Legend of The Last Dragon −第二章(3)−

その夜、シキは早速街の探索に出た。エイルは夕食後もシキから離れずにいたのだが、疲れが溜まっていたのか、ふと気づくと椅子に座ったまま眠っていた。それを起こさぬように寝台に寝かせ、シキはようよう宿を抜け出してきたのである。

普通の町なら日が沈んでしまえば静かになる。人々は「ハーディスとメルィーズが司る時間」を生きているからだ。日の出とともに起き、月の出とともに寝る。それが当然の生活であった。また、夜は火を灯さねば活動出来ないので手間暇がかかる。それも、夜の町が静かな理由の一つだ。

魔術師と呼ばれる人々は大抵の町で、便利屋として働いている。彼らの術法は、ちょっとした労働の手間を省く。例えば、薪を使って火を焚くのも彼らに頼めばずっと早いし、雨水から不純物を取り除く事も、彼らにとっては何でもない事だ。彼らはそういう日常の雑事を引き受ける事で生活していた。当然、簡単な事であれば安価だし、難しい事には高額の謝礼を支払う。

何もない状態で火を灯し続けるというのは非常に高度な術法であるらしい。魔術師たちに火を灯し続けてもらうのには高い金を払わねばならないし、もちろん、一番中自分たちで油を燃やし続けるのにも、大金がかかってしまう。となると、高い金を払ってまで夜中起きているのは余程の金持ちだけである。大抵の町の人々にとっては、「日が沈んだら寝る」というのが常識なのだった。

しかし、旅人の交通が激しいイルバの街は、いつまでもたっても騒がしい。火を灯すのに高い金を払っても、客がより多い金を落としていくのだから、夜の間も店を開ける方がいい。仕事を求める人々が街に溢れているのだから、人手が足りないという事もない。イルバは毎晩のように盛況だ。もちろん今夜も、イルバの人通りが絶える事はなかった。いくつも並んだ店の窓から明かりと人々の声が漏れている。市場もそのいくつかは夜通し開かれていて、人々の出入りも十分にある。酒場などの人が集まる場所も、そのほとんどが朝まで営業しているのだった。

やたらと多い酒場の内、シキは特に大きな一つを選んだ。「デルファーナの店」と書いてある看板の下、大きな板扉を開けて中へ入る。店は半分地下に埋まっているような造りになっていた。石造りの建物は、外から見る分には周りとさして違いはなさそうに見えたのだが、中に入ると、床が低く作られている分だけ天井が高く感じられた。

既に夜半過ぎだというのに、この店も他の店と同じく満員御礼といったところだ。そこここで人々が杯を交わしている。シキはその中をかき分け、店の奥へ向かった。店主は一目でそれと分かる、恰幅のいい中年だ。ひげを生やした仏頂面で杯を磨いている。シキが銅貨を数枚置くと、低い声で「よう」と言った。

「レオニー」

シキも短く酒を注文する。店主は、細長いガラスの杯に青く澄んだ酒を注いだ。シキは透明な杯など見た事もなかったので戸惑ったが、どうやら店主のご自慢のようである。

「綺麗なもんだろう。そう手に入るもんじゃねぇ。……あんた、見ねえ顔だな。イルバは初めてかい?」

「ああ。夕刻、着いたばかりだ。ここらは不慣れなので、話を聞きたいが」

「ふん」

愛想の良くない店主である。だがしかし初めての客だ、こんなものだろう。シキは肩をすくめると、少し背の高い木の椅子に腰掛けて店を見まわした。店内には多くの人が溢れていたが、一段高くなっているこのあたりはそれほどでもない。置いてある背の高い椅子の内、半分程度が埋まっているに過ぎなかった。一番端はどう見ても酔っ払って寝ているとしか思えないような男で、椅子にも座っているのかずり落ちているのか、はっきりしない。泥酔しているようで、真っ赤な顔に無造作な金髪が散らばっていた。まくった袖から見える腕は太く、古い傷痕がいくつもある。時折唸るような声を上げているところを見ると、いびきをかいて寝ているのだろう。

そばに座っている二人組は傭兵だ。身なりからそれとすぐ分かる。身につけた革の鎧にイルバの紋章が入っているから、領主ダルケスの私兵なのだろう。腰に挿しているのは飾り気のない、よく使い込まれた護身用の剣だ。鍛えられた体躯は若く、力が溢れているように見える。彼らはいかにもいい気分といった雰囲気で、大きな声を上げて笑ったりするかと思えば、また低い声で語り合ったりもしている。仲のいい戦友といったところだろう。長い黒髪の方はどちらかというと無口で、短い金髪が一人でしゃべっているといった感じだった。

イルバの傭兵たちが席を立った頃には随分と夜も更けていたが、それでも店内の机の大部分はまだ埋まっていて、あちらこちらで歌や笑い声が湧きあがっていた。酒場の夜はますます佳境、といったところだろうか。シキは観察を続けていたが、情報をもたらしてくれそうな者はあまり見当たらなかった。しかし夜は長い。シキは相変わらず黙ったまま、杯を傾けている。と、肌をあらわにした女が寄ってきた。

