Legend of The Last Dragon −第四章(5)−

円形のすり鉢状になっている闘技場は、その中央に大きな石舞台が設置されており、それは四箇所に分けられていた。各競技が舞台のそれぞれの場所で行われるのだ。闘技場に入るには表と裏、二つの入り口がある。表の一つは見物のための一般入り口、裏の一つは出場者のための入り口になっていた。

中央通りの突き当たりにあるその巨大建築物を見上げ、クリフは眩暈(めまい)がするようだった。今までに見た事のあるどんな建物よりも大きい闘技場は、十六歳の少年を威圧するに足る大きさである。つたの絡まる石塀が彼の目の前に立ちはだかっていた。

――認定試験をやってるってアゼが言ってたの、ここだよなぁ……。

クリフは自分がいかに弱く、卑小な存在であるかを思い知らされたような気がして、足がすくんだ。屈強な体つきの戦士が自分を追い越していく。その体格は、とても比べ物にならない。彼らの太い首や腕、足。いくら成長期とは言え、まだまだ小さく細いクリフは怖気づいた。

――で、でも、このままってわけにいかないんだ。

自分にそう言い聞かせる。勇気を振り絞り、クリフは闘技場の中に足を踏み入れた。入り口の立て札に「出場受付。今月の認定試験は十四日、武闘大会は十五日」と書いてある。しかしクリフには読めない。立て札の前で立ち止まりはしたものの、読めないものはどうしようもなかった。

――考えててもしょうがないよな。

立て札を通り過ぎ、闘技場の裏手へ回る。クリフが踏み込んだ出場者受付の部屋は薄暗く、男たちが集まっていた。広い部屋だが明かりは少なく、むしろ狭苦しい印象がある。剣や鎧がすれ違う音と低いざわめきが耳に飛び込んでくる。人の波を遮って部屋の奥へと向かうのは困難だったが、何とか奥の机に行き着く。何人かの戦士が並ぶ列の最後尾につくと、場違いだという気分が余計に高まってきた。

クリフの番になると、机の上に脚を上げている男がぶっきらぼうに尋ねた。

「おう、何の用だ」

クリフは深呼吸をしてから、大きな声を出す。

「あの! し、しゅ、出場したいんですけど!」

「あぁ?」

「え、いやあのぅ……」

左目に黒い眼帯をつけた男が飽きれた顔でクリフを見ている。クリフが大きな声を出したせいで、受付をしていた周りの男たちも振り返っている。クリフは、自分の顔に血が集まるのを感じて動転した。

「いや、その、あの、し、職業の、認定試験ってここでやってるって、その、聞いたんで……」

「確かにやってるけどな。今日は三日だろ? 認定試験は十四日だぜ」

「えっ」

男の呆れ果てたような顔が焦りをかきたてる。どこかで「世間知らずなガキだ」という笑い声がし、いたたまれなさでクリフの頬は紅潮した。

「あの、すみませんでした」

クリフはごくごく小さな声で、ようやっとそれだけを口にすると、まるで逃げ出すように駆け出した。一刻も早く闘技場から遠ざかりたい一心である。後ろから彼らの失笑が追いかけてくるような気がして、クリフは歯を食いしばった。

――ああ、俺の馬鹿! 

目をつぶって足に力を込めた時、突然目の前に影が現れた。避ける間もなく、クリフと影は正面から衝突し、まるで前を見ていなかったクリフは、あっと思う間もなく床の上に転がっていた。

「いって……」

腰をさすりながら見上げると、そこに立っていたのはシキだった。

「すまない、大丈夫か?」

「う、うん。ごめん」

「いや俺は何ともない。で、こんなところで何をしてるんだ?」

「な、何でも……。えっと、シキこそなんで闘技場に?」

「出場しようと思ってな」

「え! だって、シキはき……」

「しっ」

シキはいたずらっぽい目つきで、唇に軽く指を当ててみせた。クリフは口を手でふさぎ、素早く何度も頷く。

「エイル様……じゃなかった、エイルには内緒にしておいてくれ。俺が闘技場で戦うと知れたら、また怒られそうだからな」

そう言いながらも、シキは妙に楽しそうな笑顔を浮かべている。二人は改めて受付へ戻った。クリフは先程の醜態を思うとほんの少し気が引けたが、元来、物事を深く考える性格ではないので、シキについていった。幾人かの列に並んだ後、クリフの時と同じように、眼帯の男がシキに尋ねる。

