Legend of The Last Dragon −第四章(8)−

闘技場の片づけも終わり、技術認定試験の出場者たちは、石舞台の上で整然と列を成している。その前には領事であるフォマーが台の上でふんぞり返っていた。禿げ上がった頭にハーディスの光が当たって眩しい。フォマーはいかにも偉そうに聞こえる声で次々と名前を読み上げていった。小男がひげを捻りながら眉をぴくぴくとさせている様子を見ると、クリフは吹き出しそうになった。厳粛な様子を装ってうつむき、笑いを堪えていると、周囲の男たちも多かれ少なかれ同じことを考えているようだ。目を合わせては苦笑する。

「……ザーランド、レノア国メンフォン地方ラマカサ出身、二十三歳。クリフ=カース、レノア国マグレア地方サナミィ出身、十六歳。以上の者五人に弓使いの証を与える。えー次……」

フォマーの、妙に甲高い声が言っているのを、クリフはまるで他人事のように聞いていた。しばらくしてようやく顔が上がる。唇を薄く開けたまま、クリフは数回瞬きした。それから顔が緩み、安堵の溜息が漏れる。突然、あまりの嬉しさに飛び跳ねて大声を出したい衝動に駆られたが、発表はいまだ続いている。クリフは再びうつむき、ただ右手を強く握り締めた。

ラマカサの武闘大会は毎年十回ほど行われ、月光の月の大会は通常第九回目の大会という事になる。いつもの大会に比べ、今回は大盛況だった。何しろ、客の入り方からして段違いである。クリフたちは有料席を確保したから良かったものの、無料席はとても座れそうにない状況だった。詰め掛けた客は何とか席を手に入れようとしたが、有料席でさえも最早空いてはいないといった状況である。

シキという、今まで全く無名であった剣士の出現は、ラマカサの人々の興味をそそっていた。ここのところ、大会の優勝者はフォマーの息がかかった者たちに偏りがちで、興醒めといった雰囲気が否めなかったのである。そこへ来て、このシキという選手が今まで誰一人としてなし得なかった、十連勝という偉業を達成した。今度の大会はシキで決まりだという者と、いや強い者は他にもいると主張する者とが表れ、闘技場の賭け金は一挙に跳ね上がっていた。しかしもう一つ、人々を熱狂させる原因があった。ヴァシーリーである。

ヴァシーリーは身の丈が十サッソ近くもあるという巨人で、領事フォマーの大のお気に入りだった。外の大陸出身であり、元は千死将軍と異名をとるほどの軍人であったと言う。この異名は、彼が仕えていた国で戦乱があった時、僅か数十人の部隊を率いて千人以上の敵を全滅させたところからついたという説である。それが真実かどうかは分からねど、ヴァシーリーが恐ろしい、情け容赦もない剣士である事は確実だった。彼はこのラマカサの闘技場で戦うようになってから、既に四人を殺しているのである。闘技場での殺生は禁止されていたが、戦闘中の彼を止められる者はいなかった。不幸な対戦者たちは決勝戦で彼に挑んでは、儚くその命を散らしていったのだった。領事フォマーはヴァシーリーのやり方に眉をひそめはしたものの、その凄まじいまでの腕力と戦闘力に魅せられ、彼に広い豪邸を与えたのである。

武闘大会に出れば優勝するのは決まりきっているので、賭けが成立しない。いくらヴァシーリーがお気に入りとはいえ、フォマーにとって毎回それでは困るといったところなのだろう。強き者にしか興味がないというヴァシーリーは、近頃では己の肉体を鍛える事にのみ時間を費やしているという。

――ヴァシーリーが出場するという事になれば、シキだって勝てはすまい。

――さあそれは分からない、シキほどの強者は見た事がないぞ。ヴァシーリーと言えど、あの鋭き剣先を避けきれるものか。

――いやもしかすると他の者が抜けてくるかも知れん。シキとヴァシーリーとが潰し合いをすれば、分からんぞ。

――だが、ヴァシーリーの今までの戦績を考えてみろ。何しろ千死将軍だ、負けるはずがあるまい。

今回の出場者は十六人と少ない。円形闘技場の石舞台を四つに分け、同時に四試合を行う方式だった。一回戦、二回戦は午前中いっぱいかけてやり、三回戦目となる準決勝戦は午後に行われる。シキが勝ち進んでいく間、まさかこんな事になっていると露ほどにも知らなかったエイルは、ただ唖然と口を開けたままで座っていた。エイルは、シキが闘技場などで金を稼いでいるとは、夢にも思わなかったのである。

――やっぱり、事前に言っておいた方がよかったんじゃない? 

