓からは、ラマカサの町が見渡せる。ちょうど、時計塔から澄んだ朝の鐘が聞こえてきたところだ。青く広がる空に白い雲が浮かび、肌が引き締まるような朝の空気が心地いい。

「ほら、起きなさいよクリフ! 今日もこんなにいいお天気だよ」

「うーん、寒いってばクレオ……窓、閉めてよ……」

「何言ってんの、もう朝だもの、起きなくちゃ」

そう言いながら振り返ると、薄暗い部屋の奥で毛布のかたまりがもぞもぞと動いているのが目に入る。クレオは両手を腰に当てると、鼻を鳴らした。つかつかと歩み寄り、勢いよく布団を取り上げる。

「おっはよ!」

「むー……」

ようやく起き上がったクリフはぼさぼさ頭のまま、寝ぼけ眼をこすっている。クレオはさっさと服を着替え、髪に櫛を通し始めた。いつも通りの朝の光景である。ラマカサに着いてからというもの、クリフは訓練に余念がなかった。夜遅くまで起きているので、朝はなかなか起きられない。肩をすくめるクレオを横目に、クリフは両腕を伸ばして大きな欠伸をしている。

「あーお腹空いた」

「もう、昨夜あんなに食べたくせに。最近クリフってばちょっと食べすぎじゃない?」

「なんだかさ、食べても食べても腹が減るんだよ」

「育ちざかりって奴?」

「うん、シキが言ってたよ。体が急に大きくなってるんだってさ。……あ、今日ってもしかして十四日だっけ?」

「そうよ、何で?」

「うわ、どうしよう! 試験始まっちゃうよ!」

クリフは突然慌てだし、身体に絡まった布団から抜け出そうともがいている。

「どうしたの? 試験って何?」

「闘技場で認定試験があるんだ。弓使いの試験を受けるって言ったろ? 受付は朝の内だけだから、早く行かないと……あっ」

ズボンに片足を突っ込んだところで、クリフは勢いよく寝台から転げ落ちた。布団とズボンとに絡まれながらもがくクリフを見て、クレオは呆れ顔である。

「そんなんで大丈夫なの? クリフったら……」

何とか着替えを済ませたクリフだったが、ボタンを掛け違えたまま、今度は靴が片方見つからないと大騒ぎをしている。クレオと一緒になって探した靴は、布団のかたまりの中からようやく発見された。クリフは急いで足を突っ込む。クレオが肩をすくめていると、シキとエイルが部屋の入り口に顔を出した。

「おはよう」

「あ、おはよう!」

「おはよう。クリフが闘技場で試験受けに行くって言ってるの。エイルやシキも、応援に行く?」

「弓の認定試験か。そうだな、応援に行こう。エイル様……いや、エイルも行くか?」

「うむ。私の応援があればこそ、試験にも受かるというものだろう」

「何それ」

「あはは、そうだね、エイルの応援があればきっと受かるよね」

呆れたような顔のクレオに対して、笑顔のクリフである。その様子を見て、シキは優しく微笑んだ。

「あまり緊張はしていないようだな。その調子で、力を抜いてやるといい」

「う、うん。頑張る」

シキの助言を聞き、緊張した面持ちで頷く。クリフは目を閉じて深呼吸をすると、真剣な表情でもう一度、力強く頷いた。

「じゃ、行って来るよ!」

ハーディスの光が、宿から走り出したクリフを眩しく照らす。清々しい朝の空気と、活気に溢れたラマカサの町の匂いがクリフを包む。体のどこか奥の方から、ぞくぞくするような何かが湧き上がってきて、クリフは震えた。

――これは武者震いって奴だ。

すらりと伸びた両足が力強く石畳を蹴る。旅立った頃には肩までの長さだったはしばみ色の髪は、今はもう風になびく程になっている。背中に背負った矢筒が小さく鳴る音を聞きながら、クリフは弓を握る手に力を込めた。