「何の用だ」

「大会に出場したいんだが」

シキが短く告げると、受付に座っていた男はクリフの時とはまるで違う対応を見せた。まるでそれが当然とでも言うような態度で受付を始める。クリフはそれを見て、胃のあたりがむかむかするような気がしたが、何のせいなのかは考えないようにした。

「前に出場した事はあるかい」

「いや初めてだ」

「じゃあ教えてやるが、出場には銀貨一枚が必要なんだ。勝てば倍になって返ってくるぜ。連勝すれば更に倍だ。試合は一日に一回まで。一勝すると勝利の証、三勝で剣闘士の証、七勝すりゃ勇者の証が与えられる。次の大会は十五日だ。それまでに五勝すれば出られるぜ。分かったら名前と身長を言いな。今までの戦歴もあれば聞かせてもらうぜ」

「名前はシキ=ヴェルドーレ。身長は九サッソ。戦歴は……そうだな、特になしと書いておいてくれ」

「試合はいつでもいいかい?」

「ああ、今からでもいい」

「じゃあ次の試合に出てもらおう。中央通りに闘技場専門の武器屋があるから、剣を買ってくれ。準備が出来次第試合だ。相手はラズー、剣闘士の証を持ってるぜ。せいぜい死なない程度に頑張りなよ」

眼帯の男はそう言うと、口の端を歪めて笑った。欠けた歯がちらりと覗く。

ラマカサの闘技場は技術認定試験と武闘大会、両方の会場を兼ねているようだった。認定試験は生国や両親などが届出と一致している者だけが出場出来、武闘大会は前大会から今大会までに五勝した者だけが出場出来るという仕組みである。

「どうやら俺は、職業認定試験とやらを受けられんようだな」

武器屋で、闘技場専用の長剣を手に取りながらシキが言う。シキは――エイルももちろん――身分を証明することが出来ない。この時代でこそ、生まれた子供は全て届け出るよう義務付けられているが、シキの時代にはそんな制度すらなかったのである。エイルに父親の名を問えば、「エイクス=ヨハネ=シュレイス=レノア、第十三代レノア王」と言うだろうが、第三十七代レノア王が生きている今の時代に通用するわけもない。シキに至っては、その出生すら不明であった。彼は子供の頃、曲芸団に拾われ、その仲間に育てられたのである。

クリフはシキの言葉を聞き、やはり自分がやるしかないと決意を新たにした。

「俺が受けるよ。弓は得意だもん。試験は難しいって聞いたけど……でもきっと受かってみせる」

「クリフは急に大人になったみたいだな」

「そうかな」

「何かあったのか?」

「え、うーん……クレオには秘密にしておいてくれる?」

そう前置きして、クリフはアゼとの出会いと酒場での事を話した。アゼのことを一生懸命に話すクリフの頬が、かすかに染まっている。思わず笑いたくなるのをこらえながら、シキは最後までじっと聞いた。

「良い経験だったな」

「今度いつ会うか分からないけど、その時までに認定書を取っておきたいんだよ。だから俺、試験を受けたいんだ」

「そうか、頑張れよ。ただあまりクレオを放っておくと、淋しがるんじゃないかな」

「それはシキさ……シキだって同じでしょ」

「?」

「エイルさ。きっと今日も怒ってるよ」

「またクレオと言い合いでもしてるかもな」

二人はその様子を想像して笑い合った。

「毎度どうも! 試合、頑張って下さいよ!」

若い店員の元気な声に送られ、シキとクリフは武器屋を出た。闘技場までは歩いてすぐの距離である。二人は、小一時間ほど前に歩いた道を引き返していった。等間隔に植えられている街路樹は、その葉の多くが散りかかっている。色づいた葉が、二人の足元で風に踊っていた。立ち並ぶ家々の概観はみな様々だが、屋根は統一して煉瓦作りだ。落ち着いた茶褐色の屋根が、高くなり低くなりして連なっている。