――シキは黙ってて良いって言ってたけど……。

両脇に座ったクリフとクレオは気まずそうに目配せしている。シキに黙っていろと言われたものの、試合が終わった後でエイルが何と言うかと思うと、双子は少々憂鬱になるのだった。

決勝戦は夕方になってから行われることになっていた。領事フォマーの思惑通り、シキ対ヴァシーリーである。人々は石造りの席に詰めあって座り、試合の開始を今か今かと心待ちにしている。その誰もが、どちらが勝つかと興味津々だ。大きな銅鑼(どら)が鳴らされ、観客席から大きな歓声が上がった。石舞台の上には司会の男と二人の選手が上っていたが、身長九サッソのシキと十サッソ近いヴァシーリーに挟まれた司会は、まるで子供のように小さく見える。

「それではこれより、第九回武闘大会決勝戦を始めます。まずは選手紹介を……。こちらがシキ=ヴェルドーレ選手、何と初出場で十連勝を飾った勇者です! ここまでで彼が獲得した報奨金は金貨にして百枚以上。この決勝戦でも勝てば、与えられる金額は計り知れません」

観客席からはシキに対する声援や女性客の黄色い声が上がる。シキの勝利に賭けている男たちは、何が何でもヴァシーリーを破って欲しいと叫び、その精悍な面立ちに魅せられた女たちは賭けなど関係なく、シキの勝利を願って止まなかった。騒ぎが一旦収まるのを待ち、司会が再び口を開く。

「対するは、これまた無敗の男ヴァシーリー! この闘技場に現れてからというもの、千死将軍はまだ一度たりとも敗北を喫しておりません! それでは試合規則をご説明しましょう。えー試合に使われるのは剣一本、時間は無制限です。どちらかが舞台から下りるか、戦闘不能になるか、敗北を宣言したところで勝敗が決まります! さあ、準備はよろしいですか?」

司会がシキとヴァシーリーとに目をやる。シキは気迫のこもった表情で小さく頷き、ヴァシーリーはにやりと笑ってみせた。

「始めっ!」

ヴァシーリーは、対峙した瞬間にその強さが分かるほどの男である。戦闘経験も浅い未熟者ならまだしも、幾度となく強者と剣を交えた事のあるシキには、その強靭さが恐怖すら伴って伝わってくるのだった。そびえ立つような肉体や鋼のような筋肉だけではない。隙のない動きや眼光の鋭さが、獣にも似た野生の強さを感じさせていた。捕まってはならぬと、シキは間合いを取った。油断なく相手を見据え、じりじりと移動する。ヴァシーリーは不適な笑みを唇に浮かべたまま、構えた剣をゆらゆらと動かしている。緊張感が高まっていく。観客たちはみな息を呑んでその様子を見守っている。ただ、時間だけが刻々と過ぎていった。

動いたのはヴァシーリーとシキ、ほとんど同時だった。掛け声と互いの剣がかち合う音が響き渡り、数瞬の内に観客たちが目で追えない程の動きが繰り広げられる。位置を変え、再び剣を構えたままで二人の男は睨み合った。

「こりゃぁ倒し甲斐があるぜぇ……」

灰色の目に嬉しそうな光を揺らして、ヴァシーリーが呟く。シキは視線を動かす事なく、喉を鳴らした。その次の瞬間、ヴァシーリーが一気に動き、獲物を捕らえようと突っ込んできたのである。シキはそれを紙一重で避け、脇腹に剣の柄をめりこませる。そんな攻撃は利かないとばかりに再び剣を振り上げるヴァシーリーと、それをかわすシキ。それからしばらくの間、そんなやり取りが続けられた。観客の間から、興奮した声が幾つも上がる。

「なんだなんだ、逃げるなよ!」

「ほらそこだ! 刺しちまえ!」

「逃げてばっかじゃ勝てねぇぞ!」

――好き勝手な事を言ってくれる。

巨人の太い腕から繰り出される剣戟(けんげき)を必死でかわしながら、シキは舞台上を舞うように動き回る。ヴァシーリーは真正面から突っ込んでくるだけの男ではなかった。力もさる事ながら頭も切れるようである。ついにシキは舞台の端に追い詰められてしまった。かみ合わせた剣と剣がぎりぎりと音を立てて震えている。

――このまま力比べをしていては、立ち位置からして俺の方が不利か。

シキは額に汗を浮かせながら、状況を冷静に判断した。腹に力を込め、より一層の力を持ってヴァシーリーの剣を押し返そうと試みる。ごく間近まで迫ったヴァシーリーの顔を、シキはきつく睨み返した。