この地に住む全ての人々を守り、慈しむハーディスが頭上高くに輝いている。冬の風が吹きつけ、冷たさを感じはするが、ハーディスのおかげで心地が良い。ぽかぽかとした陽気の中、クレオとシキ、それにエイルは連れ立って闘技場へとやって来た。

「まだエイルには話してないの?」

クレオがシキにそっと耳打ちする。

「闘技場で稼いでいる事か? まだだ。まあ、明日が大会だからな。そうなれば分かってしまうさ」

「……勝てそう?」

「ん? まあ、やってみないと分からないけどな」

「怪我に気をつけて……ああ、私も痛み止めの魔法くらい使えるようになりたいな」

それを聞きつけたエイルが口を挟む。

「なんだ、魔法の一つも使えないのか?」

「そんな簡単に言わないでよ、じゃああんたは使えるって言うの?」

「馬鹿にするなよ。私ほどになるとな、火の魔法だろうが水の魔法だろうがお手の物だ」

「ふーん、すごいんだ。じゃ、やってみてよ」

「これだから本も読めない庶民は困る。お前たちが考えるほどお手軽じゃないのだぞ、魔法というものは。集中力が要るし、簡単な魔法と言えど、何も準備なしに出来るほど甘くはないんだ」

「なーんだ、出来ないんだ」

「違う! 出来ないんじゃない、やらないだけだ! やろうと思えば火をつけるくらい、この場でだって出来る。私にはたいした手間ではない。だがな、なんで私がお前に見せなきゃいけない?」

「何よ、偉そうに。結局エイルはさ……」

「そんな事より、どこの席に座るんだ? よく見える席がいいぞ、私は。シキ、有料席とやらがあるようではないか、切符を手に入れよう」

「もう……」

快晴の空の下、技術認定試験は淡々と進められていく。競技ごとに、毎回二、三十人の挑戦者が出てきては、いくつかの決められた課題をこなしていった。

闘技場で行われるのは、戦闘系の技術認定ばかりである。体力的にも充実した二十代半ばの若者が多く、そのほとんどが鍛えた身体を持っている者たちだった。彼らは何度も挑戦しては、また自らを鍛え直す事を余儀なくされる。毎回の認定試験に合格するのがほんの数人に過ぎないからである。

まだ十六歳に過ぎないクリフは、他の挑戦者たちに比べて体が大きいとも思われない。しかし彼はもうそんなことを気にしてはいなかった。その全身にやる気を漲(みなぎ)らせ、今、クリフは的当ての指定位置に立ったところである。的は遠く、二アルカッソ以上向こうにあった。体の幅ほどしかない的に、十本中何本の矢が当てられるかという競技である。隣の男はクリフより一回り分厚い胸板と、鍛えた筋肉の持ち主だった。が、緊張して唾を飲んでいる。彼はもう三度目の認定試験なのだった。しかしいまだ、この的当てが苦手種目である。ええいままよ、とばかりに矢を放つが、それはあえなく的の手前の地面に落ちた。

――目を離しちゃ駄目なんだけどな。

見ていたクリフはそう思いながら、自分も弓を構えた。

競技場であろうが、サナミィの森であろうが、彼にとっては同じ事だ。弓を構え、狙いをつけると周りの音がすうっと小さくなる。意識の範疇(はんちゅう)にはあるし、よく聞こえるが、気にならなくなるのだ。クリフは幼い頃から狩りをしていた。子供とはいえ、弓を放つのは、いつだって真剣勝負だったのである。隣の男が「あ、まずい!」と言ったのも、更にその向こうの男が矢を放ったのも、クリフの動作を止める要素にはなり得なかった。凛とした仕草で、彼は矢を放つ。空気を切る矢音が鳴り、小さな競技用の矢は彼が思った以上の威力を持って、二アルカッソ先の的に突き刺さった。観客席から賞賛の拍手が聞こえ、クリフは初めてその顔に笑顔を浮かべた。