「こんな夜に、一人で飲んでるなんて、寂しいじゃない」

「そうだな」

「私でよければお相手するわよ」

「相手?」

「あら、決まってるじゃない? ねえ、随分立派な剣ね。旅の剣士ってとこかしら」

「女と遊んでいる暇はないんだ」

端的に言っただけのつもりだったが、女は汚い言葉を吐き捨てると、シキの座る椅子の足を蹴飛ばして去っていった。

――馬鹿にしたわけじゃなかったんだが……。

独りごちて、杯の中身を空ける。並びの席に、新たな客が増えていた。戦士三人が吟遊詩人を囲むように座り、歌を聴いている。吟遊詩人の中でもセラベルと呼ばれる、歌専門の詩人のようだ。戦士たちの冒険を即興歌にしては誉めそやされている。シキは上の空で聞きながら、「たいした歌でもないな」と考えていた。しかしその歌声に周りの客も寄ってきて、セラベルはいよいよ調子に乗った。彼らがあまりに騒ぐので、シキはだんだんと追いやられ、気づくと端の方に座る羽目になっていた。泥酔している酔っ払いは、シキが席についた頃と同じ姿勢のままだ。相変わらずいびきをかきながら、机に突っ伏している。溜息を吐きながら、その隣の椅子に腰掛けた。

「この街で一番の情報屋といったら誰だい?」

店主は黙っている。シキは机に小さな銀貨を数枚置いてさらに言った。

「知りたいことがあるんだ。良かったら誰か紹介してくれないか」

店主は銀貨を素早く取ると、あごで隣を指し示した。シキが横を見ると、酔っ払っていたはずの男が起きあがり、頭をかいている。

「なんだ兄ちゃん、俺に用かい」

「情報屋だったのか?」

「ラグリアードだ。ラグルでいいぜ。よろしくな兄ちゃん」

ラグルは、今の今まで酔っ払って寝ていたとは到底思えないような口調で話し出した。赤ら顔はそのままだが、酔っているような様子はまるで感じない。シキは驚きを抑えて答えた。

「俺は旅行者なんだが……最近このあたりで何か変わった事はないか」

「はっ、そういうのは吟遊詩人に聞きなよ。ほらちょうどいい、そこで歌ってるじゃねえか」

「誇張された話が聞きたいわけじゃない。俺が知りたいのは正確な情報だ」

「ふぅん、情報ねえ……」

ラグルはやる気もなさそうに頭をかいていたが、その目が店主に行く。シキはすぐに納得した。

「何かおごるよ」

「そうかい? 悪いね。じゃ、あんたと同じのでいいよ」

「店主、レオニーをラグルに」

「あいよ」

店主がまるで分かっていたかのように、シキのものと同じ、透明なガラス杯を差し出した。ラグルは青く透き通った酒をちょいちょいっとなめる。

「イルバは初めてだと言ってたな、色男。旅をしてるんだって? どこから来たんだ?」

シキと店主が交わした短い会話も聞き逃してはいないらしい。やる気のなさそうな態度だが抜け目のない男のようだ。ぼさぼさの金髪は艶がなく、どうひいき目に見ても清潔ではない。綿の上着もしわだらけのものを着ている。しかしシキを見る目つきには、自分の客を見定めようとする鋭さがあった。

「レノアからだ。ちょいと事情があってな。人探しをしてるんだ」

「なんだ、欲しい情報ってのぁその事かよ。名前は? どこにいるのかとか見当はついてんのか」

「いや、まったく。優秀な魔術師を探しているというだけだ」

「なんだなんだおい、随分漠然としてやがんな」

「まぁ、そうだな。何の当てもない旅だ。イルバなら色々な噂が聞けるだろうと思って来たんだ。大陸一の魔術師と言ったらラグルは誰だと思う?」

「さあなぁ……。一番ってのを、誰が決めるのかによるな。……どうでもいいが、その『大陸一の魔術師』なんかに何の用なんだ」

「まあ、ちょっとな」

「ふん。強力な魔術を使える魔術師となると、そう簡単にはな……」

口ごもりながら杯を傾けるラグルの様子は、何か隠しているようにも思える。求める情報がそう簡単に手に入るとは思えなかったが、別の事を聞けるかもしれない。何しろ旅には出たが、行く当てもない。どんな些細な事でも、尋ねてみる価値はあるだろう。シキは言い方を変え、いくつかの事を聞いたが、そのどれに対しても明瞭な答えは返ってこなかった。お互いに探り合う状態がしばらく続く。他愛もない話やくだらない噂話を繰り返している内に、シキにはある事が分かってきた。ラグルに何を聞いても、うまく答えをはぐらかしながら、時折店主に目配せをしているのである。よく観察していると、その度に店主が頷いたりひげを触ったりする。どうやら何かの合図のようだ。

「こう聞いていると、イルバには何でもあるようだ。手に入らないものはない、というのは本当なんだな」

シキが感心しきったような顔でそう言うと、ラグルはにやりと笑う。

「ま、金さえ出しゃな」

――なるほど、そういう事か。俺が鈍かったのだな。

ラグルは暗に、金を出さねば何も話せない、とほのめかしているのだ。シキは小さく頷くと、相手の調子に合わせて低く囁いた。

「どうせ手に入れるならとびきりのものがいい。他では手に入らないような、一級品だ。そうだろう?」

「そういう奴もいるだろうな」

ラグルの目がかすかに光った。彼はまたも頭をぼりぼりとやっている。店主は別の客の相手をしながら、あごひげを引っ張っている。隅の席で起きている事など、素知らぬ顔だ。

「どうしても必要なんだ」

探るような目つきで睨むラグルに、駄目押しとばかりに銀貨を握らせる。それに素早く目を走らせ、ラグルは杯を空けた。そしてにやりと笑う。

「イルバで手に入らねぇ物はねえよ」

それとなく店主がこちらへやって来る。ラグルと視線を交わすと、店主は低い声で言った。

「奥に行きな」

「案内するぜ、こっちだ」

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