このまま押せば勝てる、殺せないまでも舞台から突き落とせば俺の勝ちだ。そう判断したヴァシーリーの目が光る。シキはその瞬間、一気に力を抜いた。勢い余って倒れ掛かるヴァシーリーの大きな身体を素早く避けて回り込むと、ヴァシーリーの方が逆に舞台を背にして落ちそうな形になった。が、ヴァシーリーはこれを踏ん張って耐え、怒りの形相をあらわにして再び剣を振り上げた。

この時、既に形成は逆転していたのである。シキの迅速な動きが、怒って己を忘れたヴァシーリーに勝利したとも言えるだろう。これまで敗北した事のなかった男は、剣の柄で突き落とされて、舞台から足を踏み外したのだった。観客席からひときわ大きな歓声が上がる。人々は興奮の渦に巻き込まれていった。

しかし、ヴァシーリーの最後の足掻きがシキを強襲した。舞台から落ちる瞬間に、彼は手にしていた剣を、渾身の力を込めてシキの足に投げつけたのである。クリフが身を乗り出し、クレオが顔をふさいだと同時に、観客席の女たちが悲鳴を上げた。司会がシキに駆け寄る。司会の男はその足を確認し、大きく頷いた。

「勝者、シキ!」

ヴァシーリーの剣はシキの膝をかすったに過ぎなかった。滲む血を押さえていたシキはすっくと立ち上がり、司会の声に応えるかのように高々と剣を上げる。ハーディスの光が剣にきらめき、また勇者の姿をくっきりと浮かび上がらせている。観客は口々にシキを褒め称え、幾度も歓声を上げた。

ラマカサは、翌日も晴天だった。白い雲が広い空にのんびりと浮かび、暖かな陽射しが降り注いでいる。広場では鳥たちが羽を休め、子供たちが遊びまわっていた。人々は仕事に精を出し、平和な日常の生活を営んでいる。その広場を抜け、整備された町並みをエイルは珍しくも一人で歩いていた。シキは領事の館に報奨金を受け取りに行っているのである。月光の月にしては暖かく、のどかな一日だが、エイルにとってはそれどころではなかった。

「何たる事だ、何たる! 許しがたい!」

などと文句を言いながら、エイルはつかつかと歩いていた。シキが闘技場で金を稼いでいた事を知って怒っているのである。

「貴族ともあろう者が、闘技場であのような者どもにまみれて戦うなどと! 信じられない! しかも、しかもこの私に内緒で、だとっ! クリフやクレオが知っていて、どうして私には言わないのだ!」

どうやら自分だけ知らされなかったことの方が、エイルにとっては重大なようだ。闘技場で試合を見ている間は口をぽかんと開けていただけだったが、試合後、四人で宿に帰るや否や、彼は怒涛のように文句を言いたてた。そうして、今朝も怒りに任せて宿を飛び出し、ラマカサの街をさまよっているのである。どこへ行くという当てもなしに早足で歩いていたが、気づくと街外れまで来ていた。エイルは小さく溜息を吐くと、なだらかな丘に腰を下ろす。膝を抱え、もう一度、今度は大きく息を吐いた。

――何故黙っていたのだ。やはり私は……。

ここまでの旅行の中で、エイルは自分が世間知らずであると、身に染みて分かっていた。彼がレノア城の中で想像していたものと、実際に目にした世界とは大きな隔たりがある。人々の暮らしは、王宮でのそれとあまりにも違ったのだ。少しは慣れてきたものの、服や食事、考え方、価値観、何から何までエイルにとっては信じられない事ばかりだった。その違いは肌で感じても、エイルは慣れた感覚を忘れることが出来なかった。

エイルには誇りがある。それは、王族としての尊厳だった。庶民とは慣れ親しむな、人を使うことを覚えろ。王族として、恥ずかしくないように振る舞え。彼はそう言われて育ってきたのである。親兄弟を失い、城を失い、国を失った今でも、エイルは王族である誇りを忘れるわけにはいかないと自分に言い聞かせていた。

この旅を通して、自分が役に立たないことが痛いほど分かった。しかしそれに屈してはいけない。自分は間違っていない。決して間違ってはいない……はずなのだったが。

「はぁ……」

溜息を吐いて、空を見上げる。と、その透き通った青い目に、何か影のようなものが映った。

「何だあれは? 何かが飛んでいる」

エイルは立ち上がると、黒い影の方へ走り出した。鳥ではない。それよりずっと大きな、禍々(まがまが)しい黒いものが北へ向かって飛んでいく。慌ててあたりを見渡したが、誰もいない。エイルは再び空に目をやると、じっと目を凝らした。物凄い速さで遠ざかっていくそれの姿形を確認した時、エイルは戦慄が走るのを感じた。ほんのしばらくの間、おろおろとしていたが、決心したように身を翻す。街中へ駆け戻ったエイルは、彼にとって最高の速さで領事の館を目指した。

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