クリフは次々と矢を番(つが)え、同じように放った。その内の二本は外したが、結局クリフは八本の矢を的に当てる事に成功したのである。観客からは惜しみない拍手が与えられた。これは、十六歳の少年にしては快挙だったのである。一番驚いているのは、クリフ自身だったかも知れない。自分が思っていた以上に、体は鍛えられていたようだ。弓を支える力も、矢を引く力も、サナミィの森で狩りをしていた頃に比べてずっと強くなっていた。

クレオは、他の挑戦者に紛れることなくクリフを見つけられた。石舞台のどこにいても、クレオにはクリフの姿がすぐに目に止まるのである。しかしエイルは一つの種目が終わってクリフが移動する度に、その姿を見失うようだった。クレオはどこだどこだと探しているエイルに、指で示して教えてやる。

「あそこよ、ほら走ってる。弓の競技なのに走るんだね」

「あ、あっちに張り紙があるぞ、種目が書いてある。ほほぅ、色々やるのだな」

「ちょっと、読んでくれない?」

「何故私が……ああそうか、お前は字が読めないんだっけ。えーと、鋼の弓を引けたら四十点、砂時計の砂が落ちるまでに闘技場を一周出来たら五十点、二アルカッソ先の的に十本中一本当てれば二十点、二本なら三十点……ええいもう面倒くさいな」

「最後まで読んでよ、エイルってば」

二人がそんなやり取りをしている間にも、競技は進む。認定試験は、簡単なものではなかった。どの競技も、挑戦者に要求される事は多い。弓の場合、それは基礎的な体力、力強さ、精確さ、素早さなどだった。クリフは腕力の試験では周りの青年たちに一段劣るものの、足の速さでは誰にも負けなかった。それに矢を射る速さと精確さでも、群を抜いた技術を見せた。出場選手の中でも比較的若い方に類されるクリフだったが、好成績を収めているようである。

クレオにとって、こんなに誇らしいことはなかった。サナミィの田舎から出てきた、世の中の事など何も知らない自分の半身が、観客の声援を受けている。いくら足が速くても、弓を射るのが上手くても、あんな田舎では程度が知れている、とクリフはよく言っていた。世の中には自分より上手い者がいくらでもいる、と。それは嘘ではないだろうが、それでもクリフは今、ここにいる大勢の人々に認められ、誉められるだけの技術を持っている。クレオにはそれが嬉しかった。と同時に、「自分はどうだろう」と思う。体力もなく、字も読めず……。旅をするのに女の身では何かと不都合なんじゃないだろうか。シキは気にするなと言ってくれるが、実は面倒だと思われているのかも知れない。急に息苦しくなった気がして、クレオは胸を押さえた。

全ての競技が終わると、闘技場の片づけが済むまで選手たちは一時休憩となる。観客席のクレオを見つけて戻ってきたクリフを、クレオは精一杯の明るい笑顔で出迎えた。

「すごかったじゃない、クリフ! 私も鼻高々だよ!」

「なかなか見事だったぞ。誉めてやる」

「疲れただろう、よく頑張ったな。発表が終わったら豪勢な夕飯といこう」

エイルとシキも口々にねぎらう言葉をかける。

「あんまり緊張しなかったんだ。他の人が緊張してるの見たら、なんかおかしくてさ」

「そっか、良かったね」

「応援してくれてありがと、クレオ」

「ううんそんな。お兄ちゃんを応援するの、当たり前じゃない」

「クレオの声聞こえたから、嬉しかった。やっぱりクレオがいて良かったなーって」

「そ、そう?」

「それでは、私は必要ないとでも言うつもりか?」

「え、いやそうじゃないよ、エイルの応援も嬉しかったってば」

憤慨するエイルに、焦って言い訳するクリフを見ながら、クレオは思わず笑っていた。応援して良かった、と思う。何もかも同じだったはずの双子の兄が、一人で先へ行ってしまったとしても、自分も一生懸命追いつけばいい。ただそれだけのことだ。立ち止まっていてはどんどん差がついてしまうけれど、自分も歩いていけばいい。必要なら走ればいいんだ。

「弓使いの証、もらえるといいね! クリフならきっと大丈夫だよ!」

クレオは勢いよくクリフの背を叩いた。

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