ラマカサは東側が貴族の住居区、西側が平民地区という区分けになっている。その境がこの広い中央通りだった。突き当たりに闘技場がそびえ立つこの通りは、ラマカサで一番人通りの激しい場所でもある。クリフとシキは、中央通りを縁取る秋色の街路樹を眺めながら歩いていった。

「今日が三の日だから……大会まで、あと十二日か」

「いや、確か大会前日が技術認定の試験日になっているはずだ」

「そうだっけ? じゃあ十一日で五勝しなくちゃいけないんだ。シキなら楽勝なの?」

「さあな、やってみなければ分からん。何とか大会には出たいものだな」

「よっし、俺は認定試験に向けて猛特訓しよう! うん、頑張るぞっ!」

クリフは言葉とともに、握り締めた右手を勢いよく突き出した。そのこぶしが、通りすがりの男の腕に当たる。

「あっ」

「いってぇなぁ!」

腕を押さえ、大袈裟な素振りで振り返った男は、一見して町のごろつきといった風体だった。短い上着に腰布をだらしなく巻きつけ、腰には安そうな剣を下げている。髪は濃い青で、目はひどいやぶにらみ。男は斜に構え、シキの顔に見入っていた。クリフの事など、まるで眼中にないようだ。

「おぉ、あんたはこないだの!」

男は突然指を鳴らすと、にやついた笑いを浮かべて近寄ってくる。クリフはようやく、ラマカサに来る前の分かれ道で出会った傭兵だと気づいた。シキはあからさまに不快そうな様子である。

「闘技場へ行くんだな、ええおい。やっぱしな、来ると思ってたんだよ。俺も今、受付済ませたとこさ」

「……」

「相変わらず無愛想だな、あんた。そう冷たくすんなよ、え? お互い、めいっぱい稼ごうじゃねぇか! ひゃはははは! ……そうだ、あんた、ラマカサの闘技場じゃ見かけたことねぇな」

「初出場なのでな」

「あぁん、初めてだぁ? なんでぇ、名のある剣士かと思ったのによ……そういや見ねぇ面だしなぁ。なぁおいあんた、大会出場とか狙ってんのか? ええ、そうだろ、なっ! でもよ、そう簡単にゃぁいかないぜ」

「そうか?」

「おいおい、あと十日で五勝だぞ? ラマカサは強い奴らが集まってっからよぉ、剣闘士の証を取るのも一苦労なんだよ! まあ、せいぜい頑張るこったなぁ。あんたなら結構いけるかも知れねぇよ。ま、俺は二十日間で七勝した勇者だ、俺にはまず勝てねぇだろうけどな、ひゃーっはっはっは!」

青髪の傭兵は言うだけ言うと腹を抱え、下品な声を立ててひとしきり笑った。しかし、その目にふっと強い光が宿る。やぶにらみを余計細めて、値踏みするような目つきで男はシキを眺めた。

「そうだな……俺の見たとこ、あんた三連勝くらいはするんじゃねぇかと思うぜ、正直な話だ」

「三連勝か」

「一回も負けずに三回勝てば、剣闘士の証と銀貨八枚の褒賞だぜ、へへへへ、勝てば勝つほど金が入るってな! ひゃーっはっはっは! たまんねぇなぁ、おい! まっ、そう上手くいくとは限らねぇけどよ。世間を舐めてると、痛い目に遭うぜぇ。俺様が遭わせてやるってなぁ! ひゃははははっ」

「名前くらい聞いておこうか」

「へっ、偉そうに言うじゃねぇか。そっちが名乗らねぇ内にこっちの名を聞こうってのかよ」

「……シキだ」

「シキ、ね。あんまり強そうな名じゃねぇな。俺の名はイマネム。へへ、試合場で会えんのを楽しみにしてるぜぇ」

そう言うと、イマネムは野卑な笑いを浮かべたまま、肩を揺らして去っていった。一部始終を黙って見ていたクリフが、息を大きく吐き出して緊張を解く。

「あー怖かった。変な人だけど……やっぱり強そうだよね」

もう一度溜息を吐いているクリフを眺めやり、シキは爽やかな笑顔を見せた。

「まあ見ていろ